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肉増し編、15 夕食時において(後半) 1977年4月18日 4歳

僕は入園式から今日までの記憶を思い出していた。


 1977年4月4日月曜日の入園式当日の朝、黒塗りの送迎車が静かに門を滑り出した。

都心の一等地に戦前から続く鏡原家の広大な日本庭園に囲まれた邸宅から目的の幼稚園に向かった。

後部座席にお母様と紺のセーラー服に白い三角タイを付け、髪を丁寧にツーサイドアップ(髪の両側を少量まとめ、残りの後ろ髪を全て垂らす髪型)に結った小さな女の子。「鏡原三花」。すなわち僕の事だ。

1973年4月18日生まれの僕は入園式のこの日はまだ3歳11か月だったが、

年度の関係で『4歳児』として年少組に迎え入れられる事になっていた。


 身長は100cmを超えており女児の平均身長としては高い方だが、実際の身体はまだまだ幼く制服を着ると小さく見えていたとの事。

お父様、お母様、数多くの使用人達からは将来が楽しみだと言われた。

幼いながらも身体が柔らかく、丸みを帯び始め今後の成長が予感されていた。


 道中車内で、お母様が優しく声をかけてきた。

 「三花ちゃん、入園おめでとう。貴女がこれから通う事になる『鏡原幼稚園』は私達の家が戦前から深く関わってきた園なのよ。ですから気後れせず堂々としてれば大丈夫よ。」


 「はい、お母様。ご期待にそえる様に頑張ります。」

僕はお母様に対し小さく答えつつ、内心では別の事を考えていた。


 『歌のレッスンはもう2年程続いている。入園して少し落ち着いたらお父様の弟である幸一叔父様にピアノもお願いしてみよう。間もなく4歳になる事だし、良い頃合いだと思う。』


するとお母様はこれから入園する事になる、『鏡原幼稚園』の説明をしてくれた。


 都心の一等地の交通量や人通りが少なく静かで落ち着いた雰囲気があり、治安が良く多様な生活に必要な施設があるが繁華街程の賑わいの無い高級住宅街にある、戦前に創設された超名門私立幼稚園。


1学年、わずか25名と言う極めて小規模な定員で、入園には身上書(その人の氏名や家族構成、経歴等を書いた書類)、家系図、強力な推薦状(推薦されている人物の称賛される特質を示す出来事や状況の詳細な説明を含むことが多い)が必須だった。


 理事会による厳格な面接と家庭訪問を通過した者だけが、この門をくぐることを許される程、

競争率が高かった。


 鏡原家が戦前の創立時より深く関わり園の命名にも影響を与えた由緒ある幼稚園であった。


幼稚園の建造物は日本庭園と調和した落ち着いた造りで、門柱の控えめな金色のプレートに、

『鏡原幼稚園』と刻まれている。


 そうして鏡原幼稚園の門をくぐった瞬間、周囲の空気が一変したのを今でもはっきりと覚えている。

まさに住宅街から、選ばれた者だけがその敷地内に入れると言う実感がわいた。


 お母様は、既に太郎お兄様と次郎お兄様の入園と言うので2回経験している。


黒塗りの高級車が静かに正門前に停車して、運転手の方が後部座席のドアをうやうやしく開けて僕とお母様が降車するのを待った。

その間に女中頭と世話係りの女中も降車した。


そのあと先にお母様が降りて僕に向かい優しく手を差しのべた。

小さな革鞄を握って車から降りた。


それから正門をくぐり園庭まで僕とお母様は歩いた。

その後ろには女中頭と女中さんが控えめに従ってきた。

朝の清々しい空気が頬をなでて少し肌寒いと思ったけど、新たな生活が始まるのだとわくわくした。

 

僕は、『前世と異なり、今度は女の子として2度目の幼稚園に通う事になるんだな。

しかも前世はごく一般の幼稚園だったのに対し、今世では超名門私立幼稚園。

はたして今後どの様な事が起こるかな?』


 内心で苦笑しつつ、背筋をぴんっ!と伸ばした。

前世の冷静さが幼い身体の中で静かに息づいていた。

 

