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「断罪の令嬢 ― 弁護士の記憶が織りなす逆転劇」  作者: 月白ふゆ
第五章

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第九話 椅子の脚が見える

椅子そのものは、まだ見えない。


見えるのは脚だ。

脚は床に触れている。床に触れているから、痕跡が出る。

痕跡が出るから、たどれる。


顧問室の机の上には、例外運用整理表が置かれていた。

治安局の受領印。R-14の回覧番号。統括確認の欄。会監の略号。

ここまでは、入口だ。入口が見えただけでは椅子は倒れない。倒れるのは脚だ。脚を折るには、脚がどこへ刺さっているかを出さなきゃいけない。


リリアナは整理表を開き、更新履歴の頁だけを抜き出して並べた。

更新理由は毎回同じ顔をしている。


臨時。暫定。安全。円滑化。

その言葉が重なるほど、理由は軽くなる。理由が軽くなるほど、期間は伸びる。伸びた期間は、もはや例外ではない。


エルナが言った。


「この例外、終わりが書かれていません」


「終わりを書かないのが目的です」


リリアナは淡々と返し、更新履歴の欄外を指した。

そこに小さく、更新日が並んでいる。

更新日は規則的だ。月の端、週の端、そして“何かが起きた日”の翌日。


「終わりがないなら、更新が終わりです。更新する限り終わらない」


更新する限り終わらない。

つまり、更新者が支配している。


ルークが新しい束を持ってきた。

ミレイアの店で起きた「欠番」の控え。

受領印拒否、案内のみ、提出扱いにせず。

そして、内務記録局の下役が残した「台帳欠番:二八→三一」のメモ。


「欠番のところ、日付を拾えます」


ルークはそう言って、小さな表を机に置いた。

欠番日付一覧。手書きだが十分だった。

欠番が発生した日、受領印が拒否された日、閲覧区分が変わった日、協力契約書が差し替えられた日。

全部が一つの線でつながるように、日付が並べられている。


「この欠番、発生が三回」


ルークが言う。


「一回目、契約差し替えの前日。二回目、閲覧区分再整理の当日。三回目、例外運用整理表の提出直前」


欠番は偶然に起きることもある。

でも、偶然ならば“こういう日”に集中しない。

集中するのは、何かを隠す必要がある日だ。


エルナが小さく息を呑んだ。


「欠番は、削った日ですか」


「削ったか、差し替えたか」


リリアナが言った。削る方が簡単に見えるが、実は差し替えの方が多い。差し替えると番号が飛ぶ。飛ぶ番号を整えるには、統括が要る。統括が要るなら椅子が要る。


リリアナは整理表の承認線を指で追った。

治安、税務、許認可の印が並ぶ。

その後ろに統括確認。会監。

その欄の朱の濃淡が、どの頁も同じ。押し込みが同じ。位置が同じ。


「押印の癖が固定です」


ルークが言う。


「固定ということは——」


「押す人が固定か、押す場所が固定か。どちらでも、結節点は固定」


結節点が固定なら、動線は固定される。

動線が固定なら、そこへ紙が必ず通る。

通るなら、そこが脚だ。


リリアナは欠番日付一覧を整理表の横に置き、更新履歴の更新日と重ねた。

重ねると、気持ち悪いほど揃った。


欠番が出た日と、例外更新が入った日が一致している。

しかも、欠番が出た日の翌日には必ず「統括確認済」の更新印が押されている。

欠番を作って、整えて、更新する。

順番がある。順番があるなら手順がある。手順があるなら責任者がいる。


「欠番は帳尻です」


リリアナが言った。


「例外を更新するたびに、帳尻が必要になる。帳尻を取るために、紙が消える。消えた紙の分だけ、例外が延命する」


例外は延命する。

延命するほど、例外の利益が増える。

利益が増えるほど、窓口が太る。


ルークが次の束を出した。

治安協力商会の協力契約書。差し替え版。利益欄に赤鉛筆の囲み。

許認可再点検の簡素化。納付猶予の優先。窓口一本化。監視札解除の調整。


「ここです」


ルークは利益欄を指で押さえた。


「この利益、例外整理表のどれと繋がるかを見ます」


リリアナは整理表の「適用範囲」を開いた。

そこには、対象が書かれている。

