忘れていた一杯
4日後――。
高城優馬は、『Luna Sana』を訪れていた。
真っ黒なスーツに、漆黒の髪。
長いまつ毛の奥には、夜の闇を思わせる黒い瞳が覗いている。
覗き込めば、吸い込まれそうなほど深い闇。
穂花は、反射的に目を逸らした。
(どうしても、ちゃんと見れない……)
「おはようございます」
皆が挨拶を交わす。
その中でも、一際大きな声で挨拶したのは、西野未来だった。
表情も、とても明るく晴れやかだった。
その声に、目を伏せていた穂花もはっとして顔を上げた。
(西野さん……)
西野は、まっすぐに高城を見つめていた。
その瞳には、迷いなど微塵も感じられない。
(西野さんは、ちゃんと前を見て進んでいる。それに比べて私は……)
高城は、ゆっくりと一人ひとりの顔を見るように、視線を向けた。
その中でも、やはり穂花だけは――
高城の目を、直接見ることができなかった。
すると、高城は正面を向き、西野に視線を移した。
「……西野さん。戻ってこられたんですね」
変わらない、平坦な声。
「はい!お休みして申し訳ありませんでした!」
そう言うと、西野は勢いよく頭を下げた。
その姿を、ただ静かに見つめていた高城は、
「いえ……今日からまたよろしくお願いします」
と、表情を変えずに言った。
西野は頭を上げると、ぱっと表情を明るくし、満面の笑みを浮かべた。
「こちらこそっ、よろしくお願いいたします!」
西野はとても嬉しそうだったが、穂花はその姿を見て、もどかしさを感じていた。
(ちょっと……それだけ?!)
(ちゃんと見てよ!西野さん、髪も黒くして、メイクも変えて、アクセサリーも全部外して……)
(これだけ変わったんだよ?美容コンサルタントでしょ?ちゃんと見てる?)
不満と苛立ちが込み上げてくるのを、穂花は必死に抑えていた。
そして、全員が席につき、淡々と会議が進んでいく。
現状報告――。
水川が中心となって、今の『Luna Sana』の現状を報告していった。
西野も、初めての参加ながら積極的に相槌を打ち、質問をしていった。
(西野さん、すごい……)
穂花はただ、必要事項をノートに書き留めていく。
すると、しばらく経ったところで、高城が話すのを止め、穂花に視線を向けた。
穂花の肩が、ぴくりと揺れる。
(え……何……?)
高城は穂花を見つめたまま、口を開いた。
「……佐倉さんは……」
「はいっ?」
突然話を振られて、穂花は動揺のあまり、声が上ずってしまった。
(恥ずかしい……)
穂花は俯いたが、高城はそんなことなど気にも留めず、話を続けた。
「これからもっと売上を伸ばすには、どうしたらいいと思いますか?」
(売上……)
穂花はペンを置き、考えた。
そして――。
「そうですね。せっかくお客様が戻って来られているので、期間限定のキャンペーンを行うなんてどうでしょうか?」
「キャンペーンとは?」
高城は静かに尋ねた。
「日頃の感謝の気持ちを込めて、この期間に来店されたお客様に、スペシャルフェイスパックをご提供するとか……」
すると、高城は眉間にややシワを寄せた。
「それは有料ですか?」
高城の声が僅かに固くなったのに気づき、穂花は少し慌てながら答えた。
「いえ……お金はいただかないんですけど、サービスをすることで、感謝の気持ちをお客様にお伝えできますし、次に繋がると思うんです」
すると、高城は俯き、呆れたように大きくため息をついた。
「……話になりませんね」
投げかけた言葉が、穂花の胸を容赦なく突く。
「話にならないって……どういうことでしょうか?」
高城は顔を上げ、真っ直ぐに穂花を見据えた。
穂花は、この日初めて高城の目を正面から見た。
色のない、冷たい目――。
「そのままの意味です」
熱のない声で、高城は言い放った。
「佐倉さん、今の状況、理解していますか?今は数字を上げないといけないんです。でないと廃業してしまうんですよ。そんな中、無料のサービスなんて、あり得ません」
