鳴り止まない電話
「店長……最近予約が少ないですね」
パソコンに表示された予約表を見つめながら、穂花は小さくため息をついた。
ここ一ヶ月ほど、新規の予約どころか、既存のお客様の予約まで大きく落ち込んでいた。
定期的に通われていたお客様からの予約連絡まで、今月に入ってからぴたりと途絶えている。
最初の頃は、連日の雨で客足が遠のいているのだろうと思っていた。
だが、天候が回復してからも、一向に状況は改善しなかった。
「天気もよくなったのに、なんで予約が入らないんでしょうか……」
半ば独り言のような呟きだった。
だが、その声は水川の耳にも届いていた。
「長くやってるとそんな時もあるわよ。またすぐに来ていただけるようになるわ」
水川は笑顔で答えた。
だが、その表情には違和感があった。
笑っているはずなのに、どこかぎこちない。いつもの明るさも感じられなかった。
(店長……なんだか元気がないように見えるけど、気のせい?)
「店長……あの……」
言いかけたその時だった。
「店長、予約も入ってないですし、今日はもうあがってもいいですかぁ?」
穂花の言葉を遮るように声を上げたのは、『Luna Sana』で働き始めてまだ六ヶ月ほどの新人スタッフ、西野未来だった。
西野は二十二歳のセラピスト見習いだ。
まだ身体に直接触れる施術は任されていない。
くりくりした瞳をぱちぱちさせながら、西野は言った。
栗色の髪を揺らしながら話す姿は、まだあどけなさが残っている。
「未来ちゃん、何か用事でもあるの?」
水川が優しく尋ねる。
「用事というかぁ~。母が体調悪そうだったので、今日は早く帰って家のことをやりたいんですぅ」
その言葉を聞いた水川は、はっとしたように眉を寄せた。
「まぁ!そうだったの!?ここはもういいから、早く帰ってあげて」
「はぁ~い。ありがとうございまぁ~す」
満面の笑みで返事をする西野に、穂花は内心ため息をついた。
(はぁ……。店長……)
くるりと背を向け、帰り支度を始める西野。
その姿を見るのも、これで何度目だろうか。
「じゃあお先に失礼しまぁ~す」
軽やかな足取りでお店を後にする西野の背中を、穂花は呆れたように見送った。
そして――。
拳を震わせながら、水川の顔を真っ直ぐに見つめ、口を開いた。
「……店長――!」
力のこもった穂花の声に、水川は小さく肩を揺らした。
「なんで信じるんですか!」
穂花の剣幕に、水川は身体を小さく丸め、落ち着かないように小刻みに身体を揺らした。
「でも……本当に体調が悪いのかもしれないし。未来ちゃんのご家族も心細いかもしれないから……」
「だ――か――ら――!」
声がさらに大きくなる。
「それがあり得ないんですって!今月だけで五回ですよ?!さすがにそんなに何度も体調を崩しませんよ……。それにどう見ても、あれは合コンに行く格好じゃないですか!」
穂花は、今朝西野がお店に来たときから気づいていた。
いつもより派手なメイク。
涙袋もしっかり描かれていて、ラメも忍ばせている。
髪のセットも完璧だ。
そして、いつも以上に短いスカート。男性受けを意識した服装。
普段の様子とは明らかに違う。
おそらく今日も合コンだろう。
前に一度、西野が電話で話している内容を耳にしたことがあった。
聞こえてきたのは、合コンの約束だった。
理由をつけて仕事を早く切り上げる、と西野は話していた。
その電話の後も、彼女は理由をつけて早退した。
「いい加減、彼女の嘘にも気づいてくださいよ……」
穂花は目を伏せ、ため息混じりに言った。
「気づかなくてごめんね。穂花ちゃんにも迷惑かけちゃって……」
水川は申し訳なさそうに肩を落とした。
(水川店長は誰にでも優しいけど、人を信じすぎなところがあるのよね)
「私は大丈夫ですから。ただこのままだと本人の為にもならないと思うんです」
穂花は苦笑いを浮かべながら、優しく水川に言った。
(……それも含めて、水川店長のいいところでもあるんだけどね)
穂花は気持ちを切り替えるように、明るく声を上げた。
「さっ!お客様が来られないなら、来ていただけるようにDMを出しましょう」
水川はほっとしたように表情を緩めた。
「そ、そうね。今できることをやらなくっちゃ……!」
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
数日後――。
店内にはスタッフしかいない。
ここ数日、予約が一件も入っていなかった。
「店長……さすがにおかしくないですか?」
穂花は力なくテーブルに突っ伏し、頬をぺたりとつけた。
ひんやりとした感触が頬に伝わる。
「…………」
水川の返事はない。
ただ俯いたまま、心ここにあらずといった様子で表情を硬くしていた。
(やっぱり……店長の様子がおかしい)
穂花が口を開こうとした、そのとき――。
プルルルル――。
店内に電話の音が響いた。
水川が受話器を取る。
「お電話ありがとうございます。『Luna Sana』水川が承ります」
数秒の沈黙が流れる。
水川は受話を持ったまま、ただ黙っていた。
(……?どうしたのかしら?)
