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おともりのやしろ  作者: Kentarou Tou / Kentarou Theater


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第7話「三人で鳴らす」


 キミが目を覚ましたのは、日が暮れてからだった。


 四時間近く眠っていた。アイコが鈴を持っているあいだ、一度も目を覚まさなかった。起き上がったキミは、自分が長く眠っていたことに驚き、それから自分の手が空であることに気づいて、青ざめた。


「鈴——」


「ここにある。大丈夫」


 アイコが三つの鈴を見せた。キミは反射的に手を伸ばしたが、アイコはそれを避けた。


「返す前に、聞いて。ケンジが見つけたものがある」


 ケンジが帳面を開き、明治十二年の記録を読み上げた。キミは膝の上で手を組んだまま、黙って聞いていた。最後まで聞き終えてから、長い沈黙があった。


「……知ってた?」


「知らなかった。でも、そうだろうなって思ってた」


「また『そうだろうな』か」


 ケンジの声に、わずかに苛立ちが混じった。キミが何かを感じるたびに「そうだろうなって思ってた」と言うのは、二年半のあいだ何度も聞いてきた言い回しだった。だが今回ばかりは、それで済ませていい話ではない。


「キミ。お前は自分で三人で持つと言った。あの湖の上で。なのに一人で全部抱えた。なぜだ」


「……分けたら、二人にも負担がかかるから」


「それを決めるのはお前じゃない」


 キミが顔を上げた。ケンジの目を見て、それからアイコの目を見た。二人の表情は違ったが、言っていることは同じだった。


「ごめんなさい」


「謝らなくていいから、鈴を分けて」


 アイコが三つの鈴をキミの前に並べた。赤い飴の鈴、裸の銀の鈴、金色の鈴。


「どれを誰が持つかは、キミが決めて」


 キミは三つの鈴を見つめた。それから、一つずつ手に取り、耳に近づけた。聞いている。鈴の中の音を。


「金の鈴は、名前が入ってる。これは私が持つ。呼んだのは私だから」


「ああ」


「銀の鈴には踊りの音が入ってる。体で覚えるもの。記録する人が持つのがいい」


 キミがケンジに銀の鈴を差し出した。ケンジは受け取り、掌に載せた。重さが来た。あの、物理的ではない重さ。太鼓の振動が腕を伝い、胸に沈む。だがキミが一人で三つ持っていたときの三分の一だ。耐えられる。


「赤い鈴は夜店の記憶。声を忘れない人が持つのがいい」


 アイコが赤い鈴を受け取った。


 掌に載せた瞬間、聞こえた。屋台の前を通り過ぎる足音。りんご飴が煮える音。面売りの風に揺れる紐の音。声はない。でも、その声がかつてあったことを示す沈黙が、鈴の中にぎっしり詰まっていた。


「重い」


「でしょう」


「キミ。これを三つ分持ってたの?」


「うん」


「馬鹿」


「……うん」


 キミが笑った。泣き笑いではなく、ただの笑い。力の抜けた、十六歳の女の子の笑い。


「でも今は一つだけ。すごく楽」


「鼻血は」


「たぶん、もう出ない。三分の一なら、持てる」


 三人は黙って座っていた。キミの部屋は狭い。六畳の和室に、机と本棚と布団。窓の外では虫が鳴いている。九月に入って、鈴虫の声が日に日に増えている。


「鳴らしてみようか」


 アイコが言った。


「三人で?」


「帳面に書いてあったでしょ。三人揃って振る時、名は正しく響くって」


 三人は向かい合った。畳の上で、三角形を作るように。各自の鈴を右手に持ち、目を合わせた。


「合図は?」


「いらない。キミが呼吸したら、合わせる」


 キミが息を吸った。吐いた。もう一度吸った。三度目の呼気の終わりに、三人は同時に鈴を振った。


 三つの音が重なった。


 赤い鈴の高い音。銀の鈴の低い音。金の鈴の、その中間にある深い音。和音になった。あの地底湖で聞いた和音と同じ——だが、もっと安定している。あのときは洞窟の反響に頼っていた。今は六畳の和室で、三人の手の中で、音が自立している。


