29.元腐女子令嬢、愛を語る
あの夜、互いの想いを伝え合い、やっと「本当の夫婦」になれた私たち。
けれど胸の奥には、まだひとつだけ隠していることがあった。
ずっと言えずにいた、私自身の過去──前世の話を。
──勇気を出すなら、今しかない。
そう思い立った私は、翌朝の朝食後、旦那様と彩芽さんの前で深く息を吸い込んだ。
「実は……私には、前世の記憶があります」
「……は?」
旦那様の瞳が大きく揺れる。言葉を失うその姿に、胸がぎゅっと痛んだ。
でも、逃げてはいけない。旦那様にも、私の口からきちんと伝えなくては。
俯いた私の手に、そっと温もりが重ねられる。
顔を上げると、彩芽さんが優しい眼差しで微笑んでいた。
──そうだ。私はひとりじゃない。
その思いが背中を押してくれて、不思議と先ほどまでの不安が消えていった。
私は真っ直ぐに旦那様の顔を見つめる。
「私が生きていたのは……ここと同じ“日本”という名の国です。
けれど同じ名前でも、どこか違う。
こことは別の世界で──“令和”と呼ばれる時代の日本でした」
私は言葉を選びながら、精一杯、自分の過去と気持ちを旦那様に語り始めた。
旦那様は、しばし呆然と私を見つめていた。
「……前世、の記憶……?」
低くつぶやかれた声に、胸が締めつけられる。
けれど、その瞳に拒絶はなかった。困惑と戸惑い、そして理解しようとする光がある。
隣で彩芽さんが、そっと私の手を握ってくれた。
胸の奥がじんわりと温かくなる。
──だから私は、もう一歩踏み出した。
「……そして、旦那様が誤解していた“銀次様”のことなのですが……」
旦那様の眉がぴくりと動く。
彩芽さんも思わず身を乗り出した。
ごくりと唾を呑み込み、私は勇気を振り絞って言った。
「銀次様は、前世の私にとって……そして環として生まれ変わってからも心の支えでした。彼は──」
顔を上げ、はっきりと告げる。
「学生時代に出会ったBL漫画『愛しのオオカミくん』の登場人物なんです!」
「…………」
旦那様が固まった。彩芽さんも目を瞬かせ、口を開けたまま止まっている。
でも私はもう、止まらなかった。
「『愛しのオオカミくん』は当時BL界で伝説的なヒット作でして! 銀次様は普段はクールでぶっきらぼうなのに、主人公のヒカルにだけ見せる優しさが……もう尊くて! ヒカルは普段は子犬なのに夜はSっ気があって! 二人の関係性に、私はどれだけ救われたか……っ!」
胸の奥に溜め込んでいた熱が一気にあふれ出す。
旦那様の困惑が深まっていくのもわかっていたけれど、止まることなんてできなかった。
「しかも本編だけじゃないんですよ!? スピンオフ漫画に小説版、さらにはドラマCDまで! 極めつけはアニメ化です! BL漫画がアニメ化なんて……当時は本当に快挙だったんです!!」
両手を握りしめ、力説する私。
しんと静まり返った部屋。
やっと彩芽さんが口を開いた。
「えっと……つまり?」
旦那様も難しい顔で腕を組む。
「……銀次というのは、環の前世においても実在するわけではなく、“漫画”とかいう本の中の人物……なのか?」
「はい!!」
私は勢いよく頷いた。
旦那様がさらに考え込む。
「……では、その“ヒカル”という者が……銀次の妻なのか?」
「違います」
私は真剣に首を横に振った。
「ヒカルくんは男性です」
「……え? では……銀次は実は女なのか?」
「いいえ。銀次様もヒカルくんも、れっきとした男同士です」
私はきっぱりと言い切った。
「…………」
旦那様はピシリと固まった。
彩芽さんは口元を押さえ、震える肩をなんとか押さえ込んでいる。
私はさらに言葉を重ねた。
「だから誤解しないでください。私は銀次様を男性として愛していたわけではありません。
銀次様は“推し”であり、その相手は唯一無二のヒカルくんだけなんです。私は二人の関係性の尊さに、何度も救われただけなんです!」
旦那様はしばし沈黙したあと、おそるおそる口を開いた。
「……その、“BL”というのは……?」
私は背筋を伸ばし、はっきりと答えた。
「はい。BLとは“Boys Love”──つまり、男同士の恋愛を描いた作品のことです」
「……っ」
旦那様はこめかみを押さえ、深いため息をついた。
「……俺は……いったい何を聞かされているんだ……」
彩芽さんは呆れたように、それでいてどこか楽しげに笑みをこぼしていた。
──私は、言えた。
やっと、旦那様に私のすべてを打ち明けられた。
これで本当に、隠し事のない“夫婦”になれたんだ。




