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「断罪の令嬢 ― 弁護士の記憶が織りなす逆転劇」  作者: 月白ふゆ
第五章

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第十話 目的は治安ではなく権利

目的は治安ではなく権利


「治安のため」という言葉は、よく働く。


誰も反対しにくい。反対すると悪く見える。悪く見えた人間が先に削られる。

だから、言葉としては万能だ。万能な言葉は、何かを隠す時に使われる。


隠されているのは、だいたい金ではない。

金は目立つ。

本当に怖いのは、権利だ。

権利は目立たないまま、椅子を太くする。


顧問室の机の上に、今日の材料が揃っていた。

例外運用整理表。欠番日付一覧。治安協力商会の協力契約書。

そして、薄い一枚の紙――徴発に関する「委託仕様書(案)」。


薄い紙なのに重い。

仕様書が出た時点で、現場の「確認」では終わらない。

物は動き、権利が動く。


ルークが紙束を並べ、指で順番を示した。


「徴発の協力要請が最初。次に、調達の仕様が出る。仕様が出ると入札が出る。入札が出ると権利が出る。権利が出ると、窓口が受け皿になる」


窓口。

支援窓口と呼ばれていた場所が、いつの間にか“受け皿”に変わる。

その変わり方が、いちばん静かでいちばん汚い。


ミレイアが持ってきたのは、店に届いた「協力契約書」の差し替え版と、同封されていた小さな案内だった。

案内は丁寧で、こう書いてある。


「協力事業者は、地域安全のための物資調達手続を円滑に行うことができます」


円滑。

またその言葉。

円滑は、例外の合言葉だ。


リリアナはまず、徴発の紙を開いた。

指定品目は布地、糸、針金具。

そして、欄外に小さく書かれている。


「調達は治安協力商会経由で行うことがある(念のため)」


“ある”。

断定しない。責任を置かない。

でも、書いた時点で既に動線を作っている。


次に仕様書。

表題は役所名義だが、書式が商会の契約書と同じ罫線だった。

下欄の回覧番号はR-14。

そして、発注先欄にこうある。


「協力窓口(準備室)にて取りまとめ」


準備室。

商会はまだ“準備”の顔をしている。

準備の顔は便利だ。責任が曖昧でも許される。

曖昧でも動けるのが準備室の強みで、その強みは必ず悪用される。


リリアナは仕様書の中段を指で押さえた。


「ここ」


そこには、短い条項がある。


「固定委託を認める」


固定委託。

この言葉が出た瞬間、治安は消える。残るのは権利だ。


条項はこう続く。


――臨時措置期間中、物資調達の迅速化のため、治安協力商会への固定委託を認める。

――当該固定委託は、例外承認に基づく。


例外承認。

ここで、例外運用整理表と繋がった。

整理表は“安全と円滑化”の顔をしていた。

仕様書は“迅速化”の顔をしている。

顔は違う。だが、骨は同じ。例外承認の一本線。


ルークが静かに言った。


「入札が消えます」


「ええ」


リリアナは次の紙を開く。

入札に関する通知――ではない。入札“免除”に関する通知だった。


「入札手続の簡素化(臨時)」


簡素化。

簡素化は選別だ。

そして、簡素化の先に残るのは、固定委託。


免除理由の欄には、きれいな言葉が並んでいる。


・地域安全維持のため

・迅速な物資確保のため

・現場の混乱回避のため

・統合窓口による一元管理のため


最後に一行。


「当該措置は、治安協力商会(準備室)を通じて行う」


通じて行う。

つまり、商会が“入口”になる。入口になれば、商会が“出口”にもなる。

入口と出口を握れば、途中の権利も握れる。


ミレイアは紙を見て、顔が硬くなった。


「……うちが削られたの、ここに繋がるんですか」


「繋がります」


リリアナは答えを濁さなかった。

濁すと慰めになる。慰めは今いらない。必要なのは、筋だ。


「徴発の協力要請は、善意のお願いではありません。調達権の入口です。入口を作り、入札を消し、許認可を連動させる」


リリアナは契約書を開いた。利益欄の赤い囲み。

許認可再点検の簡素化。納付猶予の優先。窓口一本化。

それらは店のための利益ではない。商会を通すための餌だ。


「契約を結ぶと、あなたは“協力事業者”になります」


ミレイアが黙って頷く。


