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元腐女子令嬢、愛のない契約結婚のはずが狼旦那様に沼落ち中です!?  作者: よつ葉あき


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13/30

13.揺れる心、交わる視線


 ──朝。

 まぶたは重いのに、眠った実感はほとんどなかった。

 浅い夢を見ては目を覚まし、また眠れずに夜が過ぎたのだ。


 鏡を覗けば、そこに映るのは疲れきった顔。

 目の下に影が落ち、頬の血色も悪い。


(ひどい顔……)


 思わず苦笑する。

 昨夜、旦那様の隣にいた女性──明るい笑顔がとても素敵だった。

 今の自分とは正反対。比べるまでもなく、勝ち目なんてない。


(……今日は嫌だな。こんな気持ちと顔で会いたくない)


 けれど、このところ毎朝ともにしている朝食。

 今さら私が姿を見せなければ、優しい蓮はきっと心配する。


 重い足を引きずるように食堂へ。

 挨拶を交わして席についたものの、箸を持つ手に力は入らず、食事も味気ない。


 向かいの蓮がじっと見ているのに気づく。

 その視線に胸がざわめいた。


「……環。顔色が悪い。昨夜、なぜ来なかった」


 低い声に、思わず息が詰まる。

 昨日の縁側の光景がよみがえり、喉が固まった。

 どうにか笑みを作って答える。


「体調が……あまり良くなくて」


 蓮の眉がわずかに寄る。

 その顔を見ただけで、胸がちくりと痛んだ。


「……そうか。無理をするな」


 結局、心配をかけてしまう。

 不器用に言葉を選びながらも、それでも心配してくれる。

 その優しさが、今の私にはつらい。


「大丈夫ですから……」


 かすれた声でそう返す。

 笑顔も、どこか引きつっている。


 蓮はそれ以上言葉を継がず、ただ静かに箸を進めた。

 けれど、何度も視線を寄越してくる。

 そのたびに胸のもやは濃くなり、食事の味はわからなくなっていった。


 静かな食堂に、軽やかな足音が響く。

 次の瞬間、空気を一変させるような明るい声が飛んできた。


「おはようございま~す!」


 思わずびくりとしてしまった。

 昨夜の……あの女性だった。


 明るい笑顔、弾む声。

 迷いも遠慮もないその姿は、眠れぬ夜を過ごした自分とあまりに違っていた。


「……彩芽」


 蓮が名を呼ぶ。

 彩芽と呼ばれた彼女は、悪びれもせず蓮の隣に腰を下ろした。


「改めてご挨拶させていただきますね。彩芽と申します。以前、離れでお会いしたことがございますが……環様、覚えていらっしゃいますか?」


(やっぱり……あのときの、あの人……)


 心臓がどくんと跳ねる。

 同時に、昨日の光景が鮮やかによみがえる。

 蓮の笑顔──自分の知らない顔。


「私はいつも旦那様のお仕事をお手伝いしております。これからは環様ともお会いする機会があるかと存じます。どうぞよろしくお願いいたします」


「……はい。環です。よろしくお願いします、彩芽さん」


 どうにか笑みを作り、頭を下げる。

 けれど、声はわずかに震えてしまった。


「まあ……やはり可愛らしい方ですね。旦那様が惹かれるのもわかりますわ」


「……っ」


 環の胸がきゅっと縮む。

 冗談なのか本音なのか、判断できない。

 ただ隣で蓮がわずかに身じろぎしたのを感じた。


「彩芽」


「はいはい、わかっておりますわ、旦那様」


 彩芽は軽く笑い、空気を和ませるように手をひらひらと振った。


 そのとき──


 ぐぅぅぅ~


 お腹の音が鳴り響く。

 私と蓮はすでに食事をとっている。つまり……


「まあ、恥ずかしい。私ったらお腹が鳴ってしまいました」


 えへへ、と小さく笑う彩芽。

 蓮は呆れたように息を吐き、近くの使用人に「彩芽の分も用意を」と告げる。


 ほどなくして新たな朝食が彩芽の前に並んだ。


(彩芽さんも……一緒に?)


 また、心がざわめく。

 まるでそれを知っているかのように、彩芽が微笑んだ。


「ご一緒できて嬉しゅうございますわ。環様とゆっくりお話ししてみたかったのです」


 そう言われ断れるはずもなく、「ええ、どうぞ」と返すしかなかった。


 箸を持つ手に、思わず力がこもる。

 胸の中のざわめきは、さらに大きくなっていった。


 ◆


 やがて食事を終える頃、彩芽がふいに顔を上げた。


「環様、せっかくですし、お散歩でもいかがですか?」


 にこやかに身を乗り出す彩芽。

 その声音は自然で、まるで前からそう決まっていたかのように軽やかだった。


「……彩芽」

 蓮の低い声が制止の意を含む。


 けれど、彩芽は悪びれず、むしろいたずらっぽく笑って言葉を重ねた。


「えー、旦那様。少しくらいよろしいではありませんか。朝の空気は気持ち良いですし、環様のお顔色も晴れるかもしれませんわ」


「……」

 言葉を探すように沈黙する蓮。

 その様子を前に、環の胸はざわついた。


(こんなふうに……言い合えるなんて……)


 羨ましいと思ってしまう。

 蓮に軽く冗談を言い、叱られても笑って受け流せる彩芽。

 自分には決してできないこと。

 いつも慎重に言葉を選び、相手を傷つけないようにと身を縮めるしかない自分。


「……では、少しだけ」


 気づけば、承諾の言葉が口をついていた。

 蓮の視線がこちらに向くのを感じながらも、笑顔を作ってうなずく。


「環様っ!」

 彩芽の顔がぱっと輝いた。

 その無邪気な明るさに押されるようにして、環は小さく笑ってみせる。


「旦那様も、ご一緒に?」


 恐る恐るそう問うと、蓮はしばし黙したのち、低く答えた。


「少しだけなら」


 その返事に、彩芽は嬉しそうに手を打ち、食堂の空気が一気に明るくなる。

 だが環の胸の奥には、まだ冷たい影が残っていた。


(……本当に、大丈夫なのかな……)


 彩芽の隣で笑う自分を想像しようとしても、どうしても不安が勝ってしまう。

 それでも足を止めることはできず──三人の朝は、思いがけない形で始まっていった。



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挿絵(By みてみん)
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