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肉増し編、14 夕食時において(前半) 1977年4月18日 4歳

 1977年4月18日の夕暮れどき。

都心の一等地にある鏡原家の広大な邸宅は春の柔らかな風に包まれ、庭木の花びらが静かに舞っていた。

戦前から続く旧名家の屋敷は数寄屋造り(すきやづくり)のおもむきのある平屋建ての日本家屋だ。


 数寄屋造りとは、茶室の様な簡素で洗練された様式の事で派手な飾り付けを避けて静かで落ち着いた美しさを追求した建築スタイルとなる。

すなわち、『わび、さび』があると言う事。


広大な日本庭園に囲まれ長い歴史を感じさせるたたずまいは、格式の高さとそこに住む家族が穏やかに暮らす温かみを両立させていた。


この屋敷には数多くの使用人が居る。

家事全般を統括する女中頭を中心に若い女中が5人。

庭師、数人の運転手。料理長等総勢十数人が日々屋敷の管理と鏡原家の身の回りの世話をしている。

彼ら、彼女らは昔から鏡原家に仕える一族の子孫や長年仕えてる者が多く、

家族の一員の様な存在感を自然と発しており、

今日も家族全員の入浴後交代で使用人用の風呂に浸かる予定であるが今は各自仕事に精を出している。


 風呂上りに薄いピンク色のパジャマに着替えて家族皆でリビングに向かおうと廊下に出ると、

女中頭が静かに待っていた。

彼女は40代半ばで落ち着いた雰囲気で鏡原家に20年以上仕えている。


 「お嬢様、お風呂上りのお仕度をありがとうございました。

リビングにご用意を整えております。」


 女中頭の言葉は丁寧で温かかった。

 ※『お仕度』とは、風呂から上がった後の髪を拭いたり、パジャマに着替えさせたりする一連の準備の事を指す。

母親からバスタオルで拭かれていたが細かい所は女中頭にしてもらっていた。


 また使用人が幼い三花に対して、

『ありがとうございました。』と言うのは、旧家ならではの謙虚で礼儀正しい表現であった。


 『自分がお手伝い出来て光栄です。』

と言う気持ちが込められている。


 「ありがとう。女中頭さん。」

僕が小さくお辞儀をすると優しく微笑んで頭を下げた。


 また、お父様、お母様、お兄様方、弟にも各自女中が付き、世話をしていたので、

皆僕と同じ様に、「ありがとう。」等とねぎらいの言葉をかけていた。


 皆、パジャマや丹前たんぜんまたはどてら

※丹前は、江戸時代から続く防寒、くつろぎ用の和服で、湯上り(風呂上り)に湯治場、旅館等で浴衣の上に羽織る厚手の物で、綿入れや絹等の高級素材を使い富裕層や上流階級が自宅や高級旅館でリラックス時に着用していた。


に着替え一緒にリビングへと向かった。

 

