肉増し編、13 風呂場にて (4歳以降 肉増し編、12話の夜 1977年4月18日以降)
「三花ちゃん、もう準備万端なのね。」
弟の三郎と一緒にお母様が呼びに来て僕の姿を見て言った。
「貴方、太郎ちゃん、次郎ちゃん、皆で入浴の時間よ。」
お母様が途中リビングにいる、お父様と2人のお兄様を呼びかけた。
「わかったよ。では、太郎、次郎、お風呂の時間だよ。」
お父様が言うと、
「は~い。わかりました。」
既にパジャマと下着を用意してリビングで待っていた男衆はうなずき皆で浴室へと向かった。
浴室へ向かう途中、僕は今生で既に慣れっこになっていたが、
広い自宅に対し、お父様に昔聞いた事を色々と思い起こしたり、考えたりした。
聞いた話では、鏡原家は都心の一等地に建つお父様のおじい様。
すなわち僕から見れば、ひいおじい様が一代で財を築き上げ戦前から続く裕福な家だった。
戦前の繁栄を築いたこの屋敷は1944年(昭和19年)11月24日から1945年(昭和20年)8月15日まで合計106回もの空襲を受けたが、その悲惨な被害にあっても何とか周りの住民と支え合い何とかやり過ごし、戦後の混乱期でもひいおじい様とひいおばあ様、祖父母が必死に守り抜いた土地の上に建っていた。
財産税(終戦処理やインフレ抑制等の為、課税価格10万円を超える財産を持つ個人に対して1回限りで課税された。
また、 富の均等化を確保する為、税率は課税価格に応じて25%から90%と累進性がとられていた。)
で、資産のほとんどを失い、食料難に苦しみながらも『この土地だけは手放すな。』と言う思いを言い続けそれを実行していたひいおじい様とひいおばあ様。
また、闇市を駆け回り親族を支え必死に生き延びたおじい様とおばあ様。
その苦労が有ったからこそ、高度経済成長の波に乗り今の僕達家族がこの広い邸宅で穏やかに暮らせているのだとお父様から繰り返し聞かされ、
ひいおじい様、ひいおばあ様、おじい様、おばあ様への感謝をいつまでも忘れない様に心がけていた。
すなわち、先祖の努力と犠牲の上に今の裕福な暮らしが出来ているのだと実感した。
一方で、僕の胸の奥にはもう一つの記憶があった。
前世、鏡原雄蔵として生きた記憶だ。
決して裕福では無かったもののごく一般家庭としての幸せがあったと思う。
その時感じた幸せな時間を大幅に増幅させたのが今生の鏡原三花と言う存在だ。
物思いにふけっている内に浴場へと着いた。
そして脱衣所に入り各自かごに着替えの下着とパジャマを入れて現在着用している衣類を脱いだ。
脱衣所は広々とした和室を改装した空間で、床の間には季節の花が生けられており蜜の香り、花の香りが漂い、脱衣所はひのきが建材として使用されており、ほのかにひのきの香りも漂い床の間にある花の香りと調和して心身をリラックスさせてくれた。
お母様は三郎(満2歳)の服を脱がせていると、太郎大兄様(満8歳)は元気に衣類を脱ぎ、
「先に入るぞ!」
と、浴室へと向かった。
次郎次兄様(満6歳)はお母様に脱がしてもらい終わった三郎を抱き上げながら、
「三郎、今日はお兄ちゃんが洗ってあげるからね。」
と、優しく声をかけていた。
その様子を微笑ましく見ていた僕に対しお母様が、
「三花ちゃんも脱げる?手伝いましょうか?」
と、優しく聞いてきた。けれど僕は、
「ううん、自分でするよ。お母様、ありがとうございます。」
と答えて服を脱いだ。
しゅる。しゅる。ぱさっ。
衣服を脱ぐ時の生地の擦れる音が僕の耳に響く。
そして下着も脱ぐと身体の前面にタオルを持って浴室へと向かった。
途中鏡に映る自分の姿が目に入ると、我ながらまじまじと見てしまった。
白くてなめらかな肌。
漆黒の黒髪。
まだ幼い身体つき。
するとお母様が、
「三花ちゃんの髪だいぶ長くなってきたわね。今日もお団子にまとめて浴槽に垂れない様にしましょうね。」
そう言いながら、僕の長い黒髪を優しく後ろで一つにまとめて、布で留めてくれた。
浴室に入ると湯気が濃く立ち込めており、むしむししていた。
広いひのきの浴槽と洗い場は戦前からの伝統を残しつつ、現代的な設備も取り付けられていた。
まさにご先祖様が家そのものを守り抜いた証だった。
太郎お兄様は既に洗い場に座り、固形石鹸を泡立てて身体を洗い始めていた。
次郎お兄様は三郎をひざの上に座らせて、
「熱くない様にね。」と洗面器でぬるま湯を優しくかけていた。
その様子をお父様が優しく見守っていた。
「三花ちゃん、こっちへおいで。」
お母様が僕を洗い場の椅子に座る様に促した。
僕は素直に座り目を閉じて、お母様の次の動作を待った。
お母様はシャワーで僕の身体全体を優しく濡らしてくれる。
温かいお湯が肌を包み込んで、1日の疲れを溶かしていった。
そして頭にもかけられる。
事前にお団子頭を解いて元の長髪状態にしている。
まずは髪の毛から洗う。
お母様が、
「三花ちゃんも一緒に洗いましょうね。」
と言い、シャンプーを手のひらにたっぷり取って泡立てた。
