第八話 例外の一覧
相手が「一覧は存在しない」と言い切った時点で、こちらの仕事は決まっていた。
存在しないなら、作らせる。
作らせて、受領印を押させる。
押させた瞬間、存在しないは終わる。終わるのは相手の逃げ道だ。
リリアナは朝一番、顧問室の机に白紙を一枚置き、必要な項目だけを列挙した。文章ではなく箇条書き。箇条書きは逃げにくい。逃げにくいものほど相手は嫌う。
・例外の名称
・発動根拠(規定名・番号)
・発動者(役職)
・適用範囲(対象と地域)
・適用期間(開始・終了)
・更新条件(更新者・更新頻度・更新理由)
・代替手続(通常手続が停止する条件)
・記録保存(保存先・閲覧ログ)
一枚に収まる量にした。
一枚に収まると、こちらの要求は「過剰」に見えない。
過剰に見えない要求を拒否するには、理由が要る。理由が要ると痕跡が残る。残った痕跡は、次の刃になる。
エルナが封筒を差し出す。
「宰相府から。殿下は午前も呼ばれています」
ユリウスはまた足を止められる。
だからこそ、紙で動かす。
止められるたびに、相手は「殿下が不在のうちに」処理を進めようとする。進めようとすればするほど、整いすぎが増える。
リリアナは頷き、封を切らずに横へ置いた。今やるのは反応ではない。先に置く条件だ。
ルークが机の端に、昨日の動線図と異動辞令の控えを並べた。
内務記録局の下役は保全班へ。回覧から切断。
切断された時点で、声は消える。
けれど頁番号は残った。頁番号は動線に繋がった。動線が繋がれば、次は一覧だ。
「出しますか」
ルークが確認する。
「出します。統合窓口ではなく、差出元に」
「内務記録局へ?」
「いいえ。連名で抗議文を出してきた三部署へ。それぞれに同じものを出す」
同じものを出す。
相手が揃えるなら、こちらも揃える。
揃えた上で、差し出し先を分ける。分けると、どこが責任を持っていないかが見える。
責任を持っていない部署は、必ず窓口へ流す。流すと、その流れが証拠になる。
リリアナは白紙を取り、短い文章に落とした。否定はしない。条件を置くだけだ。
――臨時運用期間中に発動された例外について、運用の透明性確保のため一覧の提示を求める。
――一覧の形式は別紙項目のとおり。
――「一覧が存在しない」との回答があったため、存在しない場合は作成者・作成根拠・作成不能の理由を示されたい。
――期限:三日以内。受領印のある形で回答されたい。
最後の一文が効く。
受領印。
相手が嫌うのは、存在を確定されることだ。存在を確定されると、後で“なかった”にできない。
封筒を三通作り、差し出す。
治安局。税務局。許認可監理局。
同時に出す。同時に出すと、返答の揃い方も見える。揃い方が見えれば、統括がいるかどうかが浮く。
その日の昼過ぎ、返答が来た。
三通揃って。
揃っていることがまず怖い。
揃っている返答は、どこかで一度まとめて書かれている。
まとめて書かれる場所がある。場所があるなら椅子がある。
返答の文面は丁寧だった。丁寧な拒否だ。
――例外承認一覧は存在しない。
――各案件は所管部署の現場判断により処理している。
――一覧を作成することは運用上の安全のため不適切。
――統合窓口を通じて照会されたい(念のため)。
「運用上の安全」。
またその言葉。
安全は万能だ。万能だから、便利に使われる。
リリアナは返答を机に並べ、下欄を見た。回覧番号。
三通とも、番号が同じ束にいる。
違う部署の返答なのに、同じ束。
返答すら統合されている。
リリアナは笑わない。
笑うと勝利っぽくなる。勝利っぽくすると、相手が引く。引かれると痕跡が減る。
痕跡が減るのが一番困る。
「もう一段」
リリアナは短く言った。
「一覧が存在しないなら、一覧がなくても説明できる形にしてください」
ルークが頷く。次は、質問の形を変える。
“一覧を出せ”は拒否できる。
“一覧がないなら、なぜ統合窓口が必要なのか”は答えにくい。
答えにくい問いは、相手に紙を増やさせる。
リリアナは新しい照会文を書いた。
――統合窓口を指定する根拠規定を示されたい。
――統合窓口が扱う案件の範囲を示されたい。
――統合窓口が作成する要約版の作成基準を示されたい。
――上記が示されない場合、統合窓口による処理は責任の所在が不明確となるため採用しない。
「採用しない」。
この一言は強い。
拒否ではない。採用基準だ。採用基準なら、顧問室の権限の範囲で言える。
相手が嫌うのは、顧問室が“採用しない”と言える状態になることだ。
その翌日、治安局から別の紙が届いた。
照会票ではない。案内でもない。
表題が重い。
「例外運用整理に関する照会(協力)」
協力。
協力という言葉が、ここで初めて“こちらへ寄せる”ために使われている。
つまり、相手が面倒になってきた。
封を切ると、文面はこうだった。
