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『藤野の話』

 木崎と宮本はどちらも最上階で見つかった、と聞いた。

 研修の責任者だった課長の話では、避難誘導をすると決めたとき、宮本が自らそこに行くと言ったらしい。

 彼女が向かったあとに課長の元にやって来た木崎は、それを聞くと舌打ちをして

「あのアホじゃ危険すぎる」

 と呟いて、あとを追ったそうだ。




 ……結局、どちらも無事に戻ってくることはなかった。




 退職しようかと思った。友人と好きな女性を一度に亡くし、彼らとの思い出だらけの会社になんて行きたくなかった。

 だけど――。


 木崎が抱えていた仕事はどうなる?

 ヤツが本腰を入れて準備していたプレゼンは?

 進行まっただ中の企画は?


 それらが頓挫したら、あいつはきっと激しく怒る。そういうヤツだ。

 そう考えた俺は、家から出たくないと叫ぶ軟弱な精神に鞭打って、出社した。そうして部長たちに懇願して木崎の仕事ほぼ全てを引き継いだ。その代わり、本来の自分の仕事の半分を周囲に投げることになったけど、誰も文句は言わなかった。


 入社以来の友人を――いや、親友を、俺が弔う方法はこれしかないと、みな分かってくれていたのだろう。


 第二のほうは宮本と仲の良かった先輩と高橋が、彼女の仕事を引き継いだと聞いた。





 ああ。これが悪夢だったら良かったのに。

 彼らを亡くすくらいなら、その他のどんな辛いことでも受け入れた。木崎と宮本が付き合う、とか。


 あの無神経は、最期を迎える前に少しは自覚したのだろうか。自分が宮本に惹かれていると。いつも彼女にばかり突っ掛かっていた、その理由を。


 ああ、そうだ。彼女のそばにいる高橋を、どんなに不機嫌な顔でねめつけていたか、写真に撮って見せてやればよかった。

 もし研修前にふたりが付き合い始めていたら。そうしたら全てのタイミングが変わって、最上階になんて行かなかったかもしれない。


 脳裡にあの日の光景がよみがえる。課長は木崎と宮本の家族に震えながら土下座をしていた。誘導をさせたのが間違いだったのだ。





 ――課長を責めても。『もし』なんて考えても、意味はない。どうやっても起きてしまったことは変えられないし、悔しいけれどこれは悪夢でもないのだから。






 ◇◇





「転生?」

 聞き返すと、間宮はうなずいた。木崎の元カノで、いかにもあいつが好きそうなゆるふわタイプ。だけど今はすっかりやつれている。彼女は元カレだけじゃなく、同期の友人綾瀬も亡くした。


 珍しいことに、喫煙室には彼女と俺のふたりだけ。お互い、火災のあとから煙草を吸うようになった。


「ラノベでよくあるんです」と間宮。

「ラノベって何?」

「小説です」


 間宮が言うには、不慮の事故で死んだ主人公が異世界に転生して活躍するというストーリーの小説ジャンルがあるらしい。


「だから。爽真と綾瀬と宮本先輩は異世界に転生したんです」間宮の目から涙が一粒こぼれた。「あっちの世界で三人で楽しくやってます。絶対!」

 彼女は煙草を灰皿に雑に置くと、慌ただしくハンカチを取り出し、目に当てた。

「……すみません」

「いや……」


 転生。

 別世界。

 元気に、幸せに生きている木崎と宮本……。


「……そうだな。ああ、きっとそうだ。木崎がヒーローで宮本がヒロイン。綾瀬は引っ掻き回す道化役だ」

「そうです! ……だってこんなの、理不尽すぎる」

 間宮が嗚咽を漏らす。


 研修施設は消防設備に不備があった。スプリンクラーの不調が点検で指摘されていたのに、交換がされていなかったという。火災の原因も漏電だった。


 研修に参加していた社員には退職や休職を選択した者も多い。出勤していても心療内科に通院していたりする。間宮もそのひとりだ。


 俺も煙草の火を消すと、彼女の背をさすった。

 長いことそうしていたが、やがて間宮は顔を上げた。マスカラやら何やらが落ちて、目の回りがすごいことになっている。


「……そうだ。書こう」

「ん?」

「爽真のハッピーエンド。私が彼を幸せにする」

 そう言って間宮は俺を見た。

「藤野先輩って宮本先輩が好きだったって聞いたんですけど」

「ああ」

「爽真とハッピーエンドにしていいですか?」

「ん?」

「私、書きます。爽真たちの異世界転生物語。向こうでも爽真と宮本先輩はケンカばっかり。綾瀬もあのまんま!」


 ああ、なるほど。彼女の言わんとしていることを理解する。


「いいな。俺も読みたい」

「任せて下さい。ヒロインが私じゃないのは本当は不満なんですけど、宮本先輩に譲ってあげます」

「不満なら綾瀬と宮本にすればいいのに」


 俺としては、それはナシだが。

 間宮は複雑な表情を浮かべた。


「……爽真って宮本先輩のことをめちゃくちゃこき下ろすくせに、私がそれに合わせて彼女の悪口を言うと怒ってたんです」

「ああ。恋人の前でもそうだったのか」

「ということは、いつものことだったんですね」

「あいつ、宮本の悪口を言えるのは、対等なライバルである自分だけと思っていたんだよ。彼女より仕事のできない人間には、悪口を言う資格はないんだとさ」


 間宮はふふっと笑った。


「知ってます。そう怒られましたから。ほら、宮本先輩の相手は爽真でしょう?」

「綾瀬にしたら、怒りまくると思う」


 間宮はまた笑い、目には再び涙があふれた。


「素敵なハッピーエンドにします」

「頼む」

「はい。――じゃあ、私は戻りますね」

「あ、化粧が……」

「大丈夫です。うちの部の人たちは見慣れてますから」


 間宮はペコリと頭を下げると、喫煙室を出て行った。




 ひとりになった部屋の中で、新しい煙草に火をつける。

 宮本は、木崎とのハッピーエンドを望むだろうか?


 きっと、答えはイエスだ。


 俺は彼女に告白しそびれてしまったが、もし決行できたならどんな返事が返ってきたかは想像ができる。

 困惑し挙動不審になって、『藤野は大切な友達だよ』と言ったに違いない。それでも俺は口説き落とすつもりではあったけど。


 木崎は知らなかっただろうが宮本もまた、自分に張り合えるライバルは木崎だと考えていた。他の男なんて眼中になかったのだ。






 煙を深く吸い、それから目をつぶり吐き出す。細く、長く。

 泣くのはこれで最後にするのだ。あいつらは異世界で幸せに生きている。俺はこちらの世界で、第一営業部のエースになろう。




《終》

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