Lust (色欲)
Lust 3
「え! なんだって! ウエストタウンのダンスホールにすぐ行ってくれだって?!」
オーゼムからの切羽詰った電話を切ると、モートはノブレス・オブリージュ美術館の絵探しを中断して、アリスとシンクレアにここに好きなだけいてくれと言い残し、ウエストタウン行きのバスを探しに大急ぎで館内を出た。
ウエストタウン行きの路面バスはすぐにつかまった。
嬉しいことにダンスホールまで2ブロックのところに、バスの停留所がある。薄暗くなった空には美しい白い月が浮かび上がっていた。
モートは交差する車や歩行者を通り抜けながら、道路と建物を真っ直ぐに突き進んでいく。かれこれ奇跡的にエンストを起こさなかったバスから降りてから30分が過ぎていた。
モートの目にも見えて来た。
ホワイト・シティに唯一あるダンスホール。「パラバラム・クラブ」だ。それは地下一階から二階にかけて広がる巨大なダンスホールだった。モートは迷わず黒い魂が密集した地下二階へと向かう。
カラフルなライトが明滅した赤煉瓦が囲む地下のダンスホールだった。そこにお洒落な恰好の男や女がダンスに熱中していた。だが、皆、アッパー系の危険な麻薬や毒のようなものが体内にあるのか、正気の者は一人もいなかった。目は虚ろで、涎を垂らし、まるで何時間も踊っているかのようだった。全員が恍惚な表情をしていて踊りの動きはとても激しかった。
モートは辛抱強く壁に寄り掛かり人々を観察していると、定期的に全ての男や女がダンスホールの片隅にあるバーに通っていた。数分で行き来している人たちもいた。バーテンダーの魂は黒。モートはそこで、ビールを頼み口に含んだ。それには、やはり高濃度の麻薬か毒が入っていた。
モートはすぐさま主犯格を探しに辺りを窺った。
ダンスホールのカラフルなライトに照らされた中央に、疑わしいその人はいた。
ライトアップに照らされた一冊の本を持つ女性だった。
すぐさまモートは熱狂の嵐の中。人々を通り抜けて一冊の本を刈りとった。恐らくこの本がグリモワールだろうとモートは考えた。
「残念! ……ね!」
女性は蠍を肩に持っていた。蠍を片手に持ちモートに襲い掛かる。
モートは女性の持っている大き目の蠍の尾からの毒を警戒した。
蠍から吐きつけられた毒を避けた。
「私たちの遊びを邪魔する奴は、全て・死・苦しみ・奈落の底・よ! あなたのことはジョンから聞いているのよ!」
女性は狂人のように笑いだし、激しいダンスの中で叫んだ。
今までダンスに夢中だった男や女もモートに襲い掛かる。騒音ともいえる音楽の中で、モートは通り抜けることが出来るが、一旦、更に地下へと床を通り抜けようと下へ向かった。
「追え!」
女性は全員に命令した。
ここは地下三階。
赤煉瓦に水滴が所々に浮き出た湿った空間だった。
モートは女性を狩らないので、どうしようかと思考が止まっていた。そして、麻薬に侵された人々は黒い魂だったが、狩るのをためらっていた。
そこで、モートは今度のグリモワールの詳細を聞きに電話を探しに行った。
様々な楽器のある倉庫を見つけると、片隅に少し古風な電話があった。
辺りは今のところ静寂だった。
オーゼムはすぐにでた。
モートは急いで蠍のことと、ここダンスホールでの出来事を話した。
「やあ、モート君。すまないね。何も言わなかったのは、実はまだ考えがまとまっていなかったんだ。その蠍は、色欲のアスモデウスのグリモワールだ。なので、どうか蠍の毒に気をつけてくれないか。私は今、ヘレンさんをノブレス・オブリージュ美術館に残してバスで移動しているんだ。すぐにそっちへ向かうから」
「わかった」
モートは電話を切ると、激しい雑踏や叫び声が二階からの階段付近から聞こえ熱狂する人々がそのままの怒号を上げて襲い掛かって来た。
