13節 それとこれとは話が別
コン、コン。
コン、コン。
コン、バギィ゛ッ!
「おいテメェ、今壊しやがったな!?」
あからさまな居留守を使って無視を決め込んでいたアレクも、この破壊音には流石に反応し、しれっと自宅に侵入してきた少女――オペラを怒鳴りつけた。
「ご、ごめんね。返事ないから聞こえなかったのかと思って、ちょっと強めにノックし」
「ノックだァ!? 『ドア抉り開けた』の間違いだろうが!」
人間の腕力の範疇など優に超す混血魔の馬鹿力に、『ちょっと強め』という言葉を適用させるんじゃない、と心中悪態をつくアレク。家の扉が殉職したことなど、わざわざ見に行かずとも分かる。
「今度は何の用だ。言っとくが伝言も土産も間に合ってるからな」
「大丈夫。一言言ってから発とうと思って今日は寄っただけ」
「……『発つ』?」
「そう。仕事で。デビルハンターの」
そう言われれば、以前アルバス大司教との会話でそれらしいことを話していたか、と思い当たる。
「それでね、ほんのちょっとだけランヘルを離れるから、アレクには伝えておこうと思」
「そうか。じゃあな」
「ちょっとー!? お茶一杯分ほども別れを惜しんでくれないのー!?」
「もう茶は出さねぇぞ」
「何!? 吾輩のミルクもないと云うのか!?」
不死鳥を警戒していたフェンリルが、オペラの肩ごしに話に入ってくる。
「ああそうだ、犬っころ」
「カフェラテもカフェモカもキャラメルマキアートも!?」
「うちはどこぞのコーヒーチェーン店じゃねぇんだよ」
「アレクのいけず~!」
「いっけず~!」
「あ゛あーーっ!! 用が済んだンならとっとと帰れ! テメェら邪魔だ!」
「…………今更ツッこむのもなんだけど……アレク、これはなにごと?」
オペラが言うのも無理はない。
常時は、シンプルを通り越してある種殺風景とも言えるアレクの家。
だが今日は、ダイニングテーブルを中心としてその周りが、軽くゴミ屋敷のような有様になっている。テーブルの上を所狭しと占領しているのは、ゴミよりもずっと高尚な物ではあるが。
銃弾も防げそうな分厚い書籍――そのほとんどが、言語辞書や、悪魔関連の本だ――や、各国各地の新聞や週刊誌。それらが幾重にも連なる小高い丘のように、机上のあちこちに積み上げられているのだ。
そこに埋もれるようにしてアレクは座っていた。
「……見りゃあ分かるだろ。調べ物だ」
「調べ物って、何を?」
「……何でもいいだろうが」
アレクの追い求める“悪魔”について、敢えてオペラに言おうとは思わない。故に、不機嫌そうに突っぱねた。
情報屋の情報を待っているだけなのは性に合わないし、何より落ち着かない。だから、非番の日には大体こうして、自分なりに“ラグナ”の手がかりを探している、ということではあるのだが。
しかし、いかんせん奴は神出鬼没。分かっていることと言えば、「上級悪魔で“支配者”」「あらゆる人に擬態し、“一族”ないし、魔力や霊力の強い人間たちに、接触をとってくる」程度のもの。アレクがラグナに遭った時も、自分に擬態していたせいで、本当の姿は分からない。
結果、関係のありそうな事件を探すにしても、気の遠くなるような膨大な、そして地球儀レベルの広範囲な情報量の中からになってしまうのである。
「じゃあ聞かないけど……。せめてネットで探せばいいのに」
無視して次の新聞を手に取る。地方紙だ。「Ardeal」とある。
アレクに他言語への造詣はない。また伊訳辞書と英訳辞書を引きながら、キーワード頼みに途方なく調べなくてはならない、とアレクは深い疲弊の溜息を吐いた。
「Ardeal……それってトランシルヴァニアの?」
不意に降ってきた少女の言葉に、アレクは紙面から顔を上げた。
「読めるのか」
「ルーマニア語? うん、パパのおかげでね。ていうか、大体の国の言葉はいけるよ」
「……」
「手伝ってもいい?」
