新たな気づき
翌日――。
話し合いの結果、高城の言うように、お客様にアンケートを取ることにした。
アンケートと言っても、堅苦しいものではない。『Luna Sana』にご来店いただく常連のお客様に、いつも水川がブレンドしているお茶をお出しして、もし商品化したら購入してみたいか尋ねる、というもの。
その結果は、穂花にとってとても意外だった。
穂花は、きっとお客様はいい顔をしないと思っていた。
せっかく『Luna Sana』に来て、ゆっくり自分の時間を楽しんでいる中で、自分が今飲んでいるお茶が商品となってしまって料金を支払わなければいけない――。きっと、よくは思わないだろう、と。
だが、お客様の反応は違った。
たちまち笑顔を浮かべ、嬉しそうに目を輝かせるお客様がほとんどだった。
――私専用のお茶が飲めるんだったら、料金払ってでも飲みたい。
――家でも飲めたらと思っていたの。
――お金を払うだけの価値があるわ。今まで請求されなかったのが申し訳なかったくらい。
ほとんどのお客様が、好意的に捉えていた。
(本当に、私は忘れていたんだ。初めて店長が月花茶を出してくれた時のことを……)
(お客様は、ちゃんと水川店長が配合したこの一杯に、価値を見出してくれていたんだ)
そして――。
ちらりと高城の顔が浮かぶ。
(きっとあの人も、その価値を分かっていた。だから――)
穂花は、内心苦笑いした。
(私だけが、分かっていなかった――)
『Luna Sana』の一日の営業が終わろうとしていた頃、水川が穂花に声をかけた。
「驚いたわね。まさかこんなに好意的に受け止めてくれたなんて……」
水川は静かに呟いた。
「でも、こんなにお客様に喜んでいただけていたなんて、嬉しいわぁ」
水川は胸元で両手を組み、祈るようなポーズで嬉しそうに微笑んだ。
「しかも、こんなに商品化を望む声があったなんて。尋ねてみてよかったかも……」
「……そうですね」
笑顔の水川とは対照的に、穂花の表情は硬かった。
(私も、その価値を誰よりも理解していたはずなのに、いつの間にか忘れてしまっていた)
(そして、西野さんとあの人のほうが、私よりずっとその価値を分かっていた……)
その事実を思い知らされ、穂花は笑うことができなかった。
「どうしたの?佐倉さん」
そんな穂花の様子を不思議に思い、水川が声をかけた。
穂花ははっとし、顔を上げた。
「いえっ、お客様はちゃんと水川店長の作るお茶の価値を分かっていた、ということですね。私も嬉しいですっ」
そう、お客様はちゃんとわかっていた。
それは、心から嬉しかった。
穂花も笑顔を見せた。
「えへへ……ありがとう」
水川は、照れくさそうに笑った。
(店長が笑っていると私も嬉しい……。私もちゃんと受け止めよう)
そして――。
穂花は真っ直ぐに、水川を見つめた。
「これだけお客様が喜んでくださっているのですから、商品化、しなきゃですね」
穂花は迷いのない目で、水川に言った。
「私もっ、賛成でーす!」
会話を聞いていた西野も、後ろから元気いっぱいに手を上げた。
すると水川は、身体を小さく縮こませ、両手を前にして、指先をもじもじと持て余すような仕草をしながら、上目遣いで言った。
「穂花ちゃん……本当にいいの?」
申し訳なさそうに尋ねる水川に、穂花は笑顔を見せた。
「もちろんですよ!お客様が、水川店長の作るお茶を望んでおられるんですから。いつでも飲めるように、商品化、しましょう!」
「穂花ちゃん……」
水川は、目を少し潤ませていた。
すると、西野が、
「ほらっ、『穂花ちゃん』って名前呼びになっていますよ」
と、水川に指摘した。
「あ、ごめんなさい……」
水川は少し慌てながら、涙を拭くような仕草を見せた。
(これで、よかったんだ……)
水川の姿を見て、穂花は改めてそう思った。
水川にとっても、お客様の声を直接聞いたことは、大きな意味があったのだろう。
そして穂花も――。
お客様に寄り添うサービスをしたい。
穂花は常々そう思いながら仕事をしていた。けれど、どこか独りよがりになっていたのかもしれない。
「お客様のために」という想いだけではなく、お客様が何を望んでいるのかを知ることも大切なのだ。
今回のことで、穂花は改めてそう感じていた。
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そして、再び高城が『Luna Sana』を訪れる日がきた。
皆がそれぞれに準備を整え、いつもと違う緊張感が、『Luna Sana』を包んでいた。
そして――。
静かに扉が開き、高城優馬が現れた。
今日はあいにくの雨だった。
ビニール傘を手に持ち、佇む高城。
そのスーツの肩先やズボンの裾には、雨に濡れた跡が残っていた。
そして漆黒の髪もしっとりと濡れ、毛先からは雫が静かに滴っていた。
高城の背後では、雨が激しく地面を叩いていた。
「あらっ、すごい雨。大丈夫?」
水川は手にタオルを持ち、すぐに高城のもとへ駆け寄った。
そして穂花も、高城の持つビニール傘を預かり、それを傘立てに入れた。
「……すみません、ありがとうございます」
落ち着いた声だった。
高城は、水川からタオルを受け取り、それで濡れたスーツや髪を拭いた。
「すごい雨ですね……」
穂花が呟くと、髪を拭いていた高城がぴくりと反応し、穂花に視線を向けた。
濡れた髪の隙間から、夜を思わせる深く黒い瞳が覗く。
目が合った。
瞬間――。
穂花の心臓が、大きく波打った。
吸い込まれそうなほど深い、夜の瞳――。
穂花は反射的に目を逸らした。
(やっぱり、あの人の目を見ることができない……)
時間にすれば、ほんの一瞬。一秒にも満たなかったかもしれない。
だけど――。
(吸い込まれそうで、怖くなる。何でだろ……)
穂花自身も、理由が分からなかった。
穂花は、落ち着きを取り戻そうと、一度深く息を吐いた。
そして、高城から濡れたタオルを預かった。
(あれ……?)
穂花は、高城の横顔を見ながら、彼の小さな異変に気づいた。
改めて、その横顔をじっと見つめる。
男性らしい力強さを感じさせる、整った顎のライン。
長いまつ毛。すらっと伸びた鼻筋。
そして――。
頬にさすわずかな赤み。
(もしかして……!)
考えるより先に、身体が動いた。
「高城さんっ、ちょっとごめんなさい!」
穂花は、高城に手を伸ばした。
その手を高城の額に当てた。
(やっぱり……)
「穂花ちゃん、どうしたの?」
水川がその様子を見て、隣で声をかけた。
「先輩?」
西野もまた、穂花の行動に驚き、声を上げた。
穂花は――。
「高城さん、熱があります!」
それはきっぱりと強い口調だった。
高城の身体は、穂花が触れて分かるほど熱かった。
その上、これだけ雨に濡れている。
どうにかしないと――。
それだけの思いで、穂花は動いていた。




