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第10話 邂逅

 審査場の広場は、思っていたよりも静かだった。


 学院の中庭に設けられた石造りの広場。爵位維持審査の広場に比べれば小さいが、見学の人数が多い。回廊の石柱の影に、上級貴族の学生たちが並んでいる。紋章のブローチが胸元で光り、制服の質が一様に高い。その中央に、俺は一人で立っていた。


 アルベルトは別室にいる。推薦者は審査の公正性のために同席できない決まりだという。「大丈夫だよ、君なら」と言って送り出してくれたが、今この場に味方はいない。


 足元の石畳が冷たい。広場の隅では風が渦を巻き、落ち葉を一枚だけ転がしている。


 囁きが聞こえる。


「推薦元、アルベルト大公爵。カイン士爵」


「士爵? 従者枠に?」


「前例がないだろう」


 知っている。だが、ここまで来て退くつもりはない。


「始めなさい」


 審査官の声。


 目を閉じた。


 意識をアーカーシャの波に沈める。


 爵位維持審査のときとは違う。あのときは溢れた。制御しきれずに漏れ出した。今日は——見せる。俺が何であるかを。


 波を解き放った。


 抑えていた全てを。


 共振が広場を満たした。石畳が震え、見学者たちの衣服が波に揺れる。回廊の石柱が共鳴で低く唸り、壁面に刻まれた卒業生たちの名前が一瞬だけ光を帯びた。俺の内側で響いていたものが、外に流れ出していく。深い。際限がない。小さな杯に押し込めていた海が、初めて本来の姿を曝している。


 ——反応が来た。


 広場にいる全員の共振が、俺の波に反応している。だがその反応は、一様だった。


 拒絶。


 審査官が顔を青ざめさせている。見学していた学生たちが本能的に後ずさる。彼らの共振が壁を作っている。俺の波を押し返そうとしている。異物を排除しようとする、生き物としての反射だ。


 当然だろう。見たこともない深さの波が、士爵から溢れている。恐怖でなければ何だというのか。


 慣れている。いつもそうだ。俺の波は、誰にとっても「あってはならないもの」だ。


 ——と。


 一つだけ、違う反応があった。


 拒絶ではない。壁を作っていない。俺の波が届いた場所で、押し返されるのではなく——受け止められている。


 いや、違う。受け止めるという表現すら正しくない。


 共鳴している。


 俺の波に、応えている。


 視線を向けた。広場の端。回廊の石柱の横に、通りすがりのように立っている二人組の片方。


 紺色の髪。夜の闇を溶かしたような深い色。風に揺れることすら優雅に見える。そして——金色の瞳。


 その瞳が、こちらを見ていた。


 俺の波が——あの審査官すら怯えさせた波が——その瞳の前では、まるで月明かりに照らされた水面のように凪いでいた。拒絶されていない。恐れられてもいない。ただ、そこにある。あるがままに受け入れられている。


 同時に感じた。


 あの人の共振。俺の波に応えたかすかな波。それは——。


 底がない、と思っていた。俺自身の波に底がないと。だが今、初めて「底」ではなく「天」を感じている。俺の波がどれだけ深くても、あの人の共振はその遥か上にある。見上げるしかない。天上のなにか。


