第12話・名前
チェスターさんが出て行って、私とフェンリルさんの二人きり。
私はフェンリルさんの聞きたい事がたくさんあったのだけど、何をどうけばいいのかわからなくて、何も言えなかった。
「俺がした事は、大した事じゃねぇからな」
どのくらいの沈黙が流れただろう。
口を開いたのは、フェンリルさんの方だった。
「さっき、チェスターの馬鹿がいろいろと言ったけど、あんたが気にする事はねぇから。俺がそうしたかったからそうしただけで、本当に大した事じゃねぇから」
「大した事じゃないはず、ないじゃないですか!」
フェンリルさんが私に使った禁呪とも言える回復呪文は、下手をすれば自分が死んでしまうものなのだ。
いくら私に妹さんの面影を見たのだとしても、初めて会った相手に使う呪文ではないだろう。
「全然大した事じゃねぇよ。それを言うなら、あんたの方だ。あんたの方が、とんでもない事をしてる……」
「え?」
「あんたは自分が死にかけてるってのに、あんたを庇った俺の傷を治したんだ。あんな高度な回復呪文を使える奴、知らない。そんな呪文が使えるなら自分に使えばいいのに、俺なんかに使っちまって……」
「私が、回復呪文を?」
私に魔法が使えるの?
そう言えば、さっきチェスターさんもそんな事を言っていたような気がする。
だけど、記憶のない私にはわからなかった。
「俺だって、あんたに助けてもらったんだ。だから、俺があんたを助けるのは、当たり前だろう?」
「でも……」
私は納得できなかったけれど、フェンリルさんはこれで話を終わらせてしまった。
「ところで、あんたに提案があるんだが……」
「提案? 何ですか?」
「あのな、あんたに名前をつけようって話があってな……。本当の名前を思い出すまでの仮の名前なんだが……あんたも名前がないと、いろいろと不便だろう?」
「確かに、そうですね」
「それでな、砦の奴らが、ベリーっていうのは、どうだろうって言うんだ」
「ベリー?」
「あぁ。俺の……死んだ妹の名前なんだ……」
「妹さんの……」
フェンリルさんの亡くなった妹さんは、ベリーさんというのか。
やはりフェンリルさんは、私に亡くなった妹さんの面影を重ねているんだと思うと、少し胸が痛んだけれど、私は頷いた。
記憶を取り戻せていない私は、確かに名前がないと不便だ。
命の恩人であるフェンリルさんの、大切な妹さんの名前を貸してもらえるのは、光栄な事だと思う。
「はい、ありが……」
ありがとうございます、と言おうとした。だけど、
「いや、やっぱやめよう」
とフェンリルさんが言いだした。
「え? どうして?」
「どうしてって……あんたは俺の妹じゃねぇからさ……」
「確かに、そうですけど……」
「とは言っても、あいつら、もうあんたの事をベリーって呼び始めてるからなぁ……」
「それなら……」
それなら、妹さんの名前を貸してもらえたら、と思ったのだけど、黙って少し何かを考えていたらしい、フェンリルさんは、
「ベル、というのはどうだ?」
と言い出した。
「ベル?」
「あぁ。妹の名前に似てるが、別の名前だ。どうだ?」
「ベル……はい、ベルで、お願いします」
ベル…どこかで聞いたことがあるような気がする。
誰の名前なのかは、わからないけど、とても懐かしい。
私が頷くと、フェンリルさんは嬉しそうに笑った。
「ベルか……いいな、あんたに似合ってる気がする」
「ありがとうございます。私も、何だろう、すごく不思議な感じがします」
フェンリルさんに「ベル」と呼ばれると、胸が大きく高鳴るのは、私が彼に惹かれているからだろうか。
それとも、ベル、という名前に何かあるのだろうか。
どちらかはわからないけれど、この西の砦での私の名前は、ベルになった。




