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おともりのやしろ  作者: Kentarou Tou / Kentarou Theater


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第12話「冬支度と夏支度」


# 第12話「冬支度と夏支度」


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 冬が来た。


 十二月の最初の土曜、三人が石段を登ったとき、息が白かった。拝殿の縁側に霜が降りていて、雑巾で拭くと布が凍りかけた。


「来週から軍手を二重にしよう」


「あと、魔法瓶。温かいお茶を持ってくる」


「俺が買う」


「ケンジが買うとサーモスの最上位モデルになるやつ」


「機能性は重要だ」


 掃除の後、鳥居の前で鈴を鳴らした。冬の空気の中では、音の通りが違った。夏よりも硬く、遠くまで届く。山の向こう側にまで響いていきそうな、澄んだ和音。


 フエが現れた。最近は鈴を鳴らすと毎回来る。光の輪郭は少しずつ濃くなっていて、顔の造作がぼんやりと見えるようになっていた。丸い目。小さな口。前髪が額にかかっている。祭りの夜に見た幼い顔が、光の膜の下から浮き上がりつつある。


「寒いねえ」


「フエは寒さ感じるの?」


「感じないけど、みんなが寒そうだから寒い気がする」


 ソラとツチは毎回は現れなかった。名前を呼べば気配は返ってくる——石畳が微かに温まり、灯籠の影が揺れる——が、輪郭を取るまでには至らない。フエが言うには「二人はぼくよりずっと深く溶けちゃってたから、戻るのに時間がかかる」とのことだった。


「来年の夏におまつりをやろうと思ってるんだけど」


 アイコがフエに言った。


「おまつり? あのおまつり?」


「ううん。新しいおまつり。この神社で、私たちが。夜店も出して、踊りもやって」


 フエの輪郭が震えた。光の粒が散って、また集まった。


「ほんとに?」


「ほんとに。でもまだ準備が全然できてなくて。ケンジが消防法を調べてくれてるけど」


「消防法は問題ない」


 ケンジが手帳を開いた。付箋が何枚も貼られている。


「この神社は登記上、宗教法人ではない。おそらく明治の神仏分離以前から存在し、近代の登記制度に組み込まれなかった。つまり公的には『存在しない神社』だ。これは厄介でもあるが、裏を返せば神社としての規制がかからない。私有地としての使用許可があれば、小規模な催事は可能だ」


「私有地って、誰の?」


「調べた。この山の土地登記は——川島家だ」


 キミが目を丸くした。


「うちの土地なの?」


「明治三十二年の登記記録が残ってる。川島勝蔵、つまりタエの夫か、その前の世代が登記している。以降、名義変更はされていない。固定資産税は——おそらく山林扱いで課税額が極めて低いため、放置されていても問題になっていない」


「おばあちゃん、知ってるかな」


「訊いてみるべきだ。川島家の許可があれば、催事の法的障壁はほぼなくなる」


「ケンジ、いつの間にそこまで調べたの」


「先月から法務局に三回行った」


「三回?」


「一回目で登記簿の探し方が分かって、二回目で該当区画を特定して、三回目で確認を取った。ついでに消防署にも行って、露店の火気使用について確認した。小規模で調理を伴わない催事であれば届出のみで実施可能だ」


 アイコはケンジを見つめた。


「ケンジ」


「なんだ」


「本気じゃん」


「お前が言い出したんだろう」


「言っただけだよ。思いつきで。法務局に三回行くとは思わないじゃん」


「思いつきを形にするのが記す者の仕事だ」


 キミが笑った。フエも笑った。アイコはケンジの頬が赤いのに気づいたが、冬の冷気のせいだと思うことにした。


 年が明けた。


 一月は雪が降り、二週間ほど山に登れない期間があった。その間、三人はそれぞれの持ち場で動いた。


 ケンジは祭りの計画書を作った。A4用紙十二枚。表紙に「音守の社 夏祭り企画書(第一版)」とあり、日程、予算、必要物資、人員配置、タイムテーブル、雨天時対応まで網羅されている。


「これ企業のイベント計画書じゃん」


「フォーマットは市役所の地域催事マニュアルを参考にした」


「市役所……」


 アイコは広報を担当した。といっても宣伝する相手がいない。町の人に「山の上の名前のない神社で祭りをやります」と言っても伝わらない。だがアイコには一つアイデアがあった。


「学校の文化祭の出し物として提案する」


「文化祭は十月だ。祭りは八月にやるんだろう」


「そうじゃなくて。文化祭の展示で、この神社の歴史を発表するの。郷土研究みたいな形で。そしたら興味を持つ人が出てくるかもしれない。文化祭で告知して、夏に実際の祭りに来てもらう。順番は逆になるけど」