泡はふんわりと白く、指の間から少しずつあふれていた。
香料の良い香りが漂ってきた。
そして僕は目を再度閉じて頭を軽く後ろに傾けた。
お母様の指が頭皮に触れた瞬間優しい圧力が伝わってくる。
「んっ!」
爪を立てず指の腹だけで頭頂部から生え際に向かって円を描く様にマッサージを始める。
泡が耳の後ろまで滑り首の付け根の細かい部分まで丁寧に洗われていく。
お母様にしてもらう、生え際の細かい毛1本1本まで泡が行き渡る感覚が心地良い。
「三花ちゃんも少ししてごらん。」
「はい。お母様。」
僕はお母様の手のひらから泡を受け取り自分の頭に乗せた。
小さな手で一生懸命頭皮をマッサージをする。
前世の男時代の感覚でごしごしと洗いたくなる衝動を抑え、まだ力加減が難しいけど優しく洗うのが女の子の作法だと教えられてきた。
泡が耳の中に入らない様に首を傾けながら丁寧にした。
また水分を含んだ長い髪の重みを感じながら、根元から毛先まで泡をなじませていった。
その過程で泡が少し冷たくなって頭皮がスースーする感覚が好きになった。
そして・・・。
「良くできました。次はすすぎね。」
お母様がシャワーで泡を流してくれた。
頭を後ろにしっかり傾け、泡が目や耳の中に入らない様に注意して何度もお湯をかけた。
長い髪の根元まで丁寧に流し、毛先がサラサラになるまで繰り返しシャワーを当てて泡を流した。
すすぎ終わると、髪が重く肩や背中に張り付く感触が心地良かった。
指で軽くとくと『キュッ』と音がするくらい綺麗になっていた。
次に身体を洗う。
僕は石鹼を手に取り手のひらでしっかり泡立てる。
泡はふわふわでこれまたシャンプーの時と同じく指の間からこぼれた。
まずは首筋から肩へ泡を滑らしながら優しく円を描く様に洗った。
肩の丸み。鎖骨のくぼみまで丁寧に洗う。
腕はひじの内側から指先まで。
指も1本1本洗い指の間も念入りに。
二の腕や脇も忘れずに。
胸とお腹は特に力を抜いて肌を傷付けない様にそっと滑らせる。
おへそぼ周りも優しく円を描く様に洗う。
脚は太ももを洗い、ひざから足首。
ひざの裏の柔らかい部分を特に丁寧に洗う。
足の指の間まで泡を入れて親指から小指まで1本ずつ洗う。
そして足の裏も洗う。
いったん手を洗い再度石鹸を泡立てて、最後は陰部を洗う。
『前から後ろへ』
を意識しながら泡で優しく洗う。
力を入れすぎず、指の腹でそっと。
女の子は肌が敏感なのでこすらずに泡を滑らせるのが大切だとお母様から何度も教えられてきた。
お母様は背中を洗ってくれている間僕は静かに思い出した。
『小さい頃は女の子の洗い方に戸惑ったけど、今はだいぶ慣れてきたな。』
最後にお母様にお尻を洗ってもらい、石鹸の泡をシャワーで流す。
全身を流し終えたら、今度は僕がお母様の背中を優しく洗ってあげた。
それからしばらくして皆全身を洗い終わったら家族皆で湯船に浸かった。
お父様が一番奥に座り、僕をひざの上に抱き寄せてくれた。
太郎お兄様、次郎お兄様、三郎をひざの上にのせているお母様と温かい身体が寄り添っていた。
そしてお父様が低く優しい声で語りかけた。
「この家はな、戦前から鏡原家が守り続けてきた大切な物だ。
ひいじいさんとじいばあさん。つまり俺の祖父母は空襲の時、戦後財産税で一時はほとんどを失いながらもこの土地だけは死守した。
祖父母、すなわちおやじとおふくろも食料難の時代に親族を支えながら耐え抜いた過去がある。
お前達はその苦労を忘れずに感謝の心を持って生きて欲しい。」
僕はお父様の胸に背中を預けながら心の中で深く感謝した。
『ひいおじい様・・・。ひいおばあ様・・・。おじい様・・・。おばあ様・・・。
今僕がここにいて、太郎お兄様、次郎お兄様、三郎と一緒にこんなに温かいお湯に浸かっていられるのは皆が頑張ってくれたおかげだよ。本当にありがとう・・・。』
湯の中で肌がじんわりと温まり、心も温かくなった。
お母様が僕の肩を優しくもみ、お父様が頭をなでてくれる。
太郎お兄様が少し湯を跳ねさせ、それを受けて次郎お兄様が笑い、三郎が僕にくっついている。
このにぎやかで温かい時間が僕の宝物だ。
「さあ、のぼせないうちにあがろうか。」
お父様がそう言い皆湯船からあがり、各自身体を拭いた。
上がった後、お母様が大きなバスタオルで僕の身体を優しく押さえる様に拭いてくれた。
そして脱衣所でベビーオイルを丁寧に塗ってくれて髪をドライヤーで乾かしながらくしでといてくれた。
その時、お母様は静かに言った。
「三花ちゃん、このオイルも昔は簡単には入手出来なかったのよ。
ひいおばあ様が苦労して入手した上質な物を今私達が使えるのは本当にありがたいわね。」
僕はうなずきながら心の中で繰り返した。
『ご先祖の皆様、ありがとうございます。』
そして着替えを終えて皆でリビングに戻る時、僕は太郎お兄様に手を引かれながら歩いた。
そして静かに微笑んでいた。
温かい入浴と家族の時間。
1977年のある日の夜は先祖への深い感謝と共に穏やかに深まっていくのだった。