たっぷり数分の時間をかけて、下手なプライドと己の目的を天秤にかけて熟考した末に、アレクは「……おう」とだけ答えた。オペラに手中の新聞を差し出す。
「悪魔が関係してそうな記事があったら…………頼む」
「OK。じゃあ読むね」
「ああ」
「えーっと、なになに……」
「……」
「『ポペスク夫妻に五つ子誕生!』『すくすく育て! 動物園のクマの赤ちゃん、名前公募!』『第7回大食い大会49歳女性優勝』」
「誰がンな微笑ましいローカルニュース読めっつった!?」
「いっ、いひゃいひゃいひゃめへぇーーっ!」
立ち上がってオペラの両頬を全身全霊、力一杯に引っ張ってやる。
いつもはビスクドール人形のようなオペラの真白い肌も、この時ばかりは抓られて頬に赤みがさす。
「ごめんごめん! 気を張ってたみたいだったから少し和やかな雰囲気にしようと思って」
「もういい馬鹿、それ返せ」
「ごめんってー。ちゃんと真面目にやるからー!」
「オラ引っ張んな、っ!?」
予告のない不意の痛みに、アレクは思わず怯む。
見ると、紙端でやってしまったのだろう、人差し指を切っていた。アレクはチッと舌打ちをする。思った以上に深くいったらしく、傷口に溜まった赤い玉滴が滲み、指筋をツウっと伝う。それに反して、長細く鋭い痛みが指先の神経に集中していく。
「テメ――」
しまった!
瞬時、文句も言い切らぬ前に、アレクは己の失態に気がついた。
ちらりとオペラを見遣れば、アレクの傷口を凝視したまま動かない。
それもその筈。アレクを付け狙う混血魔の前で怪我など、文字通り吸血鬼の前で首から血を流して立ちはだかっているようなものである。どうぞ私を襲って下さいと言わんばかりに。つまるところ、非常に危ない。
気取られないように、アレクは空いた方の手で武器に手を伸ばし、身構えた。ルチェに目配せをする。
静かな緊張が走った。
「あ」
沈黙を破ったのは、オペラの方だった。
「『あ』?」
「あ」
「……」
「……ア、レクうぅううううううううっ!?」
「っ!?」
「怪我、怪我したの!? ど、どうしよう、血が、血が出てるよっ血が!?」
「…………は?」
「大丈夫!? ごめんワタシのせいだよね!? 痛くない!? 痛いよね!? 気をしっかりもって!」
「指切っただ」
「とりあえず何!? 救急車!? 人工呼吸!? AED!?」
「いや、こンくらい絆創膏か包帯で十」
「そっか! そうだよねまずは止血しなくちゃ! アレク救急箱どこ!?」
「キッチ」
「キッチン!? 分かった待っててねすぐ取ってくる!!」
速攻で喰らいかかってくると思っていただけに、予想外の展開に、アレクはただただ呆気にとられるしかなかった。
最終的に、慌てふためいて終いにはアレクの血に貧血を起こしかけたオペラを「落ち着け」と一喝し、ものの十数秒で手当を済ませたアレクは、ぼそりと呟くのだった。
こいつにとって、「共血のために血を吸うこと」と「怪我」とは話が別なのか、と。
ちなみに、レストランにて二人でディナーをとっていた際にふとこの一件を思い出したアレクが、「どうしてあの時襲ってこなかったのか」と尋ねたところ、オペラ曰く「気が動転していてチャンスだったことに気がつかなかった」とのことだったと知るのは、もっとずっと先の余談である。
アレクは、携帯やパソコンはからっきし駄目です。
※デビルハンターもエクソシストも、「悪魔を退治する者」としては大まかには同じですが、①デビルハンターは依頼者から、ないし仲介人を介して悪魔退治を行いお金稼ぎをしている人たち、②エクソシストはいずれかの教団に所属し、人間界の均衡を守るため神の御名において悪魔を祓う人たちのことです。
エクソシストは皆高い霊力を持っています(逆に、人間で魔力を持つ者は“黒の一族”を除いて、そうそういません)。悪魔が人間に憑いた場合、デビルハンターだと人間の体ごと「悪魔を殺す」ことしか出来ないため、“悪魔祓い”を行えるのは今のところエクソシストだけになります。