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Wrath (憤怒)

 Wrath 6


「アールブ。こっちよ……!」


 ヘレンの泣き声以外は、シンと静まり返ったサロンだった。そこで、姉さんの声が聞こえたように思う。元気な声で、溌剌としていた。

「ぼくは昔、アールブと呼ばれていたんだね……」

「記憶が蘇ったんですね。モート君」

 オーゼムは感極まって拍手をぼくに送った。


 隣のアリスは目を大きく開けたまま、驚きの眼差しでぼくを見つめていた。時折、「モート……そんな……」とぼくの名を呟いては、瞬きをしていた。何故か昔のぼくを知っているかのようだ。

 ヘレンは俯いたきりだったけど、今では泣き声がいくらか弱まった感がある。

「本当はバアルという名前だったけど、姉さんからはそう呼ばれていたんだ。アールブはぼくのニックネームみたいなものだったんだ。でも、ヘレン。今はモートだよ……オーゼム……? すまないが……ぼくはまだ記憶が全部は……」

「戻っていないのですね。そうですねー。……そのうちですよ。そのうち。さあ、皆さん、モート君の過去の話をしないといけなませんが、その話は明日の午後ゆっくりとしましょうか……。ここノブレス・オブリージュ美術館でしましょう。大丈夫です。モート君の記憶は時間と共に戻って来ますから。それに、皆さん大変お疲れのようですからね。お休み……」

 オーゼムはぼくに一枚の金貨を握らせた。

「賭けはあなたの勝ちですよ。……それでは、明日の夜にここのサロンで。いやはや、疲れましたねー」

 そういうと、オーゼムはこのサロンの4枚の大扉の一つへと向かい。こちらに手を振った。

 その日の朝に、オーゼムとアリスと別れると午前の11時になっていた。ヘレンは気持ちを切り替えたのか、ノブレス・オブリージュ美術館の積もりに積もっていた仕事に取り掛かろうと使用人たちを呼んでから自室へと向かう。

 モートは普通の日常を過ごしていたが、夜になるととある変化が現れ始めた。


 モートはいつもの会話や談話する着飾った人々の声に耳を傾けながら、広大なサロンの質素な椅子に座っていた。

 二つの螺旋階段の一つから降りてくる紳士と淑女が話していた。

「もう、猿の頭はうんざりなのよ。まるで、そう、世界が終わるかのような。家は無事だったの。ええ、屈強な護衛たちのお陰ですわ。そりゃもう傷一ついてないですわ。でも、人間の仕業とは到底思えないんですの」

「あ、昔にあったじゃないか。エレミ―。とんでもない凄惨な事件が……。確かアールブヘルムの絞殺魔」

「あ、そうですわ。ええ、そのお話なら聞いたことがありますわ。なんでもそのお話をおっしゃった方は、歴史の授業をやっていたそうですが。類稀な連続殺人とも言われていましたけれど、今では前代未聞の大量殺人とも言われていましたわね」

 突然、モートは激しい頭痛に襲われた。

 椅子から転げ落ち。周囲の人々の会話がパタリと停止した。

「だ、大丈夫ですか? モートさん?!」

 着飾った人々に飲み物を配る給仕が一人。合間を縫ってモートに駆け寄って来た。

 シンと静まり返ったサロンで、給仕が急いで誰かを呼びに外へ向かおうとした。

「いや……大丈夫だ……」

 モートは脂汗を掻きながら、懸命にそう言った。

「大丈夫じゃないですよ! すぐに救急車を呼んできますね! 皆さんはすみませんが、お静かにしていてくださいね! 今、オーナーをここへ呼んできます!」

「う……姉さん……」

 モートは目を瞑った。

「アールブ……ねえ、アールブ……」

 姉さんの声が聞こえる。

 

 ぼくは知らない場所で起き出した。

 一体……この景色はなんだ?

 目の前には、広大な黄金色の麦畑が広がっていた。まるで、黄金の海のように風によって波が立っているかのようだった。

 時間はどうやら、昼間のようだ。太陽は斜陽で、あ、そうだ。収穫祭が近づいているんだ。


 あの日。教会にぼくは呼ばれていた。

 これは全て遠い昔の過去の記憶だ。

 確か聞いたことがある。

 アールブヘルムの絞殺魔……。


 それがぼくだった。


「モート! モート! ……今、オーゼムさんを呼んだわ! すぐに来てくれるそうよ!」

 モートの耳にヘレンの声が鳴り響いた。

 激しい頭痛のため床に突っ伏していたモートは、遥か過去の記憶が鮮明のまま意識がしっかりとしてきていた。そういえば今日にオーゼムが来てくれるんだった。それでモートの記憶が完全に戻るはずだった。モートは立ち上がり、カジュアルな服についていた埃を落とした。

「ああ……モート……良かった……ほんとに、大丈夫?」

 ヘレンは後ろにいる着飾った人々。貴族の人々をまったく気にせずに、モートに抱き着いてきた。

 モートは気恥ずかしくなり、ヘレンを押しのけた。


「恥ずかしいよ……ヘレン」

「え!」


 モートは顔を耳まで赤くさせて、サロンの自分が産まれた絵画のところへと歩いて行った。果物の乗ったテーブルの傍で、聖母のような女性が椅子に座り。産まれたばかりの赤子を抱いている姿が描かれていた。その背景は雑木林で空には白い月が浮かび。雑木林の奥からは闇夜の教会が見え隠れしていた。

「母さんは……すごく優しい人だった……」

「……モート……記憶……感情が戻ったの?」

「え? なんだって?」

 突然、ドッと笑い声がサロンに溢れかえった。着飾った人々が笑い出したのだ。そして、「今日はもうお開きですな」「ええ……今日はとても楽しかったですわ」「これは、これは……いいものを見せてもらいました」などの声が所々から聞こえて来た。

 ヘレンはそれぞれ帰って行く人々を見送るために、仕事に戻った。


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