SS『フーラウム後日譚』
ムスタファの父親フーラウムのお話です
『ファディーラの故郷に行きたい』
そう言ったら息子は冷めた目で私を見た。
悪女に騙され自我を奪われた二十年。その間に、数百年ぶりに再会できた最愛の人と、唯一の理解者だった敬愛する兄が悪女に殺された。魔法が解けた当初は曖昧だった記憶は時間の経過とともに明確になり、だからこそ私は気がふれそうなほどの絶望に陥った。
そんな私の唯一の拠り所はファディーラが遺してくれた息子ムスタファだ。男ではあるが、彼女に生き写しの容貌は無聊を慰めてくれた。
けれど彼は私に冷然とした態度をとる。
故郷へ行きたいと伝えたその返事は、視線以上に冷ややかだった。
『あなたにそのような費用は出せません』
王は私で息子は第一王子。だが実権は息子にある。私が、悪女の魔法が解けた解けた当初に錯乱していたからだ。政治にはなんの興味もないから、それでいいと思っている。ファディーラの息子が臣下に敬われて頼られている様を見るのも嬉しい。
しかし彼が私に冷たいのも、この返答も気に入らなかった。
『なぜだ』と問うたら彼は、嘆息した。
まるで呆れているかのように。
『あなたが王位についていたこの約二十年の間に、国は政治経済社会、すべて悲惨な状況になっています。今、王がすべきことは妻の弔いではなく、国の立て直しです』
『それはお前がやってくれるのだろう?』
『もちろん。あなたには無理でしょうから。だけど王はあなたです。責任がある』
『魔法で操られていたのだ。仕方ないではないか』
『ええ。あなたは被害者ではある』
『だろう?』
『だけれど国民に対しては加害者だ』
『あや――』
『王族として生まれた以上、国民に対しての責任がある。それがもてないのならば王族を抜けるべきだった』
それは実行しようとしたことはあるのだ。ファディーラを、彼女を連れ去り拷問を繰り返した一族の居城になんて居させたくはなかったから。だけど氷結魔法から救いだしたばかりのファディーラは心身ともに衰弱が激しく、私ひとりでは面倒を見ることができなさそうだったのだ。
あのときに無理をしてでも城を出れば、彼女が悪女に惨殺されることはなかった、と後悔の念はある。だけれどそうしていたら、幾月も経たぬうちに彼女は衰弱死していただろう。
だから王族から離籍しなかったのは正解なのだ。
なのに、
『あなたの私用に使う金はありません』と、にべもない息子。
『母を可哀想だと思わぬのか』
『思います。だけど今必要なのは家族の感傷ではなく、公人としての行動です。どうしても行きたいのなら、退位をしたあとにひとりで行ってください』
ファディーラは優しい女だったのに、息子はあまりに冷淡だ。だが生まれたとほぼ同時に母を亡くしたせいかもしれない。
全てあの悪女、パウリーネが悪いのだ。
あいつは八つ裂きにして腸を引きずり出し、ありとあらゆる恐怖と痛みを味わせてやりたかった。それなのに――。
緑深い森。視界の先に開けた気配がある。
ようやく、だ。
ひとりでできる転移魔法を習得し、ひたすらそれを繰り返して来た。都を経ってどれほどの日にちが過ぎたのだろう。
心は逸るが、疲れた足は動きが遅い。
最後の道のりは昔どおりに徒歩でと思ったが、城に籠もりきりの生活をしていた中年にはキツかった。だけれどせっかくの故郷なのだ。
息をきらしながら前のめりに進む。
視界が開けた。
森の切れ目に突如現れる碧い湖。山間にあるとは思えないほど広く、空を映して美しい。湖面を渡ってきた風が頬を撫でていく。
「帰ってきたぞ、ファディーラ」震える声で最愛の人に告げる。
彼女と私が出会った場所であり、何度となく逢瀬を重ねた場所でもある。懐から棺を取り出す。魔法で縮小した棺。中にはファディーラが入っている。息子は持ち出すことに難色を示しそうだったから、無断で持ってきた。
呪文を唱えて湖畔に穴を掘る。そこに棺を置き元のサイズに戻すと、土を載せ埋めた。
これでようやく、彼女を故郷に帰すことができた。
立っていられなくなり、その場に座り込む。涙が流れ嗚咽する。
彼女に会うため、どれほどの転生を繰り返しただろう。幸せになる希望だけをよすがに、毛虫になろうと石礫を浴びようと頑張ってきたのに、共に過ごせたのは二年もなかった。神はあまりに残酷すぎる。
◇◇
どれほど泣いていたのだろう。
「おじさん、どうしたの?」
鈴を転がすような少女の声がして、辺りを見回した。私の斜め後ろに十歳くらいの少女が――
驚き、目をみはる。私は夢でも見ているのか?
