↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
僕の考えた最強のVTuber事務所ができるまで  作者: 黒い★彡彗星
第1章 原石と2人の漫画家
PR
9/12

第9話 閉会の拍手

 15時50分。


 壁際の黒鉄(くろがね)のブースは、もう半分片づいていた。長机の上には、売り切れた新刊の見本が1冊と、空になった缶コーヒーが2本。黒鉄は「完売」の札を剥がしている。


 僕は、長机の前に立った。


 今日、2度目だった。


「また来たのか、ガキ」


 黒鉄は顔を上げなかった。剥がした札を丸めて、足もとのゴミ袋に放り込む。


「言ったはずだ。1キャラ100万からだ」


 両隣のサークルの人たちが、ちらりとこちらを見た。


 背中のリュックには、ノートと通帳が1冊ずつ入っている。


 僕は肩紐を握り直した。


 息を吸う。


 口の端が、勝手に上がった。


「100万、妥当な金額です」


 黒鉄の手が、止まった。


「いえ──あなたの価値なら、安すぎる」


 黒鉄は、まだ顔を上げない。


「だから──」


 ここからだ。


 ベンチで、何度も計算した数字だった。2人分の初期費用は、100万円の中から払える額でなければならない。1人30万なら、2人で60万。40万が手元に残る。払い続ける率は、会社が潰れずに、ずっと払い続けられる線。ノートの上で何度動かしても、同じ数字に落ち着いた。


「初期費用は、30万で手を打ってください」


 隣のサークルの人が、段ボールを閉じる手を止めた。


「その代わり、娘が稼いだ額の5%を、あなたが死ぬまで払い続けます」


          ◇


 黒鉄が、新しい缶コーヒーを机に置いた。


 カシャ、と缶を開ける音がした。


 顔は、まだ上げない。釣り銭の箱の留め金を指先でいじりながら、黒鉄は言った。


「……続けろ」


 心臓が、うるさかった。


 ノートの3行を、頭の中でなぞる。


「先生は、午前中に言いました。知らねえ奴が、俺の絵の中で喋るのは気色悪いと」


 黒鉄は黙っている。


「なら、知らない奴じゃなくします。先に、中の人を見せます。声を聴いてから、描くかどうかを決めてください」


 黒鉄の指が、留め金から離れた。


「……どんな奴だ?」


「言葉で説明したら、先生は信じないと思います。だから、聴いてください」


「2つ目。ママだの何だの呼ばれて、知らねえ奴と一生付き合うのは御免だと」


「……言ったな」


「関係は、契約で決めます。窓口は、全部僕がやります。配信を見る義務もありません。名前を出すかどうかも、ママと呼ばせるかどうかも、どこまで関わるかも、先生が決めてください。関わりたいときだけ、関わってくれればいい」


「それで、お前に何の得がある?」


 初めて、黒鉄のほうから聞いてきた。


「先生の絵なら、うちの子が見つけてもらえます。それが、うちの得です」


 黒鉄は、それには答えなかった。


「3つ目」


 ここで、一度だけ息を吸った。


「描いたものを、途中で取り上げません」


 黒鉄の肩が、わずかに動いた。


「先生の描いた子が稼いだら、稼いだ分だけ、先生に返り続けます。来月も、来年も、10年後も。作って終わりにはしません。途中で打ち切りません」


 黒鉄の目が、机の上の新刊の見本に落ちた。表紙に、黒鉄の描いた女の子が立っている。売り切れて、もう誰の手にも渡らない1冊の、表紙の中で。


 黒鉄は、しばらく黙っていた。


 それから、ぼそりと言った。


「売れた分だけ、作った奴に返る」


 独り言みたいな声だった。


「……漫画の印税と、同じじゃねえか」


 黒鉄の指が、机の上の新刊の見本を、とん、と叩いた。


「誰に教わった?」


 僕は、答えた。


「父の工場です」


 黒鉄の指が、止まった。


「父は、自分で設計した部品を作っていました。設計の代金は無くて、入ってくるのは部品の代金だけでした」


 喉の奥が、少しだけ詰まった。


「最後は、図面ごと、もっと安い工場に持っていかれました。設計した分は、一度も返らなかったので」


 黒鉄は、何も言わなかった。


 さっきまでの沈黙とは、重さが違った。値札を突きつけて客を帰らせるときの沈黙ではなかった。何かを、確かめている沈黙だった。


          ◇


 ホールのスピーカーから、1日目の閉会を告げる声が流れた。


 拍手が、聞こえはじめた。


 最初は、ホールの遠くの方からだった。誰かが手を叩き、隣の誰かがそれに続き、波みたいに広がって、壁際まで届いてくる。サークルの人たちが、撤収の手を止めて、次々に手を叩きはじめる。


 夏コミの、閉会の拍手だった。


 何万人分の拍手が、天井の高いホールの中で、大きな雨みたいに鳴っていた。


 両隣のサークルの人たちも、手を叩いていた。


 僕は、ひなたんごの最後の夜を思い出していた。3人だった。たった3人に向かって、最後まで明るい声で喋り続けた人がいた。


 あの人にも、この音を聞かせたかった。


 黒鉄だけが、叩かなかった。


 その音の中で、黒鉄は、ゆっくりと顔を上げた。


 初めて、僕の顔を見た。


 値踏みをする目だった。皮一枚の内側まで、何が入っているのかを確かめる目だった。


 僕は、目を逸らさなかった。


 膝は、まだ震えていた。それでも、逸らさなかった。


 34ヶ月、毎月25日に、同じ額を入れ続けた。誰にも褒められなかった。その34ヶ月が、今、この目に見られている。そう思った。


 拍手が、少しずつ収まっていく。


 黒鉄の口の端が、ほんの少しだけ、動いた気がした。


「面白え」


 低い声だった。


「名前は?」


「朝比奈(あさひな)創(つくる)です」


 黒鉄は、それには何も返さなかった。ただ、一度だけ、小さくうなずいた。


 黒鉄は、空になった缶コーヒーを、ゴミ袋に放り込んだ。


「中の人に会わせろ」


 立ち上がる。パイプ椅子が、床を擦って鳴った。


「明日の夜だ」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。