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第9話 月の声

 高等貴族学院の門は、王宮とは違う威圧を持っていた。


 王宮が「変わらないもの」の象徴だとすれば、学院は「これから何かが始まる場所」の空気をしている。石造りの校舎は古く、しかし記述によって保たれた壁面には歴代の卒業生たちの記録が刻まれている。セレネシアの歴史を動かしてきた貴族たちの名が、廊下の至るところに。金文字が壁面に浮き上がり、陽光を受けて淡く光っていた。


 門の両脇には鋳鉄の灯篭が立ち、その中で小さな魔法の炎が昼でも灯されている。夜には校舎全体を照らすのだろう。正門のアーチには学院の校章——開かれた書物と剣を組み合わせた意匠——が石に彫り込まれている。


「姫殿下、お足元にお気をつけくださいませ」


 隣を歩くシャルロッテが、石段の先を指した。ユリシーズ侯爵家の第四令嬢。琥珀色の髪を低い位置で結い、瑠璃色の瞳が冷静な光を湛えている。私の従者であり、幼い頃からの——何と呼ぶのだろう。友人、とは少し違う。主従、というには近すぎる。


「大丈夫ですよ、シャルロッテ。転びはしません」


「転びはしなくとも、初日からお姿を崩されるのはいただけませんの。上級貴族の皆様がお集まりですもの」


 シャルロッテの目は既に周囲を観察していた。門をくぐる学生たちの家紋、衣装の質、付き添いの数。侯爵家の娘として、誰が誰で、どの派閥に属しているかを即座に把握しようとしている。この人は昔からそうだ。情報を集め、整理し、脅威を予測する。それが彼女なりの「守り方」だ。


「随分と情報を集めていますね」


「当然ですわ。姫殿下をお守りするのがわたくしの役目ですもの」


 守る。その言葉にどこまでの意味があるのか——考えても仕方がなかった。シャルロッテは私を好いてくれている。それは確かだ。ただ、その好意とユリシーズ家の利害を、彼女自身も切り離せていないのだろう。


 それでも、この人がいなければ私はもっと息苦しかった。



 入学の手続きは私たちにとって形式的なものだった。王族と従者枠は事前に確定しており、審査など必要ない。


 手続きを終え、校舎を案内される途中で、中庭の広場にざわめきが聞こえた。


「あちらで入学審査をやっているようですわ」


 シャルロッテが足を止めた。瑠璃色の瞳が光っている。


「少し見ていきませんこと? どのような方々が同期になるのか、把握しておきたいですの」


 情報収集。シャルロッテらしい理由だった。私にとっても、同世代の記述者たちの共振を見る機会は貴重だ。王宮の鍛錬室では得られないものがある。


「……少しだけなら」


 広場の端に立ち、審査を眺めた。中庭は回廊で囲まれており、石柱の影から見学する者も多い。一般コースと従者枠の学生たちが順番に審査を受けている。共振能力を解放し、どれだけの力があるかを見るというシンプルなもの。シンプルであるがゆえに、ごまかしが効かない。


 侯爵家、伯爵家、子爵家。それぞれの血の記述に見合った共振を示し、審査官が淡々と記録していく。


「順当ですわね。特筆すべき方はいらっしゃいませんの」


 シャルロッテが小声で評した。私も概ね同感だった。整然とした波。教育の成果として磨かれた、予測の範囲内の共振。


「次。従者枠。推薦元、アルベルト大公爵。カイン士爵」


 ざわめきが走った。


「士爵ですの?」


 シャルロッテが眉を上げた。周囲の学生たちも同様に反応している。士爵が高等学院に。前例がない。回廊の見学者たちが身を乗り出した。


 広場の中央に、一人の青年が歩み出た。


 金色の髪。


 ——あの審査場の。


 私の身体が反応した。まだ共振は始まっていない。なのに、あの日の記憶が身体の奥から甦ってきた。溢れた波。天井のない共振。可能性の波。指先が冷たくなり、心臓が速まるのを感じた。


「姫殿下? どうかなさいましたの?」


「……いいえ。何でもありません」


 審査が始まった。


 青年が意識を沈め、共振能力を解放する。


 ——広場の空気が、変わった。


 アーカーシャが溢れ出す。それは審査場の石畳を震わせ、見学していた学生たちの髪を揺らし、広場の隅々まで浸透していった。回廊の石柱が共振で低く唸り、壁面に刻まれた卒業生たちの名が一瞬だけ明るく光った。


