宵待ジャスミン
不吉な予感に早くも引き受けたことを後悔しつつ尋ねる。
「で? 宵待ジャスミンっていうのはどうやって手に入れるんですか?」
「はっはっは! 拓海クン! そんなこと私にわかる訳ないじゃないか!」
一切悪びれず答える筋肉。
「『宵待ジャスミンの香水を持ってきなさい! 私の香水コレクションのラストピースなの! どうしても欲しいのよ!』だそうだ! それ以外は聞く暇もなく追い出されてしまったのだよ!」
おそらくはその上司を真似ているつもりなのだろう。両手をそれぞれ胸の前でぎゅっと握り込み、わずかに上体を傾けて覗き込んでくる……暑苦しい。しかも妙に美声なのがまた勘に触った。
(コレクションの香水って……完っ全に私利私欲じゃねぇか……部下が部下なら上司も上司だな……)
嫌な予感が早くも現実となったことに拓海は頭を抱えた。
「はぁぁ……まあいいです。自分で調べますから。ユグドラシル、この森に『宵待ジャスミン』って咲いてる?」
拓海が尋ねると、ツリーハウスの壁からにゅっと小枝と葉っぱが生えてきて、葉っぱがコクリと頷いた。ユグドラシルが枝を器用に動かし、床に情報を書き記していく。
「……ふむ。『昼間は太陽の光を嫌って地中に潜り、夜になると地上に咲く』……ですか。群生地はここから少し離れた森の奥ですね」
「おお! さすがユグドラシル殿! よし拓海クン、さっそく行くと――」
「『行くと』じゃないですよ。群生地がわかったんだから、あなたが自分で摘んできてください」
「えっ」
「俺が手伝うのは『香水のクラフト』です。素材の採取まで僕にさせる気ですか? ほら、さっさと行ってきてください!」
拓海は大胸筋の背中を全力で蹴り飛ばし、ツリーハウスから追い出した。
◇
――数十分後。
トボトボと、心なしか筋肉のハリを失ってしぼんだ大胸筋が帰ってきた。手には、しなしなに萎びて黒ずんだ哀れな草の残骸が握られている。
「……拓海クン……ダメだったのだ……。摘もうとして私が近づいた瞬間、なぜか一瞬で枯れてしまって……」
(そりゃあ、こんな暑苦しいオイルまみれの筋肉が急に迫ってきたら、花だって生命の危機を感じて枯れたくもなるよな……)
あまりにも納得のいく現象に、拓海は冷めた目で深く頷いた。だが念のため、ユグドラシルに向き直る。
「ユグドラシル、なんで枯れたのか心当たりある?」
ユグドラシルは枝をゆらゆらと揺らし、床に追加の文字を刻んだ。
『宵待ジャスミンは極めて繊細であり――【臭いもの】を察知すると一瞬で枯れる』
読み上げた拓海は、ゆっくりと大胸筋へ視線を向けた。
「……」
「な、なにかな拓海クン。そんなに私のキレてる大胸筋を――」
「お前が油ギッシュで汗くさいせいじゃねえかーーーっ!!!」
拓海の絶叫がツリーハウスに木霊した。
「汗じゃない! これは聖なるプロテインの輝きなのだぁぁぁっ!」
「どっちでもいいわ!! はぁぁ……結局、俺が夜の森に行って摘んでこなきゃいけないのかよ……!」
拓海は頭を抱えて深いため息をつくと、諦めて夜の森へと出掛けた。
◇
そして、数分後――。
夜の森で『宵待ジャスミン』を見つけた拓海は、無造作に手を伸ばした。
しかし次の瞬間。
――しなしなしなっ。
拓海が近づいた瞬間、宵待ジャスミンは哀れな音を立てて一瞬で枯れ果てた。
「……え?」
固まる拓海。
「な、なんで!? 俺は汗くさくないぞ!? 『臭いもの』に反応して枯れるんじゃ――」
そこまで言って、拓海はハッと自分の服の袖に鼻を近づけた。
ツリーハウスで、あの『油ギッシュな大胸筋』に嫌というほどまとわりつかれたのだ。拓海の全身には、しっかりとあの男の油ギッシュなプロテイン臭が移っていたのである。
「い、いやぁぁぁぁぁぁっっっ!? 匂いが移ってるぅぅぅぅっ!!」
拓海は頭を抱えてその場に崩れ落ちた。
「これは大胸筋のせいだ! 俺は臭くない! 臭く……ないよな……!?」
半狂乱になりながらツリーハウスへ猛ダッシュで引き返した拓海は、天空露天風呂に大量のロローズの花びらを浮かべ、身体が擦り切れるほど洗い流した。
◇
全身からエレガントなロローズ香りを漂わせ、リベンジとして夜の森へ再突入した拓海。
今度は無事に『宵待ジャスミン』を傷一つなく大量採取することに成功した。
(ふぅ……無駄な時間を食ったが、これで香水を作ればミッション完了だ……)
ドッと押し寄せる疲労感を抱え、ツリーハウスへ戻ってきた拓海だったが――リビングの扉を開けた瞬間、激しい衝撃が視覚と聴覚を襲った。
「ゴーーーーーーーーッ……ズゴーーーーーーーッ……!!」
そこには、床に大の字になり、油ギッシュな大胸筋を波打たせながら豪快なイビキを響かせて熟睡する『筋肉の置物』の姿があった。
「……この、汗くさ脳筋野郎がぁぁぁぁっ!!」
怒りに任せて無防備な腹めがけて全力のストレートを叩き込む!