「時系列が破綻してるが、手法としては悪くない」


「褒めてるの?」


「認めてる」


 キミは祖母のシズと話を進めた。土地の件を訊くと、シズは首を傾げて奥の部屋に入り、古い木箱の中から書類の束を出してきた。


「あったあった。これだよ。おじいちゃんのおじいちゃんの代からの地所台帳。この山の分もあるはず」


 黄ばんだ書類の中に、確かに山林の所有を示す記録があった。川島家名義。ケンジの調査と一致する。


「おばあちゃん。この山であの神社でおまつりやりたいんだけど」


「おまつりかい」


「うん。夏に。友達と」


 シズは書類を畳みながら、しばらく黙っていた。それから、少しだけ目を潤ませて言った。


「タエばあちゃんが聞いたら、泣くだろうねえ」


「駄目?」


「駄目なもんかね。やりなさい。おばあちゃんも手伝うから」


 二月。雪が溶け始めた。三人は山に戻った。


 驚いた。


 石段の苔が、ほとんどなくなっていた。秋から冬にかけて毎週掃除していた成果もあるだろうが、それだけでは説明がつかないほど、石が白く清潔になっている。


 拝殿の床板が艶を帯びていた。毎週拭いていた効果ではない。木そのものが生気を取り戻したような光沢。


「名前が戻ったから、場所が元気になってきてる」


 キミが言った。


「おまつりの準備をしてるんだよ、この場所が。私たちだけじゃなくて」


 三月。桜が咲いた。


 山道の途中に、誰も気づかなかった山桜の古木があった。それが今年、花をつけた。何年ぶりか分からない。幹は苔むし、枝は捩れていたが、先端にだけ白い花が密集して咲いていた。


 四月。新学期。三人は高校三年になった。受験の年だ。だが祭りの準備は止まらなかった。ケンジの企画書は第四版になり、予算の具体的な数字が入った。


「提灯は中古を市場で買う。三十個で一万二千円。竹箒は寄付を募る。屋台の骨組みは——」


「ケンジ。受験勉強は?」


「こっちのほうが重要だ」


「……そう言ってくれるの嬉しいけど、落ちたら笑えないよ」


「落ちない。隙間時間にやってる」


「隙間時間で受験勉強するの、ケンジくらいだよ」


 五月。田植えの季節。シズが近所の人に声をかけてくれていた。


「山の上の神社でね、孫たちがおまつりやるんだって。よかったら手伝ってくれないかって」


 集落の反応は鈍かった。あの山の上に神社があることすら知らない人がほとんどだった。だが、シズの人望は厚かった。「シズさんの孫がやるなら」と、三人の大人が手伝いを申し出てくれた。元大工の老人が一人、農協の女性が一人、郵便局員の男性が一人。


「大工さんが来てくれるのは大きい。屋台の組み立てを手伝ってもらえる」


「ケンジ、もう人員配置に組み込んでる」


「当然だ」


 六月。梅雨。山に登れない日が増えた。だが晴れ間を縫って通い、鈴を鳴らし続けた。


 扁額の文字は、もう常に見えるようになっていた。古い記号のままだが、溝が深く、朝でも夕でも曇りの日でも読み取れる。キミが「音守の社」と読み上げるたびに、鳥居の木が微かに震える。応えている。


 フエの輪郭はさらに濃くなり、服の色が見え始めた。白い着物に、裸足。あの祭りの三日目に見た姿。顔は——もうほとんど見える。丸い頬。黒い目。笑うと目が細くなって、三日月みたいになる。


「ぼく、もうすぐちゃんと出てこれると思う。おまつりの日には」


「約束ね」


「約束」


 七月。夏が来た。


 祭りは八月十五日に決まった。お盆の中日。ケンジが日程の意味を調べ上げた結果、歴代の祭りもこの日に行われていた可能性が高いという結論に至った。名簿の紙片の裏に、薄い墨で「盆中」と書かれていたのが根拠だった。


 七月の最終週。準備の総仕上げ。三人と三人の大人で、石段の最終清掃を行った。提灯を縄に通して吊り下げた。屋台の骨組みを元大工の老人が組んでくれた。釘を使わない伝統的な組み方で、老人は「昔、じいさんに習った」と言った。


 農協の女性が花を持ってきてくれた。境内に飾る鉢植えと、拝殿の縁側に置く一輪挿し。


 郵便局員の男性が手書きのチラシを作ってくれた。「音守の社 夏祭り」と書かれている。五十枚刷って、集落の各家と、バス停と、郵便局の掲示板に貼った。


「五十枚かあ。何人来るかな」


「来なくてもいい。三人でやれるように計画してある」


「ケンジの計画書にはちゃんと『参加者ゼロの場合』の項目があるんだよね」


「備えあれば憂いなしだ」


 八月十四日。前日。


 三人は午後から山に入り、最後の点検をした。提灯の電池を確認し、屋台の布を張り、灯籠の蝋燭を新しくした。


 日が暮れる頃、すべてが整った。


 拝殿の縁側に座って、三人は夕焼けを見た。一年前の夏と同じ場所。でもあの頃とは全然違う。縁側は磨かれ、石段は綺麗で、鳥居には名前がある。


「明日だね」


「ああ」


「うん」


「緊張する?」


「しない」


「少しする」


「ケンジが緊張しないのは分かってたけど、キミが緊張するのは意外」


「だって、人が来るかもしれないんだよ。この場所に。私たち以外の人が」


「来てほしい?」


「来てほしい。でも、来なくても大丈夫。三人いるから」


 アイコは鈴を取り出した。赤い鈴。一年間ずっとポケットの中にあった鈴。飴のコーティングは少し透明になっていて、中の銀色が透けて見えるようになっていた。


「明日、フエに会えるかな。ちゃんとした姿で」


「会えるよ。フエがそう言ってた」


「楽しみだなあ」


 夕焼けが消えて、星が出始めた。普通の星空。あの過剰な星空ではない。でも十分にきれいだった。


 三人は下山し、明日に備えて早く寝た。


 アイコは布団の中で赤い鈴を握っていた。微かに温かい。りんご飴の匂いが、ほんのかすかにする。


 明日が来る。


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