穂花は頬を机に押し当てたまま、静かに水川を見つめた。
水川は、硬い表情のまま動かない。
そして――。
「……もしもし?」
水川の声のトーンが落ちる。
何か様子がおかしい。
穂花は顔を上げて水川を見つめた。
「……もしもし……聞こえますか?もしもし……?」
相手から返事はないようだ。
その様子を見て、穂花も無言電話だと気づいた。
水川はなおも呼びかけたが、返答はない。
やがて諦めたように、ゆっくりと受話器を置いた。
電話を切ると、水川を見ていた穂花と視線が合った。
水川が苦笑いを浮かべる。
「間違い電話かしら?電波が悪かったのかも……」
そう言う水川の顔は、明らかに青ざめていた。
(やっぱり変だ)
血の気が引いた顔色。
不安そうな表情。
その目からは、いつもの光が消えている。
穂花は立ち上がり、水川の傍へ歩み寄った。
「店長……大丈夫ですか?どこか具合が悪いんじゃないですか?」
穂花の問いに、水川はぎこちない笑顔を見せた。
「大丈夫よ。ちょっと疲れてるのかも……」
「でも……」
プルルルル――。
再び電話がなる。
水川は電話の音に反応するよう、ピクリと肩を揺らした。
水川の様子が気になりながらも、穂花は受話器をとった。
「お電話ありがとうございます。『Luna Sana』佐倉が承ります」
沈黙が流れる。
穂花は受話器に耳をあてたまま待った。
だが、相手からの返事はなかった。
(また間違い電話?)
不審に思いながらも、穂花は再び声をかけた。
「もしもし……『Luna Sana』ですが、聞こえますか?」
やはり返答がない。
「もしもし。もしもし……」
何度呼びかけても、相手が応えることはなかった。
そして――。
ガチャリ。
無言のまま、電話が切れた。
穂花は眉をひそめながら受話器を置いた。
そして――。
プルルルル――。
受話器を置いた直後、再び電話が鳴った。
(え……)
その時、初めて穂花は異変を感じた。
背筋に冷たいものが走る。
思わず息をのんだ。
目に見えない何かが迫ってくるような、不気味な恐怖を感じた。
その後も、幾度となく電話が鳴り続けた。
受話器を取っても、返ってくるのは沈黙だけ。
相手は何も話さないまま電話を切る。
それが何度も繰り返された。
(一体……何が起きているの?)
ふと顔を上げると、水川がさらに真っ青な顔色で呆然と立ちすくんでいた。
(もしかして……店長、何か知ってるの?)
穂花が口を開こうとした、その時――。
プルルルル――
再び電話が鳴った。
穂花は受話器を取った。
「……はい、もしもし……」
やはり無言だった。
穂花は、返事のない相手に呼びかけながら、横目で水川を見た。
そして確信した。
(店長は何かを知ってる……)




