隠れた想い
それから高城は、来た時のスーツに着替え、部屋を出た。
そこへ、扉の前で待っていた水川が声をかけた。
「乾くのが間に合ってよかったわ。雨も今なら落ち着いているみたい」
水川は、柔らかな笑みを浮かべ、高城を見つめた。
「ご迷惑おかけしてしまって申し訳ありません。それに、せっかくお時間をいただいていたのに……」
高城は申し訳なさそうに頭を下げた。
すると水川は、にっこりと高城に微笑みかけた。
「いいのよ。私たちはいつでも時間を作れるから。ベッドもちょうど一つ空いていたしね」
「ありがとうございます」
「それよりも……この後、ちゃんと病院行ってね。そして毎日、睡眠時間は確保すること。食べて、寝て、身体を労わってあげなさい」
「はい……」
そこへ――。
穂花がやってきた。
手には、高城の鞄を持っていた。
「たか……」
穂花は、高城の名前を言いかけて止まった。
(店長……と、高城さん……)
なんとなく、それ以上、足を進めることができなかった。
(高城さんのあんな表情、初めて見たかも……)
高城は俯き、表情は硬いながらも少し照れているように見えた。
耳も僅かに赤くなっていた。
穂花は壁際に身を寄せ、二人の視界に入らないよう立ち止まっていた。
(なんで私、隠れてるんだろう……)
穂花自身も、その理由は分からなかった。
すると、水川が高城を真っ直ぐに見つめ、口を開いた。
「体調が悪い時は、決して無理しないこと!高城くんは有名人だから、時間があまり取れないかもしれないけど、休みは必ず取りなさい。結局、高城くんが休んでも、なんとか会社は回るのよ」
水川の表情は、真剣だった。
まるで子供に言い聞かせるような、はっきりとした口調。
言い方はよくないかもしれない。だがそれは、水川が高城の身体のことを本気で心配しているからこその助言だった。
「……そう、ですね。わかりました」
水川の言い方に、高城は僅かに苦笑いを浮かべていたが、穂花にはどこか嬉しそうにも見えた。
「あっ!」
水川が何かに気づき、声を上げた。
「高城くん、ネクタイが曲がっているわよ」
水川の白い腕が、すっと高城の前へ伸びた。
寄れたネクタイを直そうと、指先を伸ばす。
瞬間――。
高城の顔が、一気に赤くなった。
「んー、相変わらず背が高いわね」
身長152センチの水川は、背伸びをしながら、やりづらそうに高城のネクタイを直していた。
すると高城は僅かに膝を曲げ、水川がやりやすい高さにまで屈んだ。
穂花はそんな高城の表情を、物陰からじっと見つめていた。
「す、すみません……」
高城は動揺を隠しきれていなかった。
水川は全く気づいていない様子で、そのままネクタイを直していた。
そして、ネクタイを直し終えた水川は、高城の背中を優しくぽんっと一度だけ叩いた。
「はい、これで大丈夫。早く治してね。みんな待ってるから」
水川は変わらない。いつもの慈愛に満ちた優しい笑みだった。
「……ありがとうございます」
高城は目を伏せ、小さく呟いた。
すると、高城の背中越しに、ふと視線を向けた水川が、穂花の姿に気づいた。
「佐倉さんっ。何やってるの? そんなところで」
高城の肩がぴくりと上下した。
(店長っ――!)
見つかってしまった――。
穂花は慌てて水川の元に駆け寄った。
「高城さんの鞄を持ってきましたっ」
穂花はなぜか慌てながら、鞄を差し出した。
悪いことはしていない。
だが、穂花は見てはいけないものを見てしまった気がした。
「あら、ありがとう」
水川は鞄を受け取ると、穂花に言った。
「高城くんの病院、付き添ってもらえるかしら?本当は私が行こうと思っていたんだけど、この後指名が入ったの」
「分かりました」
そう言って水川は、受け取った鞄を、そのまま穂花に返した。
すると、高城はすぐに口を挟んだ。
「大丈夫です、一人で行きますので」
水川が静かに首を振った。
「ダメよ。病人を一人で行かせられないわ。それに、一人にさせたら、病院行かなそうだもの」
水川の言う通りだ。
穂花は黙ったまま、何度も頷いた。
高城も、これ以上何を言っても無駄だと思ったのだろう。仕方ないとでも言うように、軽く息を吐いた。
「……では、佐倉さん。すみませんが、よろしくお願いします」
そうして穂花と高城は、『Luna Sana』を出た。
出る前にも高城は、水川と西野に頭を下げて詫びていた。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
タクシーに乗り込んだ穂花と高城は、病院に向かった。
車内はとても静かだ。
(気まずい……)
高城の顔が見られない。
気まずさに耐えきれず、話題を探す中、ふと、あの時の高城の表情が頭に浮かんだ。
着替えようとする時に、水川の視線を気にしたこと。
そして、高城のネクタイを直そうと、水川が手を伸ばした時の表情。
どちらも、今までの高城とは明らかに違っていた。
それが、言葉に出てしまった。
「……水川店長のこと、好きなんですね」
声にした後、穂花ははっと我に返り、思わず両手で口を塞いだ。
(しまった!)
言うつもりがなかった言葉。
(何でこんなこと言っちゃったんだろう……)
だが、後悔しても遅い。
もう、口に出してしまったのだから――。
「ごめんなさいっ」
穂花は、慌てて高城に謝罪した。
高城はしばらく黙ったまま、何も答えなかった。
(怒らせた……よね……?)
重い沈黙が続く。
穂花は焦った。
そして、高城がどんな反応をしているのか、ちらりと横目で見た。
(え……)
高城は、膝に置いた両手を震わせながら、顔を赤く染めていた。
「ごめんなさいっ。大丈夫ですか?」
穂花が謝ると、高城は震えた左手を口元に運び、隠すように覆った。
「なんで……」
「その……店長といる時の高城さん、いつもと違って見えたので……」
いつもの高城なら、きっと気づかなかっただろう。
けれど、今は熱のせいか、すぐ隣に水川がいたからか、思いがそのまま顔に溢れ出していた。
(うん……今日の高城さんは分かりやすく態度に出てたもん。これで気づかない方がおかしいわよ)
(まぁ、店長は気づいてなかったんだけどね。ご愁傷さまです……)
「そう、ですか……」
頬を染め、恥ずかしそうに口元を隠す高城が、穂花には新鮮だった。
今までの印象とはまるで違って見えた。
(ちょっと、可愛いかも……)
「大丈夫ですよ。誰にも言いませんし、もちろん店長にも言いませんから」
「はい……」
恥ずかしさに堪えるように、高城はただ一言だけ返事をした。
(そうか……。高城さんは店長のことが好きなんだ)
だけど、この恋は報われない。
水川は既婚者だから――。
穂花は、軽く高城の肩を二回叩いた。
「大丈夫です。いつか高城さんにも、店長以外の好きな人があらわれますよ」
穂花はにこりと微笑む。
高城は、恨めしそうに穂花を睨んだ。
「他人事だと思って……」
穂花は笑った。
なぜ笑ったのか――。ただ、今まで見せたことのない高城の新たな一面が見られて、嬉しかった。