だが、モートは次々と怒号の中。身体を通り過ぎていく人々の中を歩いていった。
モートの狙いは蠍のみだった。色欲のグリモワールを持つもはや狂人と化した女性もモートを通り抜けて行く。
天井からは床一面に埃が滝のように落ちている。
視界は、通路は、全て真っ白になっていた。
まるでモートを走り抜ける暴徒の激しい足音が、天井の埃を嵐のように落としているかのようだった。だが、モートを通り抜けて暴徒はそのまま遥か後方へと呆然と過ぎ去っていく。
巨大な蠍がワラワラと二階から階段を降りて来た。
暴徒と化した人々がモートを通り抜ける中。
モートは銀の大鎌を構えた。
巨大な蠍は無尽蔵に現れてくるが。
ふと、急にその数が止まった。
この建物の二階からオーゼムの大きな声が木霊する。
「モート君! さあ、グリモワールは封印した! あなたの狩りの時間です!」
どうやら、二階のダンスホールにあると思われる。色欲のグリモワールをオーゼムが封印したので、蠍がこれ以上は出現しなくなったのだろうと、モートは考えた。
モートは蠍のみに、銀の大鎌を振った。
一体目を横に振り、二体目の顔面を縦に叩き割って、正確に身体の一部を取り除いていく。それでも、巨大な蠍は次々とモートに毒を吐きつけながら、突進してきた。
モートは辺りの暴徒の拳を振り上げた突進も気にせずに、確実に蠍のみを狩り続けた。
モートの身体を通り抜ける暴徒が急に静まり返った。
どうやら、正気を取り戻したのだろう。
正気を取り戻した暴徒がバタバタとその場で倒れていく中。
「また、残念ね! まだ一匹いるわ!」
あの狂った女性が肩に乗せた大き目の蠍を持っていた。踵を返し逃げ出そうとすると、モートが銀の大鎌を構えたが……。
「はい! 終わりです! あなたと私の負けです!」
いつの間にか女性の傍にいたオーゼムが蠍を取り上げていた。蠍を光の奥へと仕舞うと。
「賭けは今日はアリスさんの勝ちですね」
オーゼムはかなり残念な顔をした。
それから夜明けの午前6時。
雪の降り積もる街道には、これから出勤の人々の雑踏が何故か危うげだった。
白い息を吐きながらモートはオーゼムとパラバラム・クラブの前で新聞を買い二人で読んでいた。辺りは新聞売りの子供たちが大声を張り上げている。
「大量殺人だよー! ここウエストタウンで大量殺人だよー!」
サン新聞より抜粋。
昨日、起きた「パラバラム・クラブ」での凄惨なドラック殺人事件は、高濃度の麻薬による大勢の大量殺人と警察が断定。ドラックの種類は未だ不明で解明されてはいないが、新種のドラックが海外から流入したと推測されると発表。警察は目下、逃走中の犯人を全力で捜索……。
モートは結局、女性を狩ることがなかったので犯人も逃してしまい。
オーゼムはかなり残念な顔を終始している。
それでも、モートが抑揚のない声で詳細を聞いた。
「色欲のグリモワールですね。蠍の毒ですよ。それとかなりの毒性が強いドラックですね。ドラックの方は我々には効果がありませんが、蠍の毒は注意が必要だったのです。犯人は長期的に蠍の毒を体内に取り込んでいたのでしょう。無事解決してとてもよかったですが、犯人には逃げられ、賭けはアリスさんの勝ちでした……」
そこで、オーゼムは更に残念そうに言った。
「アリスさんは、ノブレス・オブリージュ美術館で私と賭けをしていました。この事件で、モート君が女性を狩るか狩らないかと。この事件は前もって女性が関わっていますので……。色欲ですからね……モート君が女性も狩ると私は踏んでいました。自信は少しありましたよ。なので、賭けたのですが……いやはや、お金持ちとの賭けでしたので、大金を賭けてしまい……ハァー……」
シンシンと降る雪の中。
オーゼムの溜息は寒さの中に溶け込んでいった。
新聞売りの子供たちの声はこの上なく元気だった。