 審査官の顔色が変わった。公爵家から派遣された審査官の一人が、目に見えて顔を青ざめさせている。


 この場にいる誰もが、本能で悟ったはずだ。


 あの波の深さは——この場にいる誰よりも、深い。


 審査官だけではない。見学していた上級貴族の学生たちが息を呑み、後ずさる者さえいた。士爵の生まれから、これだけの共振が出るはずがない。あり得ない。だが、目の前で起きている。


 青年は黙って立っている。碧い目が、静かに審査官を見据えていた。


 共振が収束した。広場に静寂が落ちる。


 審査官たちの間で、すぐに議論が始まった。


「……前例がない。士爵家からの入学は認められた例がない」


「それ以前に、あの共振は異常です。士爵の生まれであの深度——何らかの不正を疑うべきでは」


「しかし、ヴィルブルーム大公爵家の推薦ですぞ。認めないわけには——」


「アルベルト様の独断推薦であって、家としての正式な決定かどうか不明です」


「不正がないとしても、あれだけの共振能力を持つ者を——危険分子として管理すべきではありませんか。今年はアルティリア様もご入学なさるのですぞ」


 認めるべきか、退けるべきか。意見が拮抗していた。


 私は審査官たちの議論を聞きながら、あの波のことを考えていた。


 不正ではない。あの波は、偽れるものではない。あの日——爵位維持審査の広場で溢れた波と同じだ。天井がなく、底が見えず、あらゆる可能性を内包していた。


 あの波を、「前例がない」という理由で退けるのか。「危険だ」という理由で閉じ込めるのか。


 それは——。


 私は立ち上がっていた。


 広場が静まった。末姫が口を開くことの重みを、全員が理解している。シャルロッテが「姫殿下——」と声をかけたが、もう止まれなかった。


「この方の共振を、私は知っています」


 自分でも驚くほど、穏やかな声が出た。


「以前、爵位維持審査の視察の折に。あの共振は——偽りのものではありません」


 審査官の一人が慎重に問いかけた。


「……姫殿下は、この者の入学をお認めになるのですか」


「事実を申し上げただけですよ。ただ——」


 言葉を選んだ。穏やかに、しかし反論の余地がないように。


「才能を前例で退けるのは、少し惜しいとは思いませんか」


 天秤が傾いた。


 審査官たちが顔を見合わせ、短い協議の後——入学が認められた。



「姫殿下」


 広場を離れると、シャルロッテが待ち構えていた。声は低く、しかし丁寧だった。瑠璃色の瞳に、いつもの情報収集とは違う真剣さが浮かんでいる。


「あの方に、お心当たりがおありでしたの?」


「……少しだけ。審査場で波を感じたことがあるだけです」


「それだけで、王女のお立場から口添えを? 兄上方の派閥が、姫殿下が士爵の人間に肩入れしたと受け取る可能性がありますわ」


「わかっています」


 わかっている。わかっているのに、声が出た。


 あの波を、書類上の理由で退けることが正しいとは思えなかった。


 広場の隅で、青年が審査官に一礼して去っていくのが見えた。金色の髪が風に揺れる。こちらを見たかどうかは、わからなかった。


 カイン士爵。


 ……なぜ、あんなことをしたのでしょう。自分でも、よくわかりませんでした。


 ただ、あの波をもう一度感じられるかもしれないという予感だけが、胸の奥で小さく灯っていた。




---


◆用語・人物紹介◆


**【高等貴族学院】**

一部の貴族のみが通える上位教育機関(16〜18歳)。王都の最上位校が最も格が高い。入学審査は共振能力の解放というシンプルな形式で行われるが、シンプルであるがゆえにごまかしが効かない。


**【シャルロッテ・ユリシーズ】**

ユリシーズ侯爵家の第四令嬢。16歳。琥珀色の髪に瑠璃色の瞳。アルティリアの従者枠として高等貴族学院に入学。代々王家に仕えてきた侯爵家の出であり、アルティリアとは主従かつ幼馴染のような関係。有能で情報収集に長け、アルティリアの立場を政治的にも守ろうとする。お嬢様口調(「〜ですの」「〜ですわ」)。


**【カインの入学審査】**

士爵家からの高等貴族学院入学は前例がない。カインの共振能力は審査場にいた全員を圧倒するものだったが、その異常さゆえに「危険分子」として退けるべきとの声もあった。アルベルト大公爵の推薦と、アルティリアの一声で認められた。


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