少女は月光のような銀色の髪に菫のような紫の瞳をしている。顔立ちはファディーラに通じる美しさがある。
「……君は?」
「ファナよ。お父さんとキノコ狩りをしてたんだけど、泣き声が聞こえたから」
ゴクリと唾を飲み込む。幾度も転生を繰り返したけれど、これほどまてまに見事な銀髪と菫色の瞳の組み合わせは、ファディーラと息子しか見たことがない。
「ファナ! どこだ!」
森の奥から野太い声がした。
「ここよ!」
少女の声に応えるように木々の間から男が出てきた。筋骨隆々な山男で、髪も瞳もありふれた色だし顔立ちも普通だ。男は私を一瞥して、
「ファナっ! 知らないヤツに近づいちゃダメと言っているだろう! 行くぞ!」
と娘を抱き上げる。
「ま、待ってくれ!」
私は慌てて男ににじりよる。
「娘子は母親似か?」
男が私を睨む。
「変態め! 娘はやらん!」
「ち、違うのだ! 亡き妻に似ているから」去り行く男の背に叫ぶ。「彼女と息子以外で初めて会ったんだ、これほどまてまに見事な銀髪紫瞳!」
男の足が止まる。
「そうだ、これを見てくれ。妻のスケッチ」
かつて私が描き宝石屋にやったそれを、どうしてか息子がくれた。本当はファディーラの本物の額飾りを形見としてほしかった。だけどそれは棺に納められてしまい、その代わりにと渡されたのだ。
「ほら、見てくれ」胸元からそれを取り出すと、立ち上がり男に近寄る。「二十年前の妻だ。銀の髪に紫色の瞳」
男が私を見る。まだ警戒している顔だが、去ろうとはしていない。
「……この子を妻にしたいとかいう変態ではないのか?」
「違う!」
男は嘆息する。「多いんだ。こんな山の中なのに、どこからか娘の噂を聞きつけてやってくる。交渉してくるならマシなほうで、誘拐しようとするヤツもいる。なんでも鄙には稀なる美貌だとか、色が珍しいとか。あんたは外国人か? 変な訛りがある」
「ああ、遠い遠い国から来た」
「奥さんはこの辺りに由来があるのか? 妻も俺たちの親も親戚も、村の中にだってひとりもこんな髪色の人間はいない。だからちょっと……」
男は言葉を濁した。
ファディーラはこのそばの出身ではあるが、それは何百年も前の話だ。魔族の村もとうに跡形もない。
「……妻の先祖がこの辺りの出身だと聞いている。いつかふたりで訪れようと約束していたのだ」
「そうか」うなずく男。「あんたの奥さんも……」
少女を見る。不思議そうな顔で私を見ている。
「おじさん、もう泣かない?」
ファディーラと同じ銀髪、同じ紫瞳。この少女は彼女の生まれ変わりなのではないか? いや、絶対にそうだ。そうに違いない。
「え? おじさん、涙が浮かんでいるよ?」
「……君は何歳だ?」
「九歳!」
三十以上、年下だ。さすがに妻に迎えるのは無理があるかもしれない。ああ、だが! ファディーラの生まれ変わりならば、そばにいたい。
「君たちは」と父親を見る。「村で肩身が狭いのか?」
「……まあな……」
「ならば私の元に来るといい。息子も銀髪紫瞳だから、誰も君たちを邪険にしたりしない。今は息子に位を譲ったが、私はファイグリングの元王だ」
「え!」叫んだ男はしばらく私を見つめていたが、やがて胡散臭そうな表情になった。
「……確かにあんたは高そうな服を着てるけど、王様がこんなところに一人でいるはずない」
「退位したからだ。魔法を使って来たしな」
男の顔はまだ疑わしげだ。
「どのみち遠慮する」
「なぜだね!」
「理由はいくつもあるが一番は、妻の墓のある村を離れたくないからだ」
その言葉にはっとして振り返る。私もファディーラをこの地に埋めたばかりではないか。彼女の生まれ変わりに会って、すっかり動揺してしまった。
「そうだな。それは重要だ。私も妻を――妻の遺品をそこに埋めたばかりだった。できたらこの地で余生を過ごしたいと考えていたのだ」
「ここにゃ王様が暮らせるとこなんてない」
「出家している。修道院はないかね」
「村外れに小さいのがあるよ」と少女。
「ならばそこに寄せてもらおう」
ファディーラのスケッチに目を落とす。
「私は最愛の彼女を一度も守れなかった。今度こそは守り、幸せになってもらいたい」
少女――ファナを見る。
「君は私が守ろう。魔法が得意だからな」
「すごぉい!」
目をきらきらさせているファナ。対して父親は胡乱な目で私を見ているが、諦めたのか
「ついてきな。村に案内する」
と言って歩き始めた。
「あんたさ」と父親。「その絵を村のヤツラに見せてやってくれよ。世の中にはファナ以外にも銀髪紫瞳がいるって」
「構わんよ」
「そうすりゃ魔物の子なんて言われなくなるかもしれない」
「魔物の子……」
「この辺りには伝説があるんだよ。昔むかしに人の姿をした魔物がいたって」
「……」
伝説ではなく事実だ。遥かな昔の地獄絵図。
人に討伐された、魔族の無惨な姿を私はいまだ覚えている。
私はあのときも今生もなんて無力だったことか。だが私は再びファディーラに会うことができた。彼女は私を忘れているようだが、今度こそは彼女を守り通すのだ。
《終》