園庭に足を踏み入れた瞬間、空気が明らかに変わった。

すで他の保護者と園児達が集まっており、皆の視線が一斉に集中したからである。


 「彼女が鏡原家のご息女・・・。」

 「本当に整ったお顔立ちね。目がとても澄んでいるわ。まるで絵本から出てきたような子。」

 「まだ幼いのにあの落ち着き方はすごいわ。背筋の伸ばし方等信じられないわ。」

 「身体つきも少しふっくらとして、将来が楽しみね。うらやましいわ。」

 「周りの子よりもいくぶんか身長が高いわね。」

 「うちは推薦状を何枚も出して家庭訪問まで受けて、やっとの入園決定よ。あの家は最初から特別ね。家格がちがうわね。」

 「鏡原幼稚園に『鏡原』の性で入園するなんて・・・。当然と言えば当然だけど、腹立つわね。」

 「あの子の存在感は別格だわ・・・。どうにかしてお近づきになりたいわ。」

 

 等、保護者達の小声のささやきが、春風に乗って僕の耳に届く。

ある母親は唇をきつく結び隣の夫にいら立った様子で何かをささやいていた。

また別の女性は微笑みを浮かべているが、目が全く笑っていなかった。


好奇心と羨望のまなざしの中に明確な嫉妬と計算が混じっていた。

財界人、医師、弁護士、旧家出身の子女達が集うこの園で、

鏡原家の長女と言う存在は最初から特別すぎた。


また、子供達も同様であった。

男の子も女の子も頬を少し赤らめて僕をじっつと眺めてその場に立ち尽くしている。


誰もが、『鏡原三花』さん。と言う存在を強く意識せざるを得ない空気が園庭全体に広がっていた。 

 

一部の嫉妬の声に小さな身体に痛いほど突き刺さった。

『さすがに堪えるな・・・。嫉妬やねたみの声が聞こえてくるよ・・・。』

僕はその様な視線を全身で受け止めながらも表情を崩さなかった。

小さくお辞儀を繰り返しながらもお母様の手を握りしめていた。


『これが鏡原の名を背負うと言う、重責か・・・。これがこれからの日常になるんだな・・・。』


と、冷静に受け止めていた。

いくらかのプレッシャーを感じたが、『負けられないな。』と心に誓った。

そのおかげかいくぶんか軽くなり、視線にも耐えられる様になった気がする。

 

しばらくして、園長補佐の女性(白い手袋をはめ、落ち着いた紺色のスーツを身にまとう40代後半の先生)が、穏やかな笑顔で近づいてきた。


 「お嬢様、おはようございます。鏡原三花様でいらっしゃいますね。本日は入園おめでとうございます。園長が心よりお待ち申し上げております。どうぞ、こちらへお越しくださいませ。」

と、僕達に話しかけられた。


 「先生、おはようございます。よろしくお願いいたします。」

僕の声は小さかったがはっきりとした発音で、自然とした完璧とも言えるお辞儀をした。

お母様は満足げにうなずき、随員の使用人は少し後ろで控えめに頭を下げた。


園長補佐の女性は僕の所作を見てわずかに目を細めて感心した様子を見せた。

 「本当に三花様は落ち着いていらっしゃいますね。おうちでのごしつけが素晴らしいのでございましょう。他のお子様方も見習っていただきたいですわね。貴女の様なお子様がいらっしゃるとクラスの空気も良くなる事でしょう。」


 それから、園長補佐に導かれ、僕達は園庭中央に設けられた椅子席いすせきへと進んだ。 

そして僕は前列の中央寄りに座らされた。

明らかに特別扱いの位置であった為、周りの保護者達の視線が再び熱を帯びた様だった。

ある母親はハンカチを強く握りしめ悔しそうに目を伏せた様子。

また、別の保護者は微笑みながらも指先でスカートのすそをいじり、苛立ちを隠しきれない姿があったとの入園式が終わってからお母様から聞いた。


入園式は園庭にそびえたつ古い桜の木のもとでおごそかに始まった。


園長(三代目の穏やかな印象の70代の女性)が簡素な壇上に立ち、マイク越しに挨拶を始めた。


 「本日、我が鏡原幼稚園に25名の新たな園児を迎え入れました。

ここでは単なる遊び中心の保育ではなく、『和の品格』わかりやすく言うと、優しい心で皆と仲良くし、きれいな言葉を使いにこにこ元気に過ごすと言う素敵な心の美しさの事です。

