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喧騒の中、見世物台に乗せられたまま、街の中を引き回されたラデアは、静かに微笑んでいました。
連日の拷問に耐えた体は、もはや限界でした。
神殿を破壊した罪。
天使を逃がした罪。
人間を騙った罪。
そこまでは納得出来るのです。
人魚である罪。
それを聞いた瞬間、ラデアは得心が行ったように頷きました。
ああやはり、私は存在するだけで罪なのでした。生まれ落ちたその瞬間から、恥は始まっていたのです。だから皆海の底に暮らしていたのでしょう。あまりに恥ずかしいから。とてもじゃないけど人に姿なんて晒せないから。
処刑を求める声が高まります。
聖堂の中には誰もおらず、幸いにして死傷者は出なかったんだから良いじゃないか、と言いたいところですが、どうやらそんなことは、ラデアの『人魚である罪』の前には瑣末な問題のようなのです。
この都に来てから出来た友人達は、一体どんな顔で、ラデアを睨むのでしょうか、彼女は漠然と考えながら、処刑台へと運ばれて行きます。
ぶつけられた石が、側頭部に当たりました。血が流れます。
そうです、血は流れるものなのです。
人間だって、天使だって、人魚だって。数多の生物は、傷つけば血を流すのです。
どうしてこんなに残酷になれるのでしょう。
どうしてこんな生命体を、姉リーティアは命を賭して救ったのでしょうか。この段に及んでも、ラデアには分からないままなのです。
こんな、救ったって何も感謝もしてくれない生き物を救って、姉は救われたのでしょうか。姉は幸せに死んだのでしょうか。
処刑は、今は亡き神殿の広場で行われることになっていました。何故だか、天使の儀よりよほど多くの人間が集まっているのです。妙でした。それが人間という生き物なのだと悟ったのは最近のことです。
レヴェンの羽を切り落とす為に作られた舞台は、今やラデアの為の処刑台でした。
昏い目をして、ラデアは処刑台へ連れていかれます。醜い魚の尾では、自分で向かうことすら出来ないのです。
処刑台の上には、数人の人間が待ち構えていました。その内の一人には見覚えがあります。
「リーティア、」
苦しそうな顔をして呼びかけるへユテに、ラデアは穏やかに首を横に振りました。
「私の名はラデアよ。リーティアは私の姉の名」
ラデアは、へユテに顔を向けると、酷薄に笑いました。
「人間は、姉だけじゃ飽き足らず、私も殺すのね」
「違う!」
否定したへユテに、ラデアは微笑みました。
へユテは、王子様なのだそうです。とっても高貴で偉い人なのだそうです。
それなのに、こんな下賤のラデアに優しくして下さったのです。
「……ありがとう、へユテ」
告げると、強く取り押さえられました。不敬だ、という言葉が耳に入ります。
そのまま、設置された柱に、背中をつけて括り付けられました。
そういえば、壁に背をつけた体勢は、歌うのに適しているのだそうです。ラデアは、いつも背中を丸めて歌ってしまうので、リーティアにその度に背中を叩かれていました。
すぅ、と息を吸うと、警戒したように剣を向けられます。それを意にも介さず、ラデアは口を開きました。
「ーー蒼海に揺蕩う光を受けて、輝く蒼空は遥か遠く」
やけに澄んだ歌声が、処刑場に響きました。決して大きな声ではありません。よく通る歌声が、風のない広場の空気を叩いて揺らします。
「碧空を讃えよ、手に届かぬ高みまで、昇ってみせるは、穢れなき魂のみ、」
姉が好んだ、地上を讃える歌は、あまり好きではありませんでした。そう言うと、姉がしぶしぶ教えてくれた歌がありました。美しい空を讃える歌でした。
「けして触れてはいけぬのです、けして欲してはいけぬのです」
ああ、この歌は、ラデアに対する警鐘だったのでしょうか。ラデアみたいな愚かな人魚が夢を見ないようにするための。
