第三十五話 初めて見た『世界』は、随分とひねくれた目つきをした少年だった
神殿の石畳に靴音が響く。
一つ、二つ、三つ……いや、もっと。
「増えたな」
赤髪を靡かせ、ロスフランベルカは呟いた。
こんな風に、自分の足で走り続けるのは久しぶりだ。転送で行方を眩ますのも、目的地へ辿り着くのも簡単だが、それでは面白くない。
歴史に残る最後の王の逃亡劇は、美しく、そしてドラマティックでなければいけない。
……もっとも、その歴史を残すべき国が共に滅びる可能性は、大いに否定できないのだが。
一世一代の大博打だ――そんなことを考え、ロスフランベルカはあることに思い至った。
これは、『あの男』と同じ道なのではないか。
300年前、禁忌を犯してマルクレンタを三つに割り、未曾有の混乱の時代を引き起こした、馬鹿な父親と。
己の命と引き替えに起こした愚行の結末を、あの男が知ることはない。
今際にその答えに辿り着き、ロスフランベルカは嘲笑った。
(ならば、あまりにも滑稽なことではないか)
彼はもしかしたら、この国を『救った』つもりで死んでいったのかもしれないのだから。
――この石ころに縛られた、呪われた国家を。
追っ手の声が近づく。標的の姿を認め、興奮気味に反乱軍の一人が叫んだ。
「馬鹿め! そちらは祭壇の間。袋小路ではないか!」
王を馬鹿と罵る不届き者に鉄槌を下そうかと考え、やめた。愚かな者ほど、最後の時を見送る恐怖を味わうに相応しい。
最奥の間へと飛び込む。広大なホールの中央にそびえる祭壇を見上げると、勝ち誇った声が後方から飛んだ。
「第一守人よ! ここまでだ!」
振り返り、にやりと笑ってやる。悪い予感を覚えたのか、たじろぐ追っ手を尻目に、ロスフランベルカは迷わず祭壇への階段を駆け上った。
この星の中央に奉られた、巨大な紅い岩石。三つに割れたそれに巻かれた封印の鎖を、自ら外す王に、悲鳴が上がる。
「今際の王よ、ついに乱心したか!」
守人がマルクレンタに触れるのは、最大の禁忌とされている。
強い同調性を持つ霊核と守人が接触することで、この上にある神山の霊脈が活性化し、災厄を引き起こすとされているのだ。
第一守人の霊波に触れ、中央の紅き石が強い輝きを放つ。
愛おしげに、ロスフランベルカがその表面に掌を這わせると、地面が――いや、神殿全体が揺らいだ。
隕石でも落ちたかと思うような轟音が響き、天井がひび割れる。自力で立っているのも難しいような激しい地震が襲い、崩れ出す壁に、あちらこちらから悲鳴がこだました。
「いかん、このままでは神殿が……!」
「逃げろ! 生き埋めになるぞ!」
散り散りに逃げ出す追っ手の背中を見送り、ロスフランベルカはつまらなそうに鼻を鳴らした。
「フン……」
張り合いのない連中だ。
「観客がいなければ、舞台もつまらないのでは?」
耳になじむ声が耳朶を打つ。
「お前がいれば、十万の聴衆にも勝るだろう」
振り返った先の相手に笑う。
その青年は、まるで彼のいる周囲だけ別世界のように、穏やかに微笑んでいた。
「俺を止めにきたのか」
「ええ。どうやら、間に合わなかったようですが」
「城から、俺の後を追って?」
「あなたのお部屋に伺ったところ、もぬけの殻で……隠し通路らしきものが残っていましたので、そちらを使わせて頂きました。あなたのように転送を自在に操れれば良かったのですが、なかなか付け焼き刃では、うまくいかないものですね」
「……フッ、お前に看取られるなら、跡を残しておいて正解だったな」
悔しそうに眉根を寄せる弟の姿に、笑みを漏らす。
