19.猟師の名前
クロエは目を輝かせた。
「えっ、いいんですか?」
「明日、猟師さんに迎えに来てもらえばいいだろ?」
「でも、ご飯が……」
「夕飯も朝食も出すよ。ちょっと、あんたに相談したいことがあるんだ」
奥から、猟師が台所へ顔を出した。
「まだー?」
「ああ、猟師さん。今日はこの子をうちに泊めることにしたよ」
「……えっ?」
猟師と目が合って、クロエは続けた。
「今日、パウンドケーキを焼いて行くんです。ギヴァルシュを売るのを手伝って下さったお礼に」
猟師は後頭部をボリボリと掻いた。
「……どういうこと?」
コレットが言う。
「ちょうどいいところに来たね。あんたにも話をつけたいから、ちょっとここへお座りよ」
猟師は渋々といった様子で向かい側に座った。
「話って何だよ」
「ちょっとクロエを、定期的にうちへ連れてきて欲しいんだけど」
「ふーん……何で?」
「私が今日クロエにパウンドケーキを焼いてほしいって言ったのはさ、私が食べるためじゃない。実は、うちのランチとディナーの間にカフェタイムを設けたいんだ。そこでクロエに今後もお菓子作りを協力してもらえないかと思っていて」
クロエは飛び上がって喜んだ。
「……本当ですか!?」
「ええ。材料はこっち持ちで、クロエには時給を出そうと思うの」
「ちなみに、時給っておいくら……?」
「出来高にもよるけど、スタート時は200デニーからでどうかな」
無論、王都のパティシエより給与は遥かに劣るが──クロエは、それをとてもいい案だと思った。
(ここで働けば、宿屋の一員としてお金が稼げるし──毎日ベッドで寝られるかも!)
「わあ、いいですね!」
「まかないも出すよ」
「いいんですか!?」
しかし、猟師はどこか釈然としない顔で言った。
「クロエ、もうちょっと考えてからにしたらどうだ?」
「えっ?」
コレットもクロエも、話がまとまりかけたかと思ったので、目を丸くした。
「な、何でですか?」
「……あんま、こういうこと言いたかないんだけど」
彼は考え抜いたような顔をして言った。
「クロエ。もうちょっとなんつーか……職人としてのプライドとかないの?」
クロエはちょっと赤くなった。
「あんまり自分を安売りするなよ。曲がりなりにも〝ラベイユ〟のパティシエールだぞ」
コレットは目を丸くしてそれを聞いている。更に猟師は続けた。
「俺みたいな運び屋だって、一往復で500デニー貰ってるんだぜ。一日、大体四往復で2000デニー儲かる。それに対してケーキを焼いて……五時間かかるとして1000デニーじゃあ安すぎるよ」
コレットはちょっと呆れたように言う。
「あんたがどう言おうと、この子が納得しているならそれでいいじゃない!」
「……コレットさん。今日、部屋空いてる?」
「?空いてるけど……」
「俺の部屋も取って欲しい。ちょっとクロエ、話がある」
クロエは衝撃を受けた。
「えっ……?猟師さんとお泊り?」
「おい、その言い方は……人聞きが悪いからやめろ」
クロエは、なぜだか緊張して来た。猟師は何かに静かに怒っているよう見える。
ケーキが焼けるまで、二人は宿を出て、カルルの係留されている厩の前で話し合う。
空には星が瞬いている。
「あのう……」
クロエが口火を切った。
「なぜ猟師さんは、急にあんなこと言い出したんですか?職人としてのプライド……とか」
猟師は静かに言う。
「クロエはこれから、どうなりたい?」
「えっ?」
クロエは困りつつも、自問自答する。
「私……?そうですね。今はお金も欲しいし、安心したいって感じです」
廃屋生活に疲れてつい目先のことに釣られた自分と、けれど安心して生活したい自分とがクロエの中にいるのだ。
猟師はそれを聞くと、重ねて言った。
「あの感じだと──クロエはお菓子作りをしたいがためにこのままずるずる安くこき使われて、せっかくの特技を誰かに搾取されて人生終わるんじゃないかと思ったんだ」
クロエはどきりとする。
「そ、そうですか?」
「これからのことも考えて、自分を安売りせずもっと稼げる方法を考えろ。自分に高値をつけて交渉するんだ」
「で、でも……」
クロエは、少し怒った顔で猟師に向き直った。
「出会って数日の名前も知らない人から〝プライドを持て〟とか言われても困ります。あなたが私の人生に責任を持ってくれるわけではないでしょうし、事実私はお金に困っています。私のことは私が決めますから、大丈夫です」
猟師はぽかんとしたが、すぐに
「確かにな。そっか……」
と意見を受け入れた。
「まあそうだよな。……うん」
「少しでもお金を溜めたいんです。廃墟の板間で寝続けるのは辛いですし」
「……」
「猟師さんにも大変お世話になりました。けど、だからって全部の意見を受け入れられるわけではありません」
「……」
しばらく沈黙が流れる。
猟師はしばし苦しそうに黙っていたが、何かとんでもないことを打ち明けるかのように口を開いた。
「俺の名前は、アルベールだ」
クロエは首を傾げる。
「えっ?」
「聞こえなかったかな」
「アルベール……さん」
「呼び捨てで構わない」
「は、はい。アルベール……」
よくある普通の名前だ。
一方、彼は〝とんでもないことを言ってしまった〟というような顔をして、少し汗をかいている。
「……クロエには、名を教えた。だから……もうちょっと喋ってもいい?」
「はい」
「……話を元に戻そう」
アルベールは溢れ出る額の汗を手の甲で拭った。
「せっかくエルマーさんから受け継いだ技があるんだから、君はもうちょっと自分を高く売り込むべきだ。エルマーさんがあの店を大きくして、いい従業員を育て、稼がせてやろうと、どれだけ苦労したのか……クロエは知っててあんなことを言っているのか?」
クロエはどきりと身を震わせた。
アルベールは、彼女が知り得ないエルマーのもう一つの顔を話そうとしている──