淡々と言う高城。
だが、その目には、佐倉への強い批判の色が浮かんでいた。
穂花は一瞬怯みながらも、口を開いた。
「ですがっ……それが今後の売上にも繋がると思うんです」
「私たちがどうにかしないといけない問題は『今』なんです。今をどうにかしないと、佐倉さんの言った『今後』はないんですよ。今は数字を上げること、それが一番の目標なんです」
穂花は次の言葉が出てこなかった。
高城の言っていることは分かる。
だが、なんでも数字だけで解決してほしくはなかった。
穂花と高城。
お互い視線を交わしながらも、交わらない想い。
ただ歯がゆい気持ちだけが穂花の中に残った。
「先輩……」
西野が心配そうに穂花を見ている。
穂花は我に返り、姿勢を正した。
そして、高城もまた視線を前に向け、話し出した。
「次は、オリジナルのお茶の商品化の話ですが……」
「オリジナルのお茶?」
西野が小さく口にした。
水川は西野の耳もとで、お一人おひとりに合わせてブレンドするお茶のことを、小声で説明した。
「あぁ……」
西野は小さく頷きながら納得していた。
そして高城は提案した。
商品化に反対なら、お客様にアンケートをとってみましょう、と――。
「アンケート?」
水川が不思議そうに首を傾ける。
「えぇ……。直接アンケートをいただくのもいいですが、お客様との会話の中で尋ねてみてください。ご自身のために作られたブレンド茶を、購入して飲みたいと思うかどうか……」
(お客様に尋ねる……)
「皆さんは、『お客様のために』とずっと言っておられますが、お客様が本当に望んでいることは何なのか……ご自身の目で、耳で、直接確かめてみてください」
(お客様の望んでいること……)
――休憩を挟みながら、約二時間に及んだ会議は終わった。
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「店長……高城さんの提案、どう思いますか?」
会議が終わり、高城が『Luna Sana』を去った後、穂花は水川に尋ねた。
お客様の体調に合わせて配合するブレンド茶――その商品化のことだ。
水川はゆっくりと口を開いた。
「う――ん。元々はお客様のためにと、その日その日で配合を変えて作ったものだから、それを売ることは全く考えていなかったけど……」
水川は空を仰ぐように顔を上げ、しばらく考え込んだ。
「私も基本的には佐倉さんと一緒で、反対ではあるのよ。だけど、高城くんの言うことは一度飲み込もうと思ったからね」
水川は以前言っていた。
もし自分の想いとは違うことを言われても、受け入れよう、と――。
理想や想いだけでやっていった結果、『Luna Sana』は今、廃業の危機を迎えている。だから、高城の言うことを一度飲み込もうと、水川は言っていた。
穂花はくるりと西野のほうに向き、言った。
「西野さんは、どう思う?」
西野はしばらく『Luna Sana』にいなかった。ブレンド茶の商品化の話を今日初めて聞いたのだ。
西野がどう思ったか、穂花は気になった。
「私は……悪くないと思いますよ」
西野は笑顔で答えた。
「え……」
てっきり反対かと思っていた穂花は、意外な答えに思わず声を漏らした。
「私も、店長が作ったお茶大好きですし、家でも飲めたらなぁと思いますもん。先輩もそう思いません?」
西野の言葉に、穂花は何も言えなかった。
(お茶が……好き……)
その言葉が、胸に強く響いた。
(そうだった……。私も初めて飲んだ時に、この豊かな味や香りに、感動と衝撃を受けたんだった)
穂花は初めて飲んだ時の感動を蘇らせるように、その記憶を辿った。
(私も、店長の作ってくれたこのお茶が大好きで、毎日でも飲みたいと思っていた……)
続けて、西野が言った。
「とりあえず、高城さんが言うように、一度お客様の声を聞いてみてもいいと思いますよ」
西野はふわりと微笑んだ。