お友達が困っていたらお互い助け合い、ありがとうの気持ちを忘れずに毎日を明るく過ごしましょうね。

それらを基盤とした英才教育を行います。

礼法、茶道、華道の基礎、日本舞踊、音楽教室、英会話の初歩を大切にして、

皆様が将来社会に貢献する立派な人材となる様、教職員一同、精一杯お育て致します。

保護者の皆様のご理解とご協力のほど、どうかよろしくお願い申しあげます。」


僕は背筋を伸ばして園長の話しを聞いた後。少し周囲の様子を観察した。

他の園児達は緊張した面持ちで座っていた。

保護者達は我が子を誇らしげに見つめていたが、ちらちらと僕の方へ視線を寄こしていた。


式の途中、円の音楽担当の先生が簡単な童謡を歌った。

おもわず僕は小さく口ずさみ、既に2歳の時から幸一叔父様に習っている歌の基礎が自然と出てしまった。

近くの園児が、「上手・・・。」とささやいた。

するとそれが聞こえたのか保護者席からさらに僕へと視線が集まった。


 園長の挨拶の後に園長補佐がひとりひとりの名前を呼び、簡単な自己紹介の時間が設けられた。

最初に男子、次に女子の順番だった。

そして僕の番になり、「鏡原三花さん。」


「はい。鏡原三花と申します。よろしくお願いいたします。」

僕は椅子から立ち上がり、後ろを向いて自己紹介をした。


 園庭全体が静まり返った。

短い挨拶であったが、はっきりとした発音と完璧な所作に自然と拍手がおきた。

せんぼうの視線がさらに強くなり、ある保護者は小さく舌打ちする音さえ聞こえる気がした。


各自自己紹介が終わり、式の後半では園の教育方針の詳細な説明があった。


・保育時間は週6日(月~土)、午前9時~午後2時半。

・土曜日は短縮保育となる日もある。

・午前中は自由遊びと外遊び。午後は礼法、芸術、知育を中心に品格を養う。


特に音楽教育に力を入れており、希望者には外部の専門講師による特別レッスンも可能であると説明された。


僕は静かに聞きながら考えた。

『歌のレッスンはもう2年続けている・・・。入園したので落ち着いてから幸一叔父様にピアノもお願いしよう。4歳になった今ならそろそろ大丈夫だろう。』


入園式が終わると、短い保護者こんしんの時間が設けられた。

周りの母親達が僕とお母様の元へ集まってくる。

すなわち、お近づきになりたい為だ。


 「鏡原様、三花ちゃんは本当に可愛らしいですわ。お顔立ちも整っていて本当にうらやましい限りです。」

 「まだ幼いとは思えない落ち着きぶり。歌のお稽古もすでに始めていらっしゃるの?」 

 「鏡原幼稚園の雰囲気にぴったりですこと。うちの子も三花ちゃんの様に育ってほしいわ。」

 「身体のお育て方も素晴らしいですわね。将来が本当に楽しみですわ。」

等々言われたが、僕は穏やかに微笑み、丁寧にあいさつを返したが内心では、


 『計算が見え見えだな・・・。でもこれがこの世界のルールか・・・。前世とは大違いだな・・・。』

と冷静に受け止めていた。

 

使用人達が後ろで控え、必要に応じて僕の着衣の乱れを直したり水を差し出してくれた。

その様子が僕の特別感をさらに強調させていた。


しばらくして園長補佐が再び近づいてきた。

優しく僕の頭をなでて言われた。


 「三花ちゃん、今日からよろしくね。先生達みんなで大切にお預かりしますわね。

何か困った事があればいつでもおっしゃってくださいね。」


それを目にした他の保護者達をはじめ、午後の迎えの車が来るまでお母様と一緒に園庭の桜の下で少し待つ間周囲の視線はずっと僕を離さなかった。

せんぼうと嫉妬が入り混じったまなざしを背中に感じながら小さく生きを吐いた。


 『ついに鏡原幼稚園での生活が始まったな・・・。視線は痛いが着実に基盤を固めて行く・・・。』

心に誓った。


送迎の高級車に乗り込む際も園庭から正門まで見送る保護者達の視線が背中に痛いほど突き刺さった。

車内でお母様から優しく言われた。


 「三花ちゃん、今日は本当に立派だったわ。誇らしいですよ。」

そう言われ、僕は小さく微笑んだ。


 「ありがとうございます。お母様。」 

 

