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大胸筋、襲来!!

その日拓海はユグドラシルに新たに築いたツリーハウス型拠点で平穏を満喫していた。


かつて家がユグドラシルの爆発的急成長によって丸ごと呑み込まれた時は、どうなることかと思った。だが、すっかり目覚めたユグドラシルは拓海に懐き、枝をにゅ〜っと器用に伸ばしてはお茶のカップを運んでくれたり、日差しが強いと葉っぱで絶妙な日陰を作ってくれたりとかいがいしく世話を焼いてくれる。

たまにじゃれつくように枝でくすぐってくるイタズラもするが、実に頼もしく愛らしい。


ツリーの内部はユグドラシルが幹を変形させて作った広々としたリビングと寝室になっており、雲と同じ高さに位置する木のてっぺんには絶景の天空露天風呂。平原を一望できるデッキテラスに、自家菜園、さらにはハンモックとブランコまで完備されている。


(あぁ、幸せだ。これが平穏か〜)


ふかふかのソファーに深く腰掛け、淹れたてのお茶の香りを深く吸い込んだときだった。



――トントン。



ツリーハウスの頑丈な木の扉を、誰かがノックした。

こんな場所に一体誰だろう。不思議に思いながら扉を開けると――目の前に広がっていたのは、太陽の光をテカテカと跳ね返す、油ギッシュで圧倒的な『大胸筋』の壁だった。


「……」


拓海は無言で、静かに扉を閉めた。

バタンッ!


「あ、危ない……幻覚だ。……」


冷や汗を流しながら鍵を締めようとした拓海だったが、扉の外から「ドンドンドンッ!」と必死な叩き音が響き渡った。


『待ってくれ青年よ! 頼むから話を聞いておくれ! 私だ! 君をこの素晴らしい肉体……じゃなくて世界に導いた神だーっ!』


「絶対入れない! 帰れ! 筋肉の悪霊め!」


『頼む! 聞いてくれ! 私は今、人生……いや神生最大のピンチなのだぁぁぁっ!』


涙目で扉に全身を打ち付けてくる大胸筋の圧力に屈し、拓海は引きつった顔で渋々扉を開けた。 


◇


「……で? 神様がなんでそんな落ちぶれた格好で、うちの廊下に正座してるんですか?」


ツリーハウスの快適なリビング。かつて後光を放っていたはずの「大胸筋の神」は、今や見る影もなくヨレヨレの布を纏い、拓海の前で力なく肩を落として正座していた。


「……バレたのだ」


「は?」


「君を……上司(上位神)が管理する世界から事故で死なせてしまった挙句、そのポカを隠蔽するために私の管理するこの世界へ勝手に転生させたことが……上の神々にバレてしまってね……」


「自業自得じゃねぇか」


思わずげんなりとした声がでた。


「おかげで私は神の座を剥奪され、ただの『筋肉の浮浪者』に格下げされてしまったのだ……! 神の座に戻るためには、上司から指定された特定のレアアイテムを納品し、罪を償わなければならない。だが、今の私には神力がない……! だから拓海クン、君のクラフトスキルで私を手伝ってくれないか!?」


「嫌です。絶対嫌です。関わりたくありません」


即答する拓海に、元・神はガバッと床に額を擦り付けた。


「頼む! この通りだ!!手伝ってくれたら、お礼に毎日君の横で筋肉の素晴らしさを語り明かそうじゃないか! 朝のプロテインも作ってあげるぞ!」


「……お断りだ!帰れぇぇぇぇっ!!!」


力の限り叫んだ拓海だったがふとある考えが脳裏に浮かんだ。


「……手伝ったら、俺の頼みを聞いてくれますか?」


大胸筋がガバッと身を起こす。


「もちろんだ! 君が私のような完璧な肉体を手に入れられるよう、24時間手取り足取り素晴らしいトレーニングメニュ――」


「そうじゃねえよっ!!!」


青筋を立てて声を荒げる拓海。


「クラフトスキル発動時の! マッスルポーズと呪文! 必要ないようにしてください! そうしたら手伝ってもいいです!」


心底理解できない、という顔をしている大胸筋。


「な、なぜなんだい? 一体何が――」


「な・ん・で・も・で・す! 叶えてくれないなら手伝いません!!」


「むぅ、しかしスキルの仕様を変えるには神権が必要なのだよ……」


思わず舌打ちしそうになった。


「か、神に戻ったら必ず真っ先に叶えると約束しよう! だから頼む! この通りだ!!」


どうやらこの筋肉の置物は、引き受けない限り永遠に居座り続けるらしい。

拓海は深いため息と共に天を仰いだ。


「……はぁ。わかりましたよ。で、その上司から要求されてるレアアイテムって何なんですか?」


「うむ! 上司の女神に『宵待ちジャスミンの香水』を持ってこいと言われているのだ!」


(……香水か。もっととんでもないバケモノの討伐とかを要求されるかと思ったが、クラフトで済むならまだマシか……?)


しかし、前世で鍛え上げられた拓海の社畜の第六感が、背筋をすーっと冷たいもので撫で上げていく。

『そんな簡単に済むはずがない』――その不吉な確信だけが、夕暮れのツリーハウスに重く静かに落ちていった。


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