「協力事業者になると、許可更新が簡素化される。納付猶予が優先される。つまり、役所側の負担が減る。負担が減るなら、商会を通す流れが強くなる」


そして、次が本題だ。


リリアナは仕様書の末尾を見せた。

そこには商会の住所がある。

王都治安協力商会(準備室)。

王都の中心部。治安局の裏手。役所街に近い場所。

民間の顔をしながら、役所の呼吸が届く場所だ。


「住所がここにあるのが決定的です」


ルークが言う。


「民間の窓口が、役所街に固定されている。しかも、代表印が押されている」


代表印。

商会の代表印が、役所文書に押されている。

本来なら逆だ。民間が役所の印をもらう。

役所が民間の印を使い始めた時点で、権利の受け皿として扱っている。


リリアナはその印の朱の濃淡を見た。

例外整理表の統括確認欄に似ている。

同じ濃さ。押し込み。同じ癖。

癖は、椅子の脚へ繋がる。


「治安協力商会は、支援窓口ではありません」


リリアナが言った。声は淡々としている。


「調達権の受け皿です。入札免除の理由を抱え、固定委託の条項を持ち、許認可と税の猶予を餌にして協力事業者を増やす。協力事業者が増えるほど、商会の権利が太る」


太るのは金ではない。権利だ。

権利が太れば、椅子は倒れにくい。

だから、脚を折る。脚は承認線だ。


ミレイアは喉を鳴らして言った。


「私の店、協力事業者にならないと潰れるようにされてる」


「そう見えるようにされています」


リリアナは言葉を慎重にした。“されている”ではなく、“そう見えるように”。

ここが重要だ。

実際に潰すのではない。潰れる条件を積む。積まれた条件で、こちらが自分から契約に手を伸ばす。

自分から伸ばした手は、断ちにくい。


ルークが欠番日付一覧を指した。


「欠番の日付、ここです。入札免除の通知が出た日と一致します」


一致。

偶然ではない。

入札免除が出る日に、台帳が欠ける。

欠けるのは、免除の根拠を“見せない”ためだ。


「欠番は帳尻です」


リリアナが言った。


「免除の理由が弱いほど、帳尻が必要になる。帳尻を取るために、紙が消える。消えた紙の分だけ、権利が移る」


移る先が商会だ。

商会が受け皿になれば、権利が溜まる。溜まった権利は、元の場所に戻らない。


夕方、ミレイアの店に使者が来た。

顧問室ではなく店へ。

こういう時、相手は直接生活を押す。


封筒は厚い。紙質が良い。契約だ。

封を開けると、協力契約書の“本番”が入っていた。下書きではない。署名欄の余白が広い。広い余白は、署名させる気の余白だ。


そして、同封の短い紙。


「本契約は任意ですが、協力が得られない場合、営業許可の再点検および一時停止を含む措置を検討します(念のため)」


検討。

措置。

一時停止。

言い方は丁寧で、脅しの刃だけが鋭い。


ミレイアは息を吐き、顧問室へ持ち込んだ。

机に置くと、紙が重い音を立てた。

紙は音を立てないはずなのに、立てる時がある。

立てるのは、人の心を狙う時だ。


リリアナは契約書を開き、脅し文を読み、すぐ閉じた。

そして、仕様書と入札免除通知、例外整理表を横に並べた。

並べると一本線になる。


「反撃ですね」


ルークが言う。


「ええ。こちらが権利の線を掴んだから、生活の線を締めに来た」


リリアナはミレイアを見た。目を見て、短く言った。


「署名しない」


「……はい」


「署名しない代わりに、署名を迫った事実を残します。営業停止の示唆は、根拠を問います。問って、答えない形を取らせます」


ミレイアは頷いた。怖いが、頷ける。

頷けるのは、怖さの正体が少し見えたからだ。

治安ではない。権利だ。

権利の移転が目的なら、こちらが握るべき紙は変わる。


リリアナは白紙に、次の照会文の骨格を書いた。


・固定委託の根拠

・入札免除の例外理由の提示(原本)

・商会代表印の使用根拠

・許認可停止の法的要件

・措置検討の決裁経路


どれも、相手が嫌う問いだ。

問いが嫌なら、答えない。

答えないなら、答えない痕跡が残る。

痕跡が残れば、椅子の脚が折れる。


外は暗くなっていた。

けれど顧問室の机の上だけは明るい。

明るい机の上で、治安という言葉がだんだん薄くなる。

薄くなった代わりに、権利という形が濃く見えてくる。


椅子は、権利でできている。

だから脚も、権利の方へ伸びている。

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