20.パティシエールの値打ち
「エルマーさんはあの山の人たちに出会って打ち解けるまで、とても苦労していた。全てはいいお菓子の材料を手に入れるためだ。俺も何度か協力したが、あの人は妥協を知らない人だった。すごく頑張って、店を大きくして、人も育てた」
「……」
「孤児院から従業員を採っていると聞いた時は、この人本当にスゲーなって……そんであの人、従業員が家族を持てるように、みんなが稼げる大きな店にしたいって言っていて。だから、俺もあの人の言葉を信用して、快くカルルを貸し出したんだ」
「……」
「それなのに、大切な従業員が息子によって追い出され、更に宿屋で安く働かされるとは思ってもみなかっただろうな」
「……」
「ここで働くにしても、もっと賃金の交渉をした方がいい。クロエの今までの人生は、クロエだけで築いたものじゃないはずだ。俺も出来ることはある程度協力するから……エルマーさんの遺志を無視しないで欲しいんだ」
クロエはじっと考えた。
(従業員が家族を持てるように……そっか……)
思わぬ形で家族を失ったことのあるエルマーだからこそ、従業員の稼ぎや人生にこだわったのだろう。
エルマーの笑顔を思い出し、クロエはほろりと涙をこぼした。
「アルベールの言いたいことはよく分かりました……」
クロエは目をこすった。
「……ちょっと考えてみます」
彼はしばらくクロエの涙を見つめていたが、ふと思い出したようにポケットをまさぐる。
「俺は101号室に泊まる。それから──」
アルベールは真剣な表情でこう言った。
「俺の名前は、絶対に誰にも言わないで欲しい。外では──今まで通り〝猟師さん〟とでも呼んでくれ」
クロエは、色々腑に落ちないながらも頷いた。
「そう……分かった」
「そろそろケーキが焼けたかな……俺は先に部屋に入ってる。何かあったら言ってくれ」
クロエは目をこすりながら厨房へ戻った。
よっつのパウンドケーキがひび割れながらも艶のある焼き色を上辺に見せ、台に整然と並べられている。
コレットが入って来る。
「話は終わったかい?」
「はい」
「結論は出た?」
クロエは首を横に振った。
「やっぱり、もう少し考えます。とりあえず、今日のところはこのパウンドケーキのお代は結構です」
「そう。まあ、前向きに検討してもらえたら助かるわ」
「……」
「あとこれ、今日泊まる部屋の鍵ね」
「……」
どうやら、賃上げの話は出て来そうにない。
クロエは重い足取りで二階の部屋に入った。
久々にシャワーを浴び、それから石鹸で体を洗う。
汚れが落ちて行く自分を冷静に見つめる内に、クロエの心も一緒に洗われて行くような気がした。
(私、これからどうなりたい?)
様々な計算をしながら、夜通しクロエは考えた。
次の日。
クロエはアルベールと朝食を食べていた。
ハム・卵・ポテトサラダをはさんだ白パンのサンドイッチそれぞれ三種と、オレンジジュース。
「で……結論ですが、こうなりました」
クロエはパンをかじりながらアルベールに紙を差し出す。
そこには、パウンドケーキの収支とこれからの計画が書かれている。
「私、やっぱり個人事業主の道を選ぶことにしました」
彼はうんうんと頷いた。
「結局、雇われると立場が弱くなるからな。それがいいよ」
「先が見えないですが、今回ギヴァルシュで1000デニー稼げたのでこれを軍資金にスタートしようかと」
「また材料を買ったら一文無しだがな」
「仕方ない。頑張るしかありません。カルルの代金は、また出世払いにしてくれますか?」
「まあいいけど……いつか絶対に払えよ」
クロエは簡単な朝食を終えると、コレットの元へ行き話し合った。
「次は、パウンドケーキを作って持って来ます。やはり時給で働くのではなく、ケーキを買い取っていただく形で契約していただけないでしょうか?」
コレットが問う。
「……ケーキはいくらぐらいになりそう?」
「パウンドケーキおひとつ、1000デニーです」
「三本だと3000デニーか。高いね」
「カフェタイムに出す時には六等分されていますから、ひときれ167デニーです。これなら紅茶と足して200デニーのセットに出来ます」
「やっぱ、ちょっと高いかな……」
「カフェセットを250デニーとかに値上げしてもいいと思いますよ。試しに、昨日焼いたパウンドケーキを今日売ってみて下さい。もし売れなかったら、私も引き下がります」
コレットは目を丸くした。
「大した自信だね」
「今まで、最高のお菓子を作って来た自負があるので」
「ふーむ。まあ今回はタダ働きしてもらったわけだし、そこまでこっちも懐は痛まないか……」
クロエが強硬に出たことでコレットの商人魂にも火がつき、互いの算盤がバチバチと鳴り響いている。
「よし、とりあえず喫茶メニューとして出してみるよ。でも売れ行きによって、契約は考えさせてもらうわ。頑張ってね」
「……ありがとうございます!」
クロエの実力が、再び試される。
今度はケーキセットを販売することになった。
値段は、200デニー。もはやランチセットと値段は変わらない。
アルベールがようやく話に入って来た。
「俺は荷物を運ぶ仕事がある。また夕方に迎えに来るよ」
「分かりました!」
「……健闘を祈る」
彼はそう真顔で小さく言って、宿屋を出て行った。
コレットは、玄関先の黒板に今日のメニューを書きつける。
〝季節のケーキセット〟
〝レーズンパウンドケーキ+コーヒー or ティー:200デニー〟
クロエはそれを眺めながら、急に緊張して来た。
(全然売れなかったらどうしよう……)