「地球人共が来ただろう。逃げる時間は与えてやったはずなのに、なぜ俺の元に戻ってきた?」
「あなたの元に戻ったわけではありません。私のせいで国が一つ滅びるのを、何の手も打たずに見過ごす気になれなかっただけです」
すでに崩れ出している天井から降る瓦礫を避けながら、駆け寄ってきた青年は、この期に及んでそんな口を利いた。
「あの二人を宇宙船に帰還させるという最大の目的が果たせた今、私にとっての優先順位が、一つ繰り上がった――それだけですよ」
すっと右手を差し出し、リアロクロエのクローンは、静かに誘いかけた。
「逃げる気はありませんか」
「お前も考えたのだろう? 俺が死ねば、この国は解放されると。このままでは、いずれこの国は滅びる。この霊核に操られた、愚かな歴史を終わらせるには、これしかない。全てを――ゼロに戻す」
「ならば、私も死にましょう」
迷いなく言った青年が、腕に巻いた時計に視線を流す。
「19時05分――タイムオーバーです。私はもう、地球には戻れません。このままこの星にいれば、私は、この国の王となるしかない。それでは、この国に解放は訪れない」
「……なるほどな」
納得し、ロスフランベルカは静かに笑った。
ロスフランベルカがこの決断をした時、リアロクロエならば必ず選ぶだろう道を、彼は選択した。
だがそこに至る理由は――やはり随分と、可愛げがない。リアロクロエならば、もっと情緒的な解答を寄越しただろうに。
そう思うと、クローンと知ってなお、弟と重なってしか見えなかった存在が――ロスフランベルカの中で、初めて別の色を持った。
それは、彼の愛した弟とは似ても似つかなかったが――それはそれで、気高く、美しい色だった。
『兄様、なぜ、僕たちが争わなければいけないのですか? なぜ、共にいてはいけないのですか? 僕は兄様と離れたくありません。守人などにならなければ、一生兄様のおそばにお仕えすることができたのに』
似ても似つかない、弱く儚い存在を――泣きじゃくる弟の小さな身体を、抱きしめたのは、いつが最後だったか。
だから、王は願いを叶えた。どんな形であれ。
多くの民が流す血の代わりに、愛しい者を閉じ込める、ささやかな幸せを選んだのだ。
目の前の身体を抱きしめる。受け入れた腕が背に回った時、ロスフランベルカは、長い間枯渇していた充足を、ようやく得たような気がした。
「――ロスフランベルカ、あなたが最後の王であったことは、この星の誇りとなるでしょう」
その心地よい賛辞を最後に、ロスフランベルカは腕の中の身体を突き飛ばした。
地揺れの続く足場で支えを失い、床に倒れ込んだ青年が、驚いたように見返す。
「何を……」
「お迎えだ」
ロスフランベルカが顎で指す。その先から、黒髪の地球人が、鬼の形相で祭壇へ続く階段を駆け上ってきた。
「てめぇ! リーアから離れろ!」
「……バーン……!?」
祭壇から見下ろす白皙に、驚愕が浮かぶ。
「地球人は、存外諦めが悪いものだな」
「バーン! あなたは一体何をして……」
責める声も聞こえていないように、彼に命を吹き込んだ男は、祭壇に辿り着いた途端、ロスフランベルカに銃を向けた。
「悪いが、そいつは俺のもんだ。欲しけりゃ他を当たってくれ」
「勝手にしろ。それは俺のリアロクロエじゃない」
バーンを見据えたまま、赤き王は冷たく突き放した。
「……ロスフランベルカ」
「お前は、そんなに強く潔くはなかった」
見開かれた目が、蒼くロスフランベルカを映し出す。
母なる惑星の、大いなる青に似た瞳。
それは、彼の求めたリアロクロエにはなかったものだ。
「優しく、脆く、弱かった。俺がいなければ、生きていけないほどに」
