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元腐女子令嬢、愛のない契約結婚のはずが狼旦那様に沼落ち中です!?  作者: よつ葉あき


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10/30

10.芽吹く恋と沈む影


 朝食を終えると、旦那様は湯飲みを置き、静かに立ち上がった。

 私は慌てて席を離れ、少し遅れてその背を追う。


「今日は……庭を少し歩こうと思う」


 振り向かずに告げられた言葉に、思わず足が止まった。

(……一緒に、ってこと?)


「あの、私も……」


「──ああ」


 たったそれだけのやり取りなのに、胸の奥がふっと温かくなる。


 外は春の陽気がやわらかく広がっていた。

 庭の梅はもう散り、若葉が陽に透けて揺れている。

 旦那様は何も言わず、ゆるやかな歩調で敷石を進んだ。


 私は数歩後ろから、その背中を見つめる。

 昨夜は長い銀髪だったが、今は黒く、男性にしては少し長めの髪。

 陽を受けて、深い色が艶やかにきらめく。


(昨夜の銀髪も幻想的で綺麗だったけど……今の姿も目を奪われるほど素敵。……って、何考えてるのよ、私っ!)


 心の中で慌ててツッコミを入れたものの、視線は離せなかった。


 無骨で、余計な装飾のない立ち姿。

 けれど、時折ふとこちらを振り返って歩幅を緩めてくれる。


(……気づかってくれてる)


 そんな瞬間が、何度もあった。

 ほんの小さな仕草だけれど、私にとっては大きな意味を持っていた。


「……好きか?」


 不意にかけられた声に、心臓が跳ねた。


「──えっ!?」

(ま、まさか今……私のことを……!?)


 急に喉が渇き、息を呑む。

 けれど旦那様は、何事もなかったように続けた。


「たまにこの庭の手入れをしていると聞いて、この庭が好きなのかと思ったのだが」


「え、庭……?」


(……“この庭が”好きか?ってこと!?)

 拍子抜けしつつも、頬が少し熱くなる。こくりと頷いた。


「はい! 好きです」


 私は庭を見渡した。

 神宮寺家の庭師によって、どこも美しく手入れされている。

 春の花々があちらこちらに咲き、これからも季節ごとの彩りを見せてくれるだろう。

 時折、庭師にお願いして少しだけ手伝わせてもらうのも、私のささやかな楽しみだった。


「草花に触れていると、落ち着きます」


「……そうか。なら、また好きにやるといい」


 淡々とした声。

 感情は読みにくいはずなのに、ほんの少し口元がやわらいだ気がした。


(……やっぱり、この人のこと、もっと知りたい)

 歩きながら、その思いが静かに芽を伸ばしていった。





 ──side 蓮



 環の足音が、数歩後ろからやけに耳に残る。

 振り返れば、陽の下で目を細めるその姿があった。

 柔らかな表情──私が知っているどの顔よりも穏やかだ。


 ……銀次と過ごしていた頃も、きっとこんな顔をしていたのだろうか。

 胸の奥に、またあの感情がわき上がる。

 後ろめたさと静かな苛立ち。

 そして、それを上回るほどの──惹かれ。


(……環と共にいると、心があたたかくなる)


 だが同時に思い出す。

 環も銀次を、こんなふうに想っていたはずだということを。

 そんな彼女を、私は契約結婚という形で奪い取った。


 その事実が、あたたかな心に影を落とす。


「……この庭は、好きか?」


 口をついて出たのは、咄嗟のごまかしのような言葉だった。

 一瞬きょとんとした環が、嬉しそうに笑って答える。


「はい! 好きです」


 その笑みに、心臓が強く脈打った。

 私のことを好きだと言ったわけではない。

 それでも、まるでそう告げられたような錯覚に陥る。


(……たとえ誤解でも、この手を離すつもりはない)


 そう思うほどに、環の笑みは私を甘く縛っていく。


 春の陽に照らされた銀の毛先が、風に揺れた。

 無意識に、それを目で追ってしまう。


 ふと足を止め、環を振り返る。


「……この先の藤棚は、もうすぐ見頃だ。あとで案内しよう」


「はい」


 少し照れたように笑みを浮かべ、視線を向けてくる環。

 その瞬間、胸の奥で何かが確かに鳴った。

 銀次の影がまだ消えなくても──今、この時間だけは私のものだ。


「……庭だけじゃない。おまえが好きなものを、教えてくれないか?」


「え……」


 環の瞳が驚きに揺れる。

 それを見て、私の口元はわずかに緩んだ。


(……もっと知りたい。目の前の、彼女のことを。銀次さえ知らない顔まで)


 柔らかな陽光の下、二人の間に漂う空気は、確かに昨日よりも近いと感じた。




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挿絵(By みてみん)
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