――ガンッ!!!
鈍い金属音のような打撃音が響いたが、筋肉が硬すぎてダメージはまったく入っていないようだ。大胸筋は「むにゃ……プロテイン……」と気持ちよさそうに寝返りを打つだけである。
◇
翌朝。ひきつった顔の拓海に向かって爽やかに目覚めた大胸筋は輝く笑顔で言い放った。
「はっはっは! 拓海クン、顔色が悪いぞ? 筋肉には良質な睡眠が必要不可欠なのだよ!」
「……誰のせいで寝不足になったと思ってんだ……!!」
拓海は般若のような顔で大胸筋を睨みつけると、テーブルの上に昨夜摘んできた『宵待ジャスミン』を叩きつけた。
「無駄口叩いてないで、さっさとこれを作って終わりにしますよ! ムキムキ⭐︎マジカルクラフトっ!」
「ムキーンッ!⭐︎」
眩い光とともに、宵待ジャスミンが宙に浮き上がる。
超高純度で抽出されたエキスが、美しく結晶化したガラス瓶へと注ぎ込まれ――ひとすじの繊細で神聖な香りを放つ、極上の香水が完成した。
「できた……! 『宵待ジャスミンの香水』だ!」
「待つのだ拓海クン。ダブルバイセップスの時の手首の角度はこう……」
「やかましいわ!さっさと持って行け!!それで俺のポーズと呪文を解除してくださいよ!」
「うむ! 任せておきたまえ! すぐに神界へ戻って納品してくるぞーっ!」
大胸筋は光に包まれ、意気揚々と神界へと帰っていった。
(ふぅ……やれやれ、これでようやくあの地獄の『マッスルポーズ&呪文』から解放される……!)
大胸筋の呪いにから解放される未来を思い浮かべ、拓海は清々しい笑顔で淹れたてのコーヒーを一口すするのだった。
拓海は清々しい笑顔で淹れたてのお茶を一口すするのだった。
――その、わずか3時間後。
ズドォォォォンッ!!!
ツリーハウスのデッキテラスに、上空から猛スピードで何かが激突した。激しい衝撃音とともに木々が揺れ、哀れな悲鳴が響き渡る。
「……え、なに? 隕石……?」
拓海が恐る恐るテラスの扉を開けると、そこには床の板張りにめり込み、煙を吹きながらピクピクと痙攣している『ボロボロの筋肉』があった。
衣装はズタズタ、せっかくの油ギッシュな大胸筋も煤だらけだ。
「た、拓海クン……たす……けて……」
「……なんで戻ってきてるんですか? ていうか空から降ってきましたよね?」
引きつった顔で拓海が問い詰めると、大胸筋はうめき声を上げながら顔を上げた。
よく見ると、そのテカテカした右ほっぺたには――鋭利で凶悪な『ハイヒールの踵の跡』が、くっきりと痛々しく刻まれていた。
「の、納品しに行ったらね……『昨日の夜会で他の女神がわたしより綺麗なドレスを着てたのよ!わたしの方が美人なのに許せない!【星降シルク】で作ったドレスを持って来るまで神には戻さないわ!』と……。抗議して取り縋ったら神界から蹴り落とされてしまったのだよ……。」
「……は?」