「ただひたすらに、碧空を、……愛せ」
歌い終え、ラデアは嗚咽を堪えきれずに俯きました。
そうでした。ただひたすらに愛しただけなのです。高潔な碧空を慈しみ、愛しただけなのです。
息子だなんて嘘でした。そんな生易しい愛情を返してもらいたかった訳じゃなかったのです。
目の前で、これ見よがしに、大きな剣を研ぐ死刑人は、大きな音を立てて剣を持ち上げました。
その様子を諦観して、柱に寄りかかったラデアは、唐突に影に包まれました。驚いて顔を上げた先で、鮮やかな羽音がしました。
「レヴェン、」
影は通り過ぎました。行く末を見やると、崩れた神殿の上で、静かに佇む天使の姿がありました。その目は、ひたとラデアを見据えていました。腰に差した剣に指を這わせる動きを見たラデアは、首を強く横に振りました。
あまりに多くの人間に、レヴェンも近付きかねて、タイミングが測れずに立ち尽くしています、でも飛べば、すぐにでもこちらに来れるでしょう。
駄目です。きっとレヴェンはラデアを抱えたまま、高く飛ぶことは出来ないでしょう。
それに、レヴェンはもう自分の居場所を見つけました。自由な天使の一員となったレヴェンは、空を駆ける、立派な天使です。
自分に縛り付けておくことはどうしても出来ませんでした。だってラデアは見たのです。
飛翔した瞬間にレヴェンの顔に閃いた、あからさまな歓喜の色を。あの一瞬、レヴェンの頭から、自分のことが全て消え失せたことを、ラデアは察しました。
飛ぶことはレヴェンの喜びなのです。それを、自分の我儘で引き止めておくことは、あの顔を見たあとは、もう出来ませんでした。
『迎えに来たよ、ラデア』
いつの間に、念話なんて出来るようになったのでしょう。多少引っかかった疑問を無視して、ラデアは頑なに固辞しました。
『駄目よ』
レヴェンもまた、頑なでした。
『ごめん、ラデアが嫌がっても、多分僕は君を離せない』
その言葉を聞いたラデアは、一度、逡巡したように視線をさ迷わせ、それから、涙が流れるのを防ぐように上を向きました。
『僕にはラデアしかいないんだ、ラデアを失ったらきっと、僕は空っぽになる』
嘘をつけ、と、ラデアは唇を動かして吐き捨てました。
いや、あるいは真実か、と、ラデアは呟きます。
空っぽになったそこに、きっと沢山のものが入るのでしょう。だって、魔法の全く使えなかったレヴェンが、こうやすやすと念話を使えるようになっているということは、指導してくれた仲間がいるということです。
柱から外されたラデアは、後ろ手に縛られたまま、頭を出して跪かされました。まともに梳ってもいない、長い髪が、はらりと耳から落ちました。
ああ、これで終わりです。
やはり神様の予言は当たりました。
全くもって禄な死に方じゃあありません。
この期に及んで、ようやくラデアは、姉の気持ちを理解しました。
姉はきっと、人間の為に死んだのではありませんでした。姉はきっと、自分の為に自分の命を擲ったのです。
それと同じです。ラデアも、レヴェンの為という大義名分を振りかざした自分の為に、死ぬのです。
そんな、独りよがりな献身の、何と幸福なことか。
『ラデア』
レヴェンが、飛び立つ気配を感じました。
「ーーエフェカ」
ラデアは静かに囁きました。
どうせあの婆さんのことですから、一部始終を、自分に影響の及ばない、深い海底に籠ったまま見ていることでしょう。
「ーー髪の毛7本、あげるわ」
呟くと、ラデアの美しい髪が7本、正確に浮かび上がり、痛くないようにそっと抜かれると、虚空に消えました。最期に見た、エフェカの分かりにくい優しさでしょう。
瞼を下ろした拍子に、ぽた、と涙が目から零れ落ちました。
重い刃が振り下ろされた後には、何も残りませんでした。
残されたのは、小さな水たまりと、そこに浮かんだ泡沫だけ。
ーーーー人魚は死ぬと、泡になるのです。