――貴室の照会に対応するため、関係部署間で例外運用の整理を開始した。
――整理表の様式案を添付する。必要項目の追加があれば申し出られたい。
――ただし、本整理は臨時運用の円滑化を目的とし、責任追及を意図しない。
――受領印をもって提出とする。
受領印。
相手の方から言った。
言った瞬間、こちらは勝ちやすくなる。相手が自分の手で縄を掛けたからだ。
添付されたのは、薄い表だった。
「例外運用整理表(案)」
欄は、リリアナが最初に出した項目とほぼ一致している。
一致していることが怖い。こちらの要求を読んで、そのまま写した。
写したということは、読まれている。読まれているということは、効いている。
リリアナは表を眺め、すぐに赤鉛筆で二箇所だけ追加した。
「承認線」
「更新履歴」
承認線がなければ、責任が散る。
更新履歴がなければ、常態化が隠れる。
どちらも、相手が一番隠したいところだ。
ルークが言った。
「これ、出してきたのは治安局です」
「ええ。責任を一番外に置ける部署です。治安は“安全”で押せる」
「税務や許認可が前に出ないのは」
「責任を置きたくないからです」
責任を置きたくない者ほど、窓口に流す。
窓口が民間ならなおさらだ。
その日の夕方、顧問室にミレイアが来た。
顔は疲れている。だが目は昨日より澄んでいる。目が澄むのは、苦しいまま決めた時の目だ。
「また差し替えが来ました」
「契約書ですか」
「はい。治安協力商会の。利益欄が増えてます。あと、窓口に行けって」
ミレイアが出したのは協力契約書の差し替え版。
利益欄が丁寧で、根拠欄が曖昧。いつもの癖。
そして文末の「念のため」。
リリアナはそこを見ず、署名欄を見て、すぐに閉じた。
「今は署名の話をしません」
「……はい」
ミレイアは頷く。
頷けるのは、別の道が見えたからだ。
リリアナは、机の端に新しく届いた「例外運用整理表(案)」を見せた。
ミレイアの目が少しだけ見開かれる。
「一覧……作るんですか、向こうが」
「はい。作らせました」
作らせました、という言い方は軽い。
軽いが、ここまで積んだ結果だ。
受領印拒否、欠番、閲覧制限、統合窓口誘導、越権抗議。
全部がこの一枚に繋がっている。
「じゃあ、もう“存在しない”って言えない」
ミレイアが言った。
「言えません。言ったら自分で出した紙を否定します」
自分で出した紙を否定できる者は強い。
だが、その強さは限界がある。
受領印が押されてしまえば、限界が来る。
翌日、整理表が正式に提出された。
治安局の封で届いたが、下欄の回覧番号はR-14の束の中にあり、添付様式は税務のものと同じ罫線だった。
そして、一番重要な部分が追加されていた。
承認線。
更新履歴。
リリアナはその頁を開き、承認線を指で追った。
治安局担当の認印、税務担当の認印、許認可担当の認印。
三つ並んでいるはずだと思う。
だが、実際は違った。
三つ並んでいる。
けれど、最後に必ず同じ枠がある。
「統括確認」
枠の右に、小さな認印欄。
そこに押された朱の濃淡が、どの頁も同じだった。
位置も同じ。押し込みも同じ。
同じ手が押している。
そして、その認印の横に、同じ略号がある。
「会監」
会監。
会計監督官室をそう略す人間は、内部にいる。
内部の略号は、外へは見せない。
それが整理表に載っているということは、急いで作ったということだ。
急いだ結果、匂いを落とした。
リリアナは息を吐き、ルークに視線を送った。
「受領印」
ルークは頷き、治安局の受領印を確かめた。
押されている。位置が揃っている。朱が薄い。癖まで揃っている。
揃いすぎて、逃げ道がない。
リリアナは整理表の最終頁をめくった。
更新履歴には、短い文言が繰り返されている。
「臨時」
「暫定」
「安全」
「円滑化」
そして最後に、毎回同じ一行。
「統括確認済」
確認済。
確認した者がいる。
確認した者が毎回同じ枠にいる。
枠があるなら、椅子がある。
ミレイアは整理表を見て、喉が鳴るのを抑えた。
「これ……向こうが自分で書いたんですか」
「はい。逃げるために」
「逃げるために……椅子が見えた」
ミレイアの言葉は短かった。
短いのに重い。
ここまで削られてきた人間の言葉だからだ。
リリアナは整理表を閉じ、机の引き出しに入れた。
すぐに出しっぱなしにはしない。
出しっぱなしにすると、消される可能性がある。
消されないようにするために、受領印の写しを二部取り、控えに回す。
「これで、入口が一つ増えました」
リリアナが言った。
「“例外は存在しない”は、もう言えない。言うなら、この紙ごと否定するしかない」
そして、指先で引き出しの上を軽く叩いた。
「次は、承認線です」
承認線は動線になる。
承認線は癖になる。
癖は必ずどこかへ収束する。
外はまだ寒い。
でも、紙の中に一本、温度の違う線が出た。
それが椅子へ向かう線だ。