数奇屋造りの長い廊下を家族皆で歩く足音が静かに響き、庭の灯りが障子越しに柔らかく照らしていた。


リビングに着いた。

和室を基調に一部を洋風にした落ち着いた空間で、大きな窓から庭の景色が楽しめる造りとなっている。


お父様が座布団に座って新聞を読んでおり、

太郎大兄様と次郎兄様が床に座って本を広げていた。

弟の三郎はお母様のひざの上でおもちゃを握って遊んでいた。

僕はと言うと、その光景を微笑ましく見ていた。


しばらくすると、若い女中がお茶を運んできた。

「旦那様、奥方様、お坊ちゃま、お嬢様。湯冷ましのお茶をお持ちしました。そうぞ。」


と言うと、家族皆の前に置いた。


 「ありがとう。」

お茶を置いた女中は丁寧に頭を下げながら部屋をあとにした。


もう一人の女中は部屋の隅で控えめに立って家族の様子を見守っていた。

その様子を流し目で一目見た後、何事もない様子で少しの間リビングでくつろいだ。

湯上りのぬくもりがまだ残る中、太郎お兄様が僕の隣によって来た。


 「今日の幼稚園はそうだった?」

と聞いてきたが僕は、


 「後で話しますわ。」

と小さく笑ってかわした。


 しばらくするとお父様が、

 「そろそろ夕食の時間だな。」


 と言う合図に従い家族は立ち上がり広間にある食卓へと移動した。


廊下を2人の女中が先導して歩き、女中頭も後ろから静かに付いてきていた。


 「今日のメニューは何だろう?」

太郎お兄様が無邪気に言う。それを聞いて僕も『今日は何だろうな?』と心の中で思った。

しばらくすると食卓に着き、テーブルの上には季節の料理が美しく並べられていた。


 春野菜の煮物。さわらの塩焼き。香の物(漬物)。ふっくらと炊き上がったご飯。等々。

そして今日の主役である、イチゴのショートケーキが控えめに置かれていたのを僕は見逃さなかった。

女中頭と女中が給仕を務めて、家族のコップに水を注いだりと細やかな気配りをしていた。


 「みんな、席についたな。合掌。いただきます。」

お父様の落ち着いた声に習い、皆はそろって手を合わせた。


 「「「「「いただきます。」」」」」


 食事が始まってしばらくすると、お母様が優しく僕に視線を向けて語りかけた。


 「三花ちゃん、今日は幸一さん(歌のレッスンの先生の名前)がレッスンに来てくれたわね。

ピアノの件、ちゃんとお願い出来たの?」


 僕は小さな箸をそっと置き、静かにうなずき軽く口に水を含ませて流し込んだ。


 「はい、お母様。歌のレッスンが終わった後に次回からピアノも一緒に教えて欲しいとお願いしました。4歳になったのでもう大丈夫だと思いました。」


 その言葉を聞いたお母様は、目を細めて嬉しそうに微笑んだ。


 「ええ、ちゃんと伝わっていたわよ。レッスンが終わった後、お父様と私が幸一さんと少しお話したのよ。

『三花ちゃんが自分で頼んで来た。あの子の積極性は素晴らしい。これから楽しみだ。』って、

嬉しそうに褒めていたわよ。」


 すると横で聞いていたお父様が、満足げに深くうなずいて言葉を発した。

「幸一も三花の才能を高く買っている様だ。入園式からちょうど2週間で自分からピアノのレッスンの追加を頼むとはな・・・。鏡原家の娘として立派な判断だ。」


 女中頭が控えめに近づきお父様のコップに水を注ぎながら僕に対し、小さく微笑んだ。

「お嬢様の成長は、わたくし共もうれしく存じます。」


『そう言えば、今日は僕の誕生日なんだよな。入園式が1977年4月4日月曜日だったからちょうど14日経ったんだな。』


 「ありがとうございます。お父様。お母様。女中頭さん。」

僕は小さく頭を下げて控えめな声で答えた。


 その瞬間、お母様が柔らかく微笑んだ。

 「まあ・・・そう言えば今日は三花ちゃんの4歳の誕生日だったわね。

おめでとう、三花ちゃん。入園式から2週間経った日にそんな大事なお願いをするなんて、

本当に偉いわよ。」


 それを聞いて、太郎お兄様が、

 「三花、4歳おめでとう!入園式から2週間でピアノも始めるなんてすごいよ!僕なんかまだまだなのに三花は本当にすごいな!」


 次郎お兄様がにやにやしながら言ってきた。

 「三花は才能があるもん。幼稚園に入って2週間で先生に褒められまくっていて、誕生日には習い事でピアノを追加決定するなんて、僕達兄ちゃん達が完全に負けてる感じがするよ。」


 弟の三郎はお母様のひざの上でおもちゃを握りしめながらきょとんとした顔で、

 「みか~!たんじょ~び!」と上手に言葉を発した。

その可愛らしい声と無邪気な笑顔に食卓全体が柔らかい笑いに包まれた。


女中が控えめに笑みを浮かべながら、料理の追加と片付けを進めていた。

女中頭が僕の近くで静かに立っている姿が、家族の一員の様な安心感を与えていた。


 お母様が僕の頭を優しくなでながら温かい声で言った。

 「入園式から2週間。本当によく頑張ったわね。今日は誕生日である三花ちゃんの好きなイチゴのショートケーキを用意してあるのよ。ろうそくも立てましょうね。」


 「「わーい!イチゴのショートケーキ大好き!」」

2人のお兄様が嬉しそうに言ったのを横目に僕は入園式から今日までの記憶が脳裏に浮かんだ。








後半に続きます。

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