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元腐女子令嬢、愛のない契約結婚のはずが狼旦那様に沼落ち中です!?  作者: よつ葉あき


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14/30

14.嫉妬とやさしさの狭間で


 朝の空気は澄みわたり、ほんのり湿り気を帯びていた。

 三人で屋敷を出て、庭の小道を歩く。遠くには菖蒲が咲き誇り、紫や白、青みを帯びた花々が風に揺れて静かに競い合っていた。


「まあ……綺麗ですわね」

 彩芽が小さく声を洩らす。目を細めるその横顔は花の色にも負けないほど明るい。


 環の胸がざわめいた。


 ──あやめ。

 まるで花々が彼女の名を呼び、祝福しているかのように見える。


「……同じ名前なんて」

 自分でも気づかぬほど小さな声で呟き、ぎゅっと拳を握る。


 隣から蓮が視線を向けた。

「環、大丈夫か?」

 環は慌てて笑みを作ったが、昨夜ほとんど眠れなかった疲れを隠せず、歩みは次第に遅くなっていく。


「ええ……平気、です」


「環様……」

 彩芽が足を止め、環の顔をのぞき込む。

「やはり、お辛いのではありませんか?」


 その声音は驚くほどやさしく、環の胸に痛みと温かさを同時に刻む。

「大丈夫。ただ……少し眠れていないだけ」


 だが次の瞬間、身体がふらりと傾いた。


「環!」

 すかさず蓮の腕が支える。強く、頼もしく。

 至近の距離に息を呑み、頬が熱を帯びた。


「無理をするな」

 短い言葉なのに、深い憂いと真剣さが滲んでいた。


「……私は、本当に大丈夫」

 そう答える声は弱々しく、説得力を失っていた。


 彩芽が静かに口を開く。

「旦那様……どうか、環様をお運びくださいませ」


「そんな、大げさな……!」

 反射的に首を振る。

 旦那様の手を煩わせたくない──そう思うのに。


 彩芽は首を横に振り、真摯な声で言った。

「環様をお任せできるのは、旦那様しかおりませんもの」


 その一言に心が揺れる。


 ──見られたくない。弱い自分を。

 ──でも、心の奥では甘えたい。


 蓮の腕が差し伸べられ、環の心臓は激しく打ち続ける。


「……私は、自分で歩けますから」

 かろうじて口にした言葉は、震えて力を持たなかった。


「環」

 蓮が低く呼ぶ。その眼差しは厳しく、けれど誰よりも優しい。

「いい加減、強がるな」


 次の瞬間、彼は容赦なく環を抱き上げた。

 羽根のように軽々と。


「っ……旦那様!」

 抗おうとする声は、頬の熱にすぐ呑まれる。


「大人しくしていろ」

 低く落ちる声は命令のようでいて、不思議な安心を宿していた。


 彩芽は目を細め、柔らかに笑う。

「まあ……旦那様に抱かれていらっしゃる環様、とてもお似合いでございます」


「っ……彩芽さん!」

 環は顔を赤らめ、視線を逸らす。

 その笑顔に、胸の奥で言葉が渦を巻いた。


 ──どうしてこの人は、こんなにも自然に笑えるの。

 私は、嫉妬ばかりなのに。



 ◆


 蓮に抱かれたまま、環は自室へと運ばれた。

 寝台にそっと降ろされ、シーツの柔らかさに触れた瞬間、緊張がほどけていく。


「……水を」

 蓮の声に、彩芽が一礼して部屋を出ていった。


 静かな寝室に、環の鼓動だけが響く。

 ──こんなふうに抱き上げられるなんて。夢みたい。


 けれど同時に胸を刺すのは、彩芽の笑顔だった。


「環様……どうか、無理をなさらないでくださいませ」

 屋敷へ戻る途中に囁かれた、優しい声。


「……ごめんなさい。せっかく散歩に誘っていただいたのに」

「いいえ。環様とご一緒できただけで、私は嬉しゅうございます」


 思い返すたび、胸の奥がちくりとする。

 どうしてあの人は、あんなに自然に優しくできるの。

 私は、嫉妬ばかりしているのに。


 唇を噛んだとき。


「……環」

 蓮の低い声に顔を上げる。

 覗き込む瞳は真剣で、揺らぎがなかった。


「何を考えている」


「……少し、彩芽さんのことを」

 思わず正直に答えてしまった。


 蓮の眉がわずかに動く。

 その眼差しを受け止めきれず、環は目を閉じた。


 胸に渦巻くのは、彩芽への戸惑いと、自分の弱さへの苛立ち。

 悔しさと羨望。


 そして──ほんの少しの甘えたい気持ち。



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挿絵(By みてみん)
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