11.没落貴族の羊飼い
多くの動物を引き連れた老人は、クロエの顔を見ると目を細めた。
「おやおや、都会の服なんか着て──随分若いね。あんたみたいな女の子が、こんな田舎に何の用だ?」
クロエはどこから説明しようか迷い、黙ってしまった。
すると老人はそれを不思議そうに眺めながら、養蜂場の裏手に回る。
そして二匹の羊を引き出して来ると、養蜂場の主に声をかけた。
「アンナ!二匹を連れて行くぞー!!」
家からは、特に返事はなかった。
老人は羊を群れに加えると、クロエに笑いかけながら言った。
「アンナに無視されたのか?よくあることだから気にすんなよ」
(よくあること?)
老人が歩き出したので、クロエは慌ててついて行く。
「は、初めまして!私、クロエと申します」
「ほう、クロエとやら。私はモイズ。見ての通り羊飼いさ。まあ、歩きながらでも」
二人は山の麓を歩き出した。
「モイズさん、どこへ行くんですか?」
「もうちょっと山を下りると、平地があるんだ。そこでこいつらに草を食わせてやるんだよ」
「平地があるんですね」
「ところであんた、何者だ?」
クロエは言った。
「私、王都のラベイユという店で働いていた、パティシエーヌです」
「ほう、お菓子屋さんか。お菓子屋さんがこんな田舎に何の用だ?」
「私は自ら来たのではなく──実は王都で男たちに拉致されまして……この山に埋められたところだったんです」
「へー、物騒だね」
「竜を連れた猟師さんに助けてもらったんですけど──」
そこまで聞くと、モイズは少し気まずそうに頷いた。
「ああ、彼に……」
「名前は教えてもらえませんでした」
「そうか。まあ、この山ではみんな色んなものを抱えて生きているからな。個人情報を教えたくない気持ちも、分かってやってくれ」
「はあ……」
クロエは猟師の彼のことを思い出した。
(あの人も、色々抱えてるのかな……?)
モイズが言う。
「まあでも、何だかんだ助けてもらえたのは、きっと彼が君を気に入ったからなのさ」
「?そうでしょうか……?」
「彼は基本的に人が嫌いなんだ。なのに積極的に関わったっていうことは、それなりに君に興味があるしるしだよ」
「へー」
モイズのあとをついて行くと、山間に、少しだけ平地が開けた。そこに家畜を散らばせると、彼はごろんと草の上に寝転ぶ。
クロエは食料になるものがないか、ふらふらとうろついた。
所々にわずかながら空豆が生えていたので、いくつかポケットにねじ込む。
それ以外目ぼしいものは特になく、あとはシロツメクサが咲き誇っていた。
クロエは手慰みに、シロツメクサの冠を作った。白い花輪が出来ると、それをすっぽりと被る。
モイズは動かなくなる。
クロエは不安になって尋ねた。
「モイズさんは、いつまでここにいるんですか?」
モイズは言った。
「家畜が〝食べたな~〟ってなるまでさ」
「そんなこと分かるんですか?」
「分かるさ」
この山では、都会とは違うゆったりした時間が流れている。
「ところで……君は、拉致されてからはどこで過ごしてる?」
クロエは隠さずに言った。
「廃校です」
モイズはすぐに理解したようだった。
「あそこか……懐かしいね」
「あら?もしかして、通ってらっしゃったんですか?」
「いいや。通うというか……あの学校を作ったのは、私なんだ」
クロエは驚いた。
「!モイズさん……先生だったんですか?」
「まあ、先生も、やったけど。私はかつて……」
モイズは今まで歩いて来た山々をぐるーっと指さした。
「あの山を全部持っていた。私は土地持ちの田舎貴族だったんだよ」
クロエは驚愕した。
(あの猟師さんが言ってた〝伯爵〟って、この人のことだったんだ!)
そして目の前にいる小さなおじいさんが、かつて貴族だったとも信じられなかった。
「〝お前が?〟って顔してるな」
モイズに言い当てられ、クロエは思わず自らの顔を揉んだ。
「い……いいえっ!貴族っぽい……かも!」
「うそつけ。まあそういうわけで、没落して全部の山を売り払ったんだ。俺は羊飼いに転職。でも、これはこれで楽しい毎日さ」
「そ、そうですか」
「ああ。それにな、人に分け与えたことで俺は前よりも豊かになったんだ。金銭面でもそうだけど──内面も豊かになったのさ。これは、分け与えなければわからないことだけど」
クロエは、ちょっと胸に刺さる。
「分け与えなければ、わからない……?」
「若い内は分からないだろうが、誰しも大人になれば分け与える立場になる。多くは子どもや子孫のため、上司になれば部下のため、親が老いれば親のため……自分をとことん使役し、みんなに分け与えて行く。自分が使えるものを意図的に減らす。そんな積み重ねが、人生の糧になるっつーわけだな。はははっ」
クロエはそれを聞くと、再びシロツメクサに手を伸ばした。
「そうですね、与えること……分けること……それが人生ですね」
「俺は貴族だったから、その精神でやってきた。富める者は富めない者のために何かやるべきだ。ひとりじめしようとすると、いつかしっぺ返しが来る。俺みたいに」
クロエは再び花輪を作り始めた。
(ひとりじめすると、しっぺ返しが来る……か)
脳内の隅にライナーの顔が蘇ったが、すぐに首を横に振って消し去る。
シロツメクサは、いくらでもある。
クロエは花冠をモイズに被せた。
「あげます。今私が出来る、モイズさんへのおすそわけです」
「おっ、いいのかい?」
「色々教えてもらいましたから」
クロエはそう言うと、せっせと花冠を作った。モイズがそれを横目に言う。
「器用だな」
「みんなにあげることにします」
「いいね。家畜に乗っけてやってくれ。みんなにそれを配ろう」
陽が落ちる頃、二人は再び元来た道を引き返した。




