15.支えられる温もり
目を閉じても、胸のざわめきは収まらなかった。
柔らかなシーツに身を沈めても、昼間の光景
が繰り返し浮かぶ。
──どうして、あの人はあんなに優しいのだろう。
私なら、嫉妬に駆られて誰かを遠ざけてしまうはず。
けれど彩芽さんは違う。
私に歩み寄り、気遣ってくれる。まるで本当の姉のように。
静かに扉が開いた。
廊下からの灯りが細い筋となって差し込み、盆を手にした彩芽の姿を浮かび上がらせる。
水と薬を載せた盆を机に置くと、彼女は深く頭を下げた。
「環様。私が無理にお誘いしたせいで、ご負担をかけてしまいました。本当に申し訳ございません」
「そんな!」
胸の奥が軋むように痛む。彩芽さんは悪くない。
むしろ責められるべきは、嫉妬ばかりして心を狭くしていた私の方だ。
「やめてください。彩芽さんのせいじゃありません。弱いのは……私で」
声が震え、喉が詰まりそうになる。
それでも彩芽は首を振り、なおも真摯に頭を垂れた。
「ですが、環様に辛い思いをさせてしまったのは、間違いなく私です」
その一言が鋭く胸に突き刺さる。
──違う。優しいのは彩芽さん。
醜いのは、嫉妬に揺れる私自身。
堪えきれず唇を噛んだそのとき、隣で蓮が低く息を吐いた。
「もういい」
短いのに、鋼のように硬い響きだった。
部屋の空気が一瞬で張りつめ、私と彩芽の間に落ちる。
「環が辛そうにしていたなら、俺が気づくべきだった。お前が気に病むことじゃない」
その断言に、彩芽は顔を上げ、小さく頷いた。
「旦那様……」
そう言って静かに退く。衣擦れの音が遠ざかるたびに、胸の奥がざわめいた。
──優しいのは彩芽さん。
そして、私を支えてくれるのは旦那様。
甘やかされたい気持ちと、胸を掻きむしられるような嫉妬。
二人のやさしさに触れるたび、自分が醜く思えてならない。
私は胸の上で手を固く握りしめた。
水を口に含むと、冷たさが喉を伝い、身体の奥へ沁みていく。
枕元に腰かけた彩芽が、静かに微笑んだ。
「環様……どうか今夜はゆっくりお休みくださいませ。明日からは私ができる限りお手伝いいたします」
その声音は柔らかく、心にふわりと染み込んでくる。
本当に私を思ってくれているのが伝わった。
「でも……それでは彩芽さんに負担を……」
言いかけると、彼女は迷いなく首を振る。
「私にとっては、環様のおそばでお役に立てることが、何よりの喜びです」
まっすぐな言葉に、胸の奥が熱を帯びた。
その笑顔には、打算も気負いもなく──ただひたむきな優しさだけがあった。
そのやさしい瞳が、何故か旦那様に似てるように思えて、チクリと痛みを感じた。
「……ありがとう、彩芽さん」
声はかすかに震える。
彼女はそっと私の手を包み、応えるように微笑んだ。
「環様と旦那様が幸せでいてくださることが、私の願いです」
応援めいた一言に、胸が温かく満たされる。
嬉しい。けれど、どうして彩芽さんは、そこまで私たちを思ってくれるのだろう。
喜びと共に、新たな疑問が静かに芽生えていた。
◆
窓の外は、群青の影が広がりはじめていた。
部屋の中は灯火が柔らかく揺れ、静けさが濃く漂っている。
──どれほど眠っていたのだろう。
身を少し起こしたそのとき、低く落ち着いた声が届いた。
「……起きたか」
振り向けば、椅子に腰掛けて本を閉じる蓮の姿。
彼の存在が部屋の空気を一段と落ち着かせていた。
「旦那様……!」
胸の奥がきゅっと縮む。まさか、ずっとここに?
「加減はどうだ」
「だ、大丈夫です。少し眠ったら……」
言いかけて足に力を込めた途端、身体が揺らぐ。
すぐさま蓮の手が伸び、肩を支えられた。
「ほら、無理をするな」
その一言に、頬から耳までじわりと熱が広がる。
「旦那様にばかり、ご迷惑を……」
「迷惑だと思ったことは、一度もない」
揺るぎない声音。
目が合った瞬間、心臓が大きく跳ねた。
「でも、私……」
強くあろうとするのに、蓮に支えられると弱さがあふれる。
「環」
名前を呼ばれるだけで、心の奥が震えた。
「旦那様、少しだけ……」
気づけば、言葉が零れていた。
「少しだけ、このまま、支えていてください」
蓮は一瞬目を見開き、それから穏やかな笑みを浮かべる。
「ああ。好きなだけ甘えていろ」
その一言に、胸の奥が熱で満たされる。
肩に寄りかかれば、確かな温もりが全身を包み込んでくる。
静かな時間が流れる。
私はただ、その温もりと自分の鼓動とを感じながら、静かに息をついた。