 月だ、と思った。


 手を伸ばしても届かない。だが確かにそこにあって、光を降ろしている。


 共振を収束させた。波が引いていく。だが身体の奥で、あの共鳴の残響がまだ響いていた。温かい。初めて感じる温度だった。



 審査官たちの議論が始まった。


「この場にいる誰もが見たはずだ。あれは士爵の生まれから出る共振ではない」


「前例がない。士爵家からの入学は認められた例がない」


「前例の問題ではありません。あれだけの共振能力を持つ者を——危険分子として管理すべきです。今年はアルティリア様もご入学なさるのですぞ」


「しかしヴィルブルーム大公爵家の推薦だ。認めないわけには——」


「アルベルト様の独断推薦です。家としての正式な決定かどうかは確認が取れていません」


 認めるか、退けるか。声が拮抗している。俺は黙って立っていた。弁明しても意味がない。ここでは共振が全てだ。それを見せた。後は向こうが判断する。


 と——広場が静まった。


 誰かが立ち上がった。


「この方の共振を、私は知っています」


 声が落ちてきた。


 穏やかで、静かで、しかし広場の隅々まで届く声。反論を許さない重みがある。だが威圧ではない。月光のように、ただそこに在る声だった。


 あの人だ。紺色の髪。金色の瞳。俺の波に、唯一共鳴した人。


「以前、爵位維持審査の視察の折に。あの共振は——偽りのものではありません」


 審査官が問いかけた。


「……姫殿下は、この者の入学をお認めになるのですか」


 姫殿下。


「事実を申し上げただけですよ。ただ——才能を前例で退けるのは、少し惜しいとは思いませんか」


 天秤が傾いた。短い協議の後、入学が認められた。


 俺は礼をして、広場を去った。あの人の姿をもう一度見ようとしたが、もういなかった。金色の瞳だけが、まだ視界の裏に焼きついていた。



 別室でアルベルトが待っていた。


 窓辺に腰かけ、茶を飲んでいる。穏やかな顔。だが俺の顔に何か読み取ったのだろう、すぐに表情が変わった。


「通ったんだね」


「ああ」


「……何かあったのかい?」


「誰かが、口添えをしてくれた」


「口添え? 僕の推薦以外に?」


「審査官たちの意見が割れていた。そこに——姫殿下、と呼ばれた人が」


 アルベルトの目が見開かれた。紫の瞳が驚きの色を帯びている。


「……まさか。アルティリア様が?」


「知っているのか」


「アルティリア・アルカゲネス。王家の末姫だよ。今年、この学院に入学なさる」


 王家の。末姫。


 ——あの月のような波を持つ人が、王女だった。


「それにしても、先ほどの共振はこっちにも届いたよ。別室にいたのに、壁越しに肌が粟立った」


 アルベルトが苦笑した。


「改めて感じたけど、君を推薦したのは間違いじゃなかった。単純な共振能力だけなら、僕より上かもしれないね」


「……買い被りだ」


「まあ、学友として負けるつもりはないけどね」


 学友。従者ではなく、学友と言った。この人は本当に——。


「アルティリア様が口添えしてくれたか。……確かに、あの方なら君の共振の本質を正しく見抜けるだろうな」


 アルベルトが少し遠い目をした。窓の外を見ている。


「僕は子供の頃に、あの方のデビュタントに立ち会ったことがある。十歳の姫君が共振を解放した瞬間——あの広間にいた全員が息を忘れた。子供ながらに、すごいものを見たと思ったよ。あれ以来、あの方の共振は僕の中で一つの基準になっている」


 デビュタント。十歳の共振。あの金色の瞳の少女が、幼い頃から別格だったということか。


「その基準から見ても、君の波は——特別だったんだろうね」


 届いた。


 あの月のような存在に、俺の波が届いた。


 名前を知った。アルティリア・アルカゲネス。


 月に手を伸ばす——その月が、名前を持った。




---


◆用語・人物紹介◆


**【アルティリア・アルカゲネス】**

アルカゲネス王家の末姫。16歳。紺色の髪に金色の瞳。共振能力は王族の中でも突出しており、「原書に最も近い存在」と囁かれる。カインの入学審査で口添えをした人物だが、カインとはまだ言葉を交わしていない。


**【入学審査の拒絶と共鳴】**

カインが共振を解放した際、その場にいたほとんどの者が本能的にカインの波を拒絶した。だが一人だけ——アルティリアだけが、拒絶ではなく共鳴で応えた。カインにとって、初めて「自分の波を受け入れられた」経験であり、初めて自分の上に「天」を感じた瞬間。


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