 窓が震えた。


 部屋の中の空気が動いた。風ではない。音の振動が空気を押し、畳の目が微かに波打つように見えた。本棚の本がかたかたと鳴った。机の上のペンが転がった。


 そして、匂いがした。


 あの匂い。鳥居の向こうで嗅いだ、甘くて鋭い匂い。だが今度は怖くない。懐かしい匂いだった。知らないはずなのに懐かしい。この土地が千年のあいだ纏ってきた空気の記憶が、鈴の音に乗って六畳間に満ちている。


 音が収まった。匂いが薄れた。窓の外の虫の声が戻ってきた。


 三人は顔を見合わせた。


 アイコの頬が赤い。心臓が速く打っている。鈴を振っただけなのに、全力で走った後のような高揚感がある。


 ケンジの手帳が開いている。だが何も書いていない。ペンを持つ手が、膝の上で静かに置かれている。


「書かないの?」


「今のは、書けない。書いたら嘘になる」


「嘘?」


「言葉にした瞬間に、体で感じたものの半分が抜け落ちる。今回だけは、覚えておくだけでいい」


 ケンジが手帳を閉じた。二年半で初めてのことだった。


 キミが二人の手を取った。あの夜と同じように。右手でアイコを、左手でケンジを。


「ありがとう。もう大丈夫だと思う」


「本当に?」


「うん。三人で持てば、重くない。一人だと地底湖に引きずり込まれるけど、三人なら地面に立っていられる」


「これから、毎日鳴らすの?」


「毎日じゃなくていいと思う。でも、時々。名前が薄れそうになったら」


「それ、どうやって分かるの」


「たぶん、分かる。聞こえなくなりかけたら、体が教えてくれると思う」


「『思う』ばっかりだな」


「だって、前例がないもの」


「前例なら作る。俺が記録する」


 ケンジが手帳を開き直した。新しいページの先頭に書いた。


「鈴の分配、完了。各自一つずつ。第一回の合奏、キミの自宅にて。時刻——」


 時計を見た。午後七時十四分。


「効果。身体的——アイコ心拍上昇、キミ顔色回復、俺は不明。精神的——記述不能。今後、定期的に合奏を行い、キミの体調変化と鈴の状態を継続記録する」


「ケンジ」


「なんだ」


「やっぱりそういうとこ好き」


「黙ってろ」


 アイコが笑った。キミも笑った。ケンジは笑わなかったが、ペンを持つ手が少し緩んでいた。


 祖母が階段を上がってくる足音がした。


「キミちゃーん、お友達ごはん食べてくー?」


 三人は顔を見合わせた。


「食べてく」


 アイコが真っ先に答えた。


 階段を下りるとき、アイコのポケットの中で赤い鈴がかすかに揺れた。りんご飴の匂いがした。一瞬だけ。誰にも気づかれないほどの短さで。


 祖母の作った夕飯は、焼き魚と味噌汁と、ぬか漬けの茄子だった。キミは二杯おかわりした。先週からろくに食べていなかったのだ。ケンジは黙々と食べ、箸の持ち方が綺麗だった。アイコは味噌汁を二回おかわりし、祖母に「よく食べる子だねえ」と笑われた。


 食後、縁側に出た。月が出ていた。満月ではないが、明るい月。虫の声が庭を満たしている。


「月曜からちゃんと学校来なよ」


「うん」


「購買のメロンパン、私が取っといたげるから」


「……ありがとう」


「フエのこと、忘れないようにしないとね」


「忘れないよ。名前つけてもらったのに」


 ケンジが縁側に腰を下ろし、月を見上げた。手帳はポケットにしまったままだった。


「あの神社、どうする」


「どうするって?」


「行くだろう。また」


「行く。掃除しないと。落ち葉がすごいことになってるし」


「鳥居の扁額も、もう一回見たい。朝日が当たったときに文字が浮かんでた」


「見えるかな、また」


「分からない。でも、三人で鈴を鳴らしたら、何か変わるかもしれない」


 アイコは月を見た。あの過剰な星空を思い出した。あれはもう見られないかもしれない。祭りは終わったから。でも、鈴の中にあの夜のすべてが入っている。三人が持っている限り、消えない。


「ねえ。来週の土曜、神社行こうよ」


「掃除か」


「掃除もするけど。ただ、行きたいの。あそこに」


「俺は構わない」


「私も」


 月明かりの下で、三つの影が並んでいた。大きさも形も違う影。でも、同じ方向を向いている。


 アイコのポケットの中で、赤い鈴が温かかった。



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