“協力事業者”。

協力事業者に対しては簡素化、猶予、優先。

非協力事業者に対しては再点検、前倒し、確認強化。


契約の利益欄は、整理表の適用範囲と一致していた。

一致しているのが怖い。契約がただの契約ではない。例外の適用範囲を作る装置だ。


「これ、契約で例外の対象を作ってますね」


エルナが言った。


「ええ。例外の要件が曖昧でも、協力契約があるかないかで運用できる。運用しやすい。だから商会は受け皿になる」


受け皿。

受け皿は権利を集める。

権利が集まれば椅子が太る。

太い椅子は倒しにくい。だから脚を折る。


リリアナは契約書の「窓口一本化」の条項を開き、整理表の「代替手続」の欄へ指を移した。


代替手続:統合窓口を通すこと。

要約版を原則とする。

原本閲覧は個別許可。

許可者:所管部署長、または統括確認者の承認。


ここで、脚が見えた。

統括確認者の承認。

承認する者がいる。

その者が個別許可に関与している。

関与しているなら、所管部署長とは別の椅子だ。


「所管部署長の個別許可、って言いながら、統括確認が付いている」


ルークが言う。


「つまり、部署長の上に、もう一つ判断がある」


リリアナが言葉を引き取った。


「それが脚です。上にある判断が、現場の速さを作っている。速さの根拠がそこにある」


速さは正義として使われる。

軍でも、税でも、許認可でも。

速さを正義にするには、止める人間が必要だ。止める人間がいると、止めた痕跡が残る。痕跡は承認線になる。


リリアナは欠番日付一覧に目を落とし、ひとつだけ日付に丸をつけた。

閲覧区分再整理の日。R-14-241。

その日、欠番が出ている。

その日、例外更新が入っている。

その日、商会の契約が差し替えられている。


三つが同時に動く日。

同時に動くなら、同時に動かす人間がいる。


「この日、誰が動かしたかを出します」


ルークが頷く。


「どうやって」


「紙で」


リリアナは短い照会文を書いた。

宰相府でも治安でもなく、差出先は内務記録局。閲覧区分を再整理した差出元だ。


――閲覧区分再整理(R-14-241)の決裁経路を示されたい。

――当該措置に関し、統括確認を行う者の役職名を示されたい。

――示されない場合、統括確認の存在は不明確となり、要約版の正当性が担保されないため採用しない。


採用しない。

またこの言葉だ。

相手が嫌うのは拒否ではない。採用基準だ。採用基準は相手の顔を傷つけない。傷つけないから、相手は“正当な事務”として答えざるを得なくなる。


夕方、返答が来た。

返答は短かった。短い返答は危険だ。危険だから短い。


――統括確認は運用上の手続に過ぎない。

――統括確認を行う者は、関係部署の運用補佐官である。

――役職名の詳細は運用上の安全のため差し控える。


運用補佐官。

初めて、役職が出た。

名前ではない。役職だ。役職は椅子の部品だ。

部品が出た瞬間、椅子は物になる。


リリアナは返答を机に置き、静かに言った。


「出ましたね」


「出ました」


ルークが答え、すぐにメモを取った。

“運用補佐官”。

この言葉が、これから繰り返し出る。繰り返し出れば、役職は固定される。固定されれば、誰かがそこに座る。


エルナが返答の下欄を見た。


「会監の認印が付いています」


会監。

また略号。

略号は内部の言葉だ。

内部の言葉が外へ落ちるのは、急いでいる証拠だ。


リリアナは欠番日付一覧を見直し、今度は“運用補佐官”の出た日付に丸をつけた。

欠番が出た日と同じ日だ。

一致した。

一致したなら、脚は床に触れている。


「椅子の脚が見えました」


リリアナが言う。声は軽い。軽いのに、背中が冷える。


「次は、脚の長さを測ります」


長さを測る。

つまり、どこまで手が伸びているかを見る。

徴発、課税、許認可、治安協力商会。

全部が一本線で繋がるなら、その線の起点は一つだ。


起点へ辿るのに必要なのは、もう声ではない。

日付。番号。承認線。欠番。

そして、運用補佐官という椅子の部品。


部品が出た以上、椅子は倒れる。

倒れるのはまだ先でも、脚はもう見えている。

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