 こうして、鏡原三花の鏡原幼稚園での生活が格式と視線に包まれて静かに幕が開けた。

入園式からちょうど2週間後の4月18日、自分の4歳の誕生日に幸一叔父様にピアノのレッスン追加をお願いするその日まで少しずつ幼稚園生活に溶け込み始めていた。


入園後1週目では、朝の送迎で毎回視線を感じながらも園児達から、

 「おはようございます。鏡原さん。」

と、丁寧に挨拶される様になった。


 午前中の外遊びの時間は特に印象的だった。

他の女の子達と一緒に花を摘んで花かんむりを作ったり、静かに砂場で遊んだりした。

ある男の子がボールを落として困っていると、僕は静かに拾って渡してあげた事がありその子が、

「ありがとう、鏡原さん。」

と、恥ずかしそうに言ったのが印象に残っている。


2週目では、

礼法の時間で正しいお辞儀や座り方、言葉遣いを徹底的に学んだ。

僕は家でお母様や使用人から繰り返し教え込まれていた所作を完璧にこなした為、

先生から「三花ちゃんは本当に素晴らしいです。他のお友達も見習うといいわ。」

と、大きな声で褒められた。


その言葉にクラス全体が感心した空気に包まれ、他の園児たちが僕の姿をじっと見つめていた。

音楽の時間も僕にとって特別なひと時間だった。

2歳から幸一叔父様に歌の個人レッスンを受けていることを知った先生が驚いた表情で言った。


「三花ちゃんの声は本当に澄んでいて、耳も良いのね。将来が楽しみだわ。」


その噂はすぐにクラス内に広がり、『歌が上手な鏡原さん』として、一目置かれる存在になっていた。

ある日は簡単な童謡を歌っただけで、周囲の園児たちが聞き入っていた。


別の日の午後には、茶道室で初めてお茶の点て方を教わった。

小さな手に茶筅ちゃせん※茶道において抹茶を点てるのに使用する茶道具のひとつ。

を持ち、慎重に動かす僕の姿を、園長補佐の先生が温かい目で見守っていた。


「鏡原さんは家での躾が本当に素晴らしいのね。静かで、集中力もある。素晴らしいわ。」


そんな日々が続き、保護者達の間でも「鏡原家の三花ちゃん。」という存在が静かな憧れの対象になっていた。


そして今日、4月18日、4歳の誕生日。

幸一叔父様の歌のレッスン後、僕は迷わず頼んだ。

「幸一叔父様、次回からピアノも一緒に教えてください。」


叔父様は驚きながらも嬉しそうに笑い、快諾してくれた。

その出来事が、今日一番の大きな出来事だった。


回想から戻ると食卓の会話がさらに温かく続いた。

お父様が穏やかな声で言った。


 「入園式からちょうど2週間でこの決断か。三花は我が家の誇りだ。これから歌とピアノを両立させる事になるが、焦らずに自分のペースで頑張れよ。幸一も楽しみにしてくれている。」


太郎お兄様が興奮気味に言った。

「三花、4歳おめでとう! ピアノのレッスンが始まったら絶対聞かせてよ!」


次郎お兄様も笑顔で続けた。

「僕も聞きたい! 三花の歌もピアノも、楽しみだな。」


そしてお母様が特別に用意したイチゴのショートケーキに4本の小さなろうそくを立て、家族全員で「ハッピーバースデー」を歌った。

僕の小さな顔がろうそくの炎に照らされて柔らかく輝いていた。

女中頭が静かに近づき、ろうそくに火を灯した。

女中達が拍手をしながら微笑んでいる。

僕は家族と使用人達の温かい視線に囲まれ、心の中で静かに誓った。


 『入園式から2週間・・・。そして4歳の誕生日。視線はまだたくさん集まるし、鏡原の名は重い。

でも、この家族と多くの人々に囲まれてこうして祝ってもらえるこの人生は悪くない。

歌とこれから始まるピアノ。幼稚園での毎日を大切に着実に自分の基盤を固めていこう。』


湯上がりの柔らかな灯りが食卓を優しく照らす中、鏡原家の夕食の時間は、4歳の誕生日を祝う特別で穏やかなものとなった。

都心の一等地の夜は静かに更け、春の風が広大な日本庭園の木々を優しく揺らしていた。


僕の新しい一年は、こうして家族と使用人たちの愛に包まれて始まった。



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