フェンリルと、妖精の鏡
午後の澄んだ光が、石造りのマイホームの窓から差し込んでいた。
昼寝から目覚めた拓海はベッドから起き上がり、大きくひとつ伸びをする。
「あぁ、よく寝た。」
そうして暖炉の前をみて首を傾げた。
「あれ?どこに行ったんだ?」
昨夜怪我の手当てをした後、拓海特製の「草とフェアリーコットンのマットレス」のうえで丸まっていたはずの犬の姿が見当たらない。どこへ行ったのかと拓海は、羽織りを引っかけて外へと出た。
陽に照らされて輝く庭を見渡すと、すぐに見つかった。
あの『???』の苗木の前だ。初日に植えてからというもの、他の木々がすくすくと育つ中で、これ一本だけが小さな姿のまま微動だにしていない謎の苗木である。
白い犬は、その苗木に鼻先をすり寄せるようにして、悲しげに鳴いていた。
「くぅん、くうぅん……」
「その苗木がどうしたんだ?」
拓海は声をかけながら歩み寄り、しゃがみ込んでその小さな背中をそっと撫でてやった。
すると次の瞬間――頭の中に、唐突に幼い男の子のような声が直接響き渡った。
『僕のお母さんが病気でお薬が必要なんだ!』
「い、犬がしゃべった!?」
拓海は驚きのあまり、思わず腰を抜かしそうになりながら声を上げた。
すると、白い犬はぷくーっと頬を膨らませるようにして、抗議の意思露わにグルルと低く唸った。
『僕は犬じゃないよ! 強いフェンリルだよ!』
「ふぇ、フェンリル……?」
拓海は目を丸くして目の前の生き物を見つめ直した。
フェンリルといえば、異世界小説や神話に出てくる、世界を滅ぼすほどの巨大で凶暴な伝説の神獣だ。目の前でモフモフの尻尾を揺らし、お行儀よく座っているこの子犬が……フェンリル?
どう見ても結びつかない。だが、本人(犬?)がそう主張するなら、きっとそうなのだろう。
「お母さんが病気って……どういうことだ?」
『僕は子供だから詳しいことは分からないんだ。でも、この木がつける実を食べるとどんな病気も治っちゃうんだよ!』
そう言って、フェンリルは前足で苗木をチョンチョンと突いた。
しかし、いくら見つめても苗木は植えた時とまったく変わっていない。小さな葉を二枚つけたまま、静かに佇んでいるだけだ。
(どうしたら実がなるんだ? 奇跡を祈って待つしかないのか……?)
このまま庭で考えていてもらちが明かない。拓海は「ひとまず中に入ろう」とフェンリルを抱え上げ、家の中へと戻った。
その時、玄関の方から鈴を転がすような澄んだ愛らしい声が響いた。
「拓海ー!」
扉を開けて入ってきたのは、輝く羽を羽たかせた小さな妖精――シェリルだった。今朝、レインボーシェルのペアカップを愛おしそうに抱えて帰った彼女だ。
「よう、シェリル。」
昨日訪ねてきた時とは打って変わって輝くような笑顔のシェリルに、拓海は微笑みながら尋ねる。
「今日はどうしたんだ?」
するとシェリルは、待ってましたと言わんばかりに小さな胸を大きく張って答えた。
「コップのお礼を持ってきたのよ!」
そういうと、彼女は何もない空間に向かって、すっと小さな手を差し込んだ。空間が波紋のように揺らぎ、シェリルがそこから何かを引き抜く。
ズルズル……と現れたのは、なんと拓海の身長と変わらないほど巨大な鏡だった。
「わわっ!?」
焦った拓海は咄嗟に手を伸ばして受け止めようとしたが、シェリルは自分より何倍も大きい鏡を軽々と持ち上げたまま、キョトンとしている。どうやら妖精という生き物は、その可憐な見た目に反してかなりの力持ちらしい。
「あ、ありがとう……」
冷や冷やしながら改めて鏡を受け取り、拓海はリビングの頑丈な壁へと立てかけた。
じっくりと眺めてみると、実に美しい逸品だった。
鏡の縁は漆黒のツヤを放つ上質な木で作られており、そこには繊細で優美な蔦模様が緻密に彫り込まれている。そして曇りひとつない鏡面は、光の加減によってまるで水面のようにゆらゆらと揺らめいて見えた。
「これを使えば、いつだって妖精の国に来られるわ!」
シェリルは誇らしげに鼻を鳴らし、鏡の前をくるりくるりと可憐に舞ってみせる。
「妖精の国に? それはすごいな。ありがとう、シェリル」
「ふふん、どういたしまして!」
澄ました顔で胸を張るシェリルの視線が、ふと拓海の足元にちょこんと座っているフェンリルへと向けられた。
「わあ! 元気になったのね! 昨日は助けてくれてありがとう!」
『どういたしまして、君も元気でよかったよ!』
フェンリルも嬉しそうに尻尾を振る。お互いに感謝し合う二人の姿はなんとも和やかで微笑ましい。
だが、それを頼もしく見つめていた拓海は、はたと重要なことを思い出した。
「なぁシェリル、ちょっと見てほしいものがあるんだ」
◇
拓海、シェリル、そしてフェンリルの三人は、再び家の外へと出てあの苗木の前に立った。
「どうだ? シェリル、何か分かりそうか?」
シェリルは空中浮遊しながら苗木に近づき、小さな手をかざしてじーっと見つめた。しかし、やがて困ったように眉をひそめ、首をかしげる。
「うーん……私には分からないわ。ごめんなさい……」
しょんぼりと肩を落とすシェリル。
その様子を見て、フェンリルも「くうぅん」と切なさそうに小さく鳴いた。拓海の頭の中に『ダメなのかな……』という弱気な声が直接届き、拓海の胸がギュッと締め付けられる。
だが、シェリルはパッと顔を上げると、力強く提案した。
「私にはわからないけど、もしかしたら【妖精女王】なら何か知っているかもしれないわ!」
「フェ、妖精女王……!?」
思わぬ大物の名が飛び出し、拓海は驚いて目を丸くした。
一介のクラフターが気軽に会いに行っていい存在なのだろうか。しかし、縋るような瞳で自分を見上げてくるフェンリルと視線が合うと、拓海はゴクリと唾を飲み込んで腹をくくった。
「よし……行ってみよう」
拓海はすぐさま倉庫から粘土を持ち出すと、マッスルポーズを決めて『特製・粘土の植木鉢』を素早くクラフトした。
苗木を根の土ごと丁寧に掘り起こし、鉢へとそっと植え替える。
鉢を大切に抱えた拓海、その足元にぴったりと寄り添うフェンリル、そして先導するシェリル。
三人は家の中へと戻り、先ほど壁にかけた『妖精の国の鏡』の前へと立ったのだった。




