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元腐女子令嬢、愛のない契約結婚のはずが狼旦那様に沼落ち中です!?  作者: よつ葉あき


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12/30

12.すれ違う夜、重なる想い


 夜、離れへ向かう。

 蓮に会うため──何度も通ったはずの中庭なのに、今日は胸の奥が落ち着かない。

 昼間の少し垣間見えた笑みや声が、何度も頭をよぎってしまう。

 それが嬉しくて、気づけばいつもより早く部屋を出ていた。


(旦那様……まだ来てないかな)


 胸の高鳴りを抑えながら縁側を見た瞬間──息が止まった。


 そこに座っていたのは旦那様、そして……その隣に女性。


 見覚えがある。

 初めて夜の旦那様を見たあの時、私に声をかけてきた人。

 彼女が、旦那様のすぐ横に座っていた。


 胸の鼓動が耳の奥でやかましく響く。

 冷たいものが喉から心臓にかけて広がっていく。


(夜の──あの姿の旦那様が……誰かと一緒にいるの、初めて見た)


 二人の会話は聞こえない。

 けれど、声などなくても伝わる──あの距離感、視線、空気。

 そこには、私がまだ踏み込めていない領域があった。


 目を逸らしたいのに、逸らせない。

 まるで見てはいけないものに縛りつけられるように。


 やがて、彼女が旦那様に身を寄せた。


 やめて──近寄らないで。


 胸の奥で何かが軋む。

 言葉にならない黒い感情が、じわりとあふれ出す。


 そして彼女は旦那様の耳元で何かを囁いた。

 獣の耳がぴくりと動き、旦那様が彼女を見つめる。

 その表情──私の知らない、照れと優しさを帯びた笑顔。

 金色の瞳がやわらかく光り、彼女だけを映している。


 二人は笑い合った。

 同じ景色の中に、私の居場所はなかった。


 胸の奥がきしむ。

 ただそれだけで、完敗だった。


 足を引きずるようにその場を離れ、部屋へ戻ろうとして──

 気づけば藤棚の下に立っていた。


 夜の冷たい空気が頬を撫でる。

 旦那様と一緒に見たときはあんなに美しかった藤も……今は香りを失い、まばらな影だけを落としていた。


(……私、旦那様の何なんだろう)


 昼間は並んで歩き、同じ景色を見て、同じものを食べ、同じように笑った。

 あの時間で心の距離も縮まったと思っていた。

 でも、それは私だけの錯覚だったのかもしれない。


 今、旦那様の隣で笑っているのは私じゃない。

 耳元で囁かれ、あんな表情を引き出すのも、私じゃない。


 ──契約結婚。


 私たちは夫婦であれど、その結びつきは決められたもの。

 心まで結ばれていたわけじゃない。


 思わず胸を押さえる。重いもやが押し寄せ、呼吸が浅くなる。


 答えは見つからず──ただひとつ、「もう離れには行けない」という思いだけがはっきりしていた。


 灯りを落とし、布団に潜り込む。

 まぶたを閉じれば、縁側の二人が鮮やかに浮かぶ。

 耳元に顔を寄せる仕草、ぴくりと動く獣の耳、金色の瞳のやわらかな光。


(……どうして、こんなに苦しいの)


 言葉にならない問いを抱えたまま、浅く不安定な眠りへ沈んでいった。





 ──side 蓮



 縁側で一人、環を待つ。

 昼間の彼女の笑顔や、少し照れた横顔を思い出しながら──ただ、その余韻に浸っていた。


 そこへ、遠慮のない足音と声。


「久しぶり~! 最近、愛しの環ちゃんとはどうなの?」


「……」


「ちょっと、何か言いなさいよ! ははん、どうせ何も変わってないんでしょ?」


「……今日は、二人で寺に行った」


 一方的に話す彩芽にうんざりしつつも、答える。

 その途端、彼女はさらに距離を詰めた。


「え? うそ……あんたが!? 寺って……花まつりのことよね?」


「ああ」


「人混み嫌いのあんたが? 私が誘っても来なかったくせに!」


 ……だから言いたくなかった。予想通り、煩い。


「ふーん。私じゃなくて環ちゃんの誘いなら行くんだ?」


「……違う」


「?」


「私が……誘った」


 彩芽が驚きに目を見開く。

 そんなに意外だろうか。


 また騒ぐかと思いきや──


「そっか……良かった」


 珍しく穏やかな笑顔。

 その顔を見せたあと、彩芽はさらに近づき、耳元で囁く。


「そんなに環ちゃんのこと……愛しちゃってるんだ」


 もうひとつの──獣の耳が反射的に動く。

 驚いて視線を向けると、彩芽は嬉しそうに笑っていた。

 それを見て、思わず口元が緩む。


 ……そうだ、彩芽にも長く心配をかけてきた。

 環のことを話すのは気恥ずかしいが、彼女が安心するなら悪くない。そう思った、そのとき──


 環の気配を感じた。

 振り返る。しかし、そこには誰もいない。


 ……気のせいか。まだ来る時間には早い。


 そんな私をよそに、彩芽は立ち上がる。

「じゃ、環ちゃん来る前にお姉さんは退散するわね」と笑い、歩き出したが、すぐに振り返った。


「環ちゃん。いい加減ちゃんと紹介してよ?

 明日の朝食のとき、会いに行くから」


「……ああ」


 そう答えると、彩芽は満足げに去っていった。


 縁側でひとり、環を待つ。


 けれど、その夜──環は現れなかった。


 待つ時間が過ぎても、風が縁側を通り過ぎるばかり。

 胸の奥に小さな不安が根を張り始める。


(……環。どうして来ない)


 約束をしたわけではない。

 それでも今日は、必ず会えると信じていた。


 灯りを消さずに待ち続ける。

 けれど夜は静かに深まり、返事のないまま過ぎていった。




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挿絵(By みてみん)
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