「それでも、あいつは死を選ばない程度には強かったぜ」
言葉よりも強く、鋭い眼差しがロスフランベルカを射貫く。
銃口を向ける男に、ロスフランベルカは静かな目を向けた。
「どんな絶望に置かれても、死よりも希望を選んだ。いつか月に帰りたいと――その願いを捨てずに生き続けた」
自分の知らない、弟の時間を知る男の眼差しを受け止める。
その向こうに、彼の人の記憶を垣間見た気がして、ロスフランベルカは満足だった。
「――俺に、会うためか。リアロクロエ……」
その言葉は、響き渡る地鳴りに消え、彼らに届くことはなかっただろう。
二人が血相を変え何事かを叫んだ瞬間、瓦礫と砂埃が視界を覆った。
※
「ロスフランベルカ!」
崩落した天井が、赤き王の姿を隠すかのように、3人の間に砂煙を上げる。
瓦礫の向こうに消えた相手の名を呼び、駆け寄ろうとするリーアの腕を、バーンが掴んだ。
「説教は後回しだ、早く逃げるぞ」
「バーン、なぜここが……」
「てめぇが考えつくことなんざお見通しだ! いいから来い!」
ともすれば担ぎ上げそうな勢いのバーンに無理矢理引っ張られ、リーアは背後を振り返りながら階段を下りた。
最後に見た王の顔には、最初に出会った時と同じ、不遜な笑みが刻まれていた。
あの時とは違う素顔を知った今でも、そこから、彼の心境を推し量ることは出来ない。
崩れ落ちるホールから逃れようと出口へ向かう最中、ふいに頭上で聞こえた破壊音に、リーアは顔を上げた。
「バーン! 危ない!」
進行方向の天井が、大きく崩れようとしていた。
いち早く察したリーアが、先を行くバーンを突き飛ばす。その拍子に地揺れに足を取られ、倒れ込んだリーアは身を起こすのが遅れた。崩れ落ちてきた瓦礫から頭を庇うのが精一杯で、全身を殴打する落石の痛みに、気が遠のく。
「リーア!」
声が届く。ああ、バーンが怒っている――薄らぐ意識の中で、そんなことを思う。
「っんの馬鹿野郎が!」
罵声が飛ぶ。どうやら、本気で怒っているらしい。
「誰が、勝手に死んでいいって言った!?」
それは、彼を落石から庇ったことに対してなのか、ロスフランベルカと共に死を選ぼうとしたことに対してか――
「お前の血の一滴まで、俺のものだってことを忘れるな! 勝手に死ぬことも、勝手に傷つくことも許さねぇ! ……糞がっ」
重い瓦礫を崩しながら、舌打ちする。その声には、言葉ほどの傲慢さはなく、ただ失うことへの焦燥と苛立ちに満ちていた。
何故だろう――リーアは疑問に思った。何故、彼はこんなに焦っているのか。何が、彼をそこまでさせるのか。その答えを知ることは、とても大切なことのような気がしたが、リーアには、もう考える力など残っていなかった。
『よぉ、俺が誰だか分かるか?』
初めて見た『世界』は、随分とひねくれた目つきをした少年だった。
『リーア、それがお前の名前』
創造主だと名乗った子供は、目覚めたばかりの生命に、名前と、約束を与えた。
『お前は俺の所有物だ。お前は俺の為だけに生きろ。絶対に俺を裏切るな。いいな?』
今思えば、あの子供は怯えてはいなかったか。傲慢さの裏で、今と同じように、失うことへの焦燥に怯えた目で、手を伸ばしてはいなかったか。
『――はい、マスター』
現実と記憶の狭間で、掴んだ手に瓦礫から引きずり出される。その力強さに安堵し、急激な眠気に襲われた。
「リーア、早く転送だ!」
「……っ」
命令に対する条件反射。そうとしか言いようのない奇跡で、リーアは薄れていく意識の中で転送を成功させた。
最接近まで後、6分25秒。




