20.彩芽の告白
いつも通り彩芽が、慣れた手つきで茶を淹れてくれた。
白磁の茶碗からゆらゆらと湯気が立ちのぼり、張り詰めていた心がようやく和らいでいく。
温かな香りに包まれると、胸の奥に張り付いていた緊張が、ゆっくりと剥がれ落ちていくようだった。
「はい、環ちゃん。蓮も」
彩芽は二つの茶碗を差し出し、自分も腰を下ろす。
「……ふぅ、やっと一息つけるね」
私は両手で茶碗を受け取り、そっと唇を寄せる。熱が舌に広がり、喉を通り抜けると、体の芯までじんわりと温かさが染みわたった。思わずほっとした息がもれる。
「彩芽さんのお茶……やっぱり美味しいです」
自然にこぼれた言葉に、彩芽は頬を染めて笑う。
「そんなことないよ。でも、そう言ってもらえると、頑張って淹れた甲斐がある」
隣で蓮も茶を口にした。
「……悪くない」
短い言葉にすぎなかったが、そこにはわずかな柔らかさが混じっていた。
「蓮ってば、素直じゃないんだから。『美味しい』って言えばいいのに」
彩芽がむくれて眉をひそめる。
「言葉は少ない方が重みがある」
蓮は淡々と返した。
そのやり取りがあまりに普段通りで、つい先ほどまでの緊張が嘘のように思える。気づけば私は小さく笑っていた。
「環ちゃん、笑った」
彩芽が嬉しそうに目を細める。
「よかった。さっきは顔がこわばってて、心配だったんだから」
「ごめんなさい。私のせいで、お二人に心配をかけて」
そう言いかけた瞬間、蓮の低い声が遮った。
「環。謝ることではない。理不尽な言葉を浴びせられたのは、お前の責任ではない」
胸にまっすぐ突き刺さる声音だった。
「そうそう!」
彩芽も大きくうなずく。
「あのおばさんたちが悪いんだよ。環ちゃんは何も悪くない。むしろ……あんなふうに私を庇ってくれて、こっちが感謝してるくらい」
二人から同じ言葉を向けられ、胸の奥がじんわり熱を帯びる。茶の温かさとは違う、別の熱が静かに広がっていった。
「ありがとうございます」
小さな声で告げると、彩芽は笑みを返し、蓮はわずかに目を細めた。
茶をもう一口ふくみ、胸の奥に落ち着きが戻りはじめた─その時だった。
彩芽が茶碗を両手で包み、視線を落としたまま沈黙する。
指先がかすかに震えているのに気づき、胸の奥がざわめいた。
「……環ちゃん」
やがて絞り出すような声が落ちる。
「本当に、ごめん」
「彩芽さんのせいじゃありません」
私は慌てて首を振る。
「悪いのはあの方たちです。彩芽さんは──」
「違う」
はっきりと遮る声。
彩芽は顔を上げ、真剣な眼差しをこちらに向けた。
一呼吸、空気が凍る。
「おばさんのことじゃない」
彼女の唇がわずかに震える。
「ずっと……黙っていたの。私と蓮のことを」
胸がざわつく。喉がひりつき、息が浅くなる。
「……私と蓮は」
彩芽の言葉が空気を震わせ、ほんの一瞬、時が止まった。
「姉弟なんだ。異母姉弟」
耳を疑った。
まるで足元の畳が崩れ落ちたような感覚に襲われ、思わず茶碗を取り落としかける。熱が指先にじかに伝わり、現実が否応なく押し寄せてきた。
「姉弟……?」
自分の声が震えていた。
彩芽は小さくうなずく。
「あのおばさんの言う通り、芸者だった母ひとり子ひとりで育った私は、父親なんて影も形もなかった。ずっと“居ないもの”だと思ってたの。
でも母が病で倒れ、頼るところがなくなったとき初めて知ったの。
──私の父は神宮寺家の当主だって」
淡々と語っているのに、その声には深い影が差していた。
「信じられなかった。あの神宮寺家の当主が、自分の父だなんて。けれど事実だった。
……そして、そのとき初めて知ったの。私には蓮っていう腹違いの弟がいるって」
胸の鼓動がうるさく響き、呼吸が乱れる。
頭の中で言葉が空回りし、現実感が追いつかない。
「……このことを知っている人は、もうほとんどいないの。母は私を神宮寺家に託してすぐに亡くなったし、父も、そしてやさしかった奥様……蓮のお母様も、もうこの世にはいないから」
私は頭の中が真っ白になっていた。
声を出そうとしても、喉につかえて息しか出てこない。
「彩芽さんと旦那様が……ご姉弟……?」
口にした途端、胸の奥がぎゅっと縮み、痛みが走る。
私の知る二人は、ずっと主と使用人であり、信頼し合う仲間であり……なのに。
「どうして……そんな大切なことを、誰も……」
声が震えた。
彩芽は苦笑にも似た表情で、ゆっくり首を横に振る。
「私はずっと平民として……芸者の娘として生きてきたの。蓮のお母様は“蓮と同じように娘として育てる”って言ってくださったのだけどね。……でも、私はお断りしたの」
その言葉の奥に潜む痛みに、胸が締めつけられる。
応接間に落ちる沈黙は重く、さきほどまでの騒ぎが霞むほどに深く沈み込んでいく。
湯気すら重さに押し潰されるように、静かに消えていった。




