西野の過去
制服に着替え、テキパキと笑顔で動く西野の姿を見て、穂花は心から嬉しかった。
「西野さん。私、西野さんのこと、誤解してた。この休んでいる間に、西野さんは色々と努力したんだね」
穂花の言葉に、西野は手を止めた。
「私が辞めると思いました?」
西野は笑顔を浮かべ、穂花へ視線を向けた。
「え……」
穂花は思わず言葉に詰まってしまった。
実際、高城に厳しいことを言われて、もう戻ってこないかもしれない――。そう考えてしまったのは事実だった。
だからこそ穂花は、西野がいないことへの悲しさや不安を、ずっと胸に抱えていた。
穂花が言葉を返せずにいると、西野は少し俯いてから息を吐き、そして顔を上げた。
笑みを浮かべてはいるが、その瞳は揺るがず、真っ直ぐだった。
「西野さん……?」
西野の真剣な姿に、穂花は一瞬、戸惑いの表情を浮かべた。
「高城さんに言われた時は、確かにショックでした。だけど、その通りだと思ったんです。私はまだ新人で、施術に入れないのは当たり前だからと、どこかで甘えてしまっていたんです。高城さんの言葉で目が覚めました」
そう言い切った西野の表情は、とてもすっきりしていて晴れやかだった。
「お店のために、店長のために、といいながら、私自身何もできていなかったんですよね。それに改めて気付かされました」
「西野さん……」
すると、少し離れたところでやり取りを見ていた水川が、ゆっくり歩み寄り、口を開いた。
「そんなこと言わないで。未来ちゃんは頑張ってたじゃない!施術の練習もいっぱいしてたし、私たちがやりやすいように、用材をセッティングしてくれてたでしょ。おかげで、とてもやりやすかったわ」
水川は優しく西野に微笑んだ。
「もうっ!店長――!私を甘やかさないでくださいっ!」
西野は小さく口を膨らませた。
笑い声が広がる。
『Luna Sana』に、いつもの優しい時間が流れた。
「それに――」
西野はくるりと振り返り、再び穂花を見つめた。
「私は、高城さんのことを信じていますから。高城さんの言うことは、間違いないんですよ」
笑顔で話す西野だったが、穂花は違和感を覚えた。
なぜ西野が、ここまで高城の言うことを全面的に信用しているのか、不思議だった。
(いくらあの人のファンだとしても、ここまで信用できるものなの?)
穂花のささやかな疑念は、自然と口に出ていた。
「なんでそこまで信用できるの?」
それは独り言のような小さな呟きだった。
だが、西野はその言葉に気付き、丸く目を見開いて穂花を見つめた。
「あ、ごめん……」
つい出てしまった言葉に、穂花は口を押さえる。
だが、西野は静かに首を振り、そしてにこりと笑って口にした。
「 高城さんは……私の恩人なんです」
「恩人っ?」
西野の思いがけない言葉に、穂花は思わず固まってしまう。
「それって……」
穂花が尋ねると、西野は口を開いた。
「……私がまだ17歳の、高校生だった頃です。父が勤めていた会社が経営難で、倒産の危機にあったんですよ。大手の子会社だったんですが、親会社の経営が悪化して、子会社である父の会社を傘下から外すということになって……」
西野は俯き、淡々と話を続けた。
「小さな会社だったので、親会社の支援がなくなれば、もう自力ではやっていけない状態だったんです」
西野の話に、穂花は思わずこくりと小さく息を飲んだ。
それから西野は、全ての過去を穂花に話した。
長年働いてきた会社が倒産するかもしれない――。その不安や焦りから、家庭内の状況はぎくしゃくし始め、両親の言い争いが絶えなかったそうだ。
父と母が大好きな西野は、大好きな両親が毎日言い争いをするのが耐えられなかった。
その時はとても苦しかった、と。
やがて家庭内の状況は悪化し、離婚する直前まで行ってしまった。
そこに現れたのが、高城優馬だった。
まだ20代にして、すでにコンサルタントとしての地位を確立していた高城は、見事に親会社の経営を立て直した。
その結果、子会社である西野の会社も傘下から外されることはなく、父はそのまま会社で働き続けることができたという。
「そのおかげで、また両親の仲も戻り、離婚せずにすんだんです」
西野は当時を回想するように、最後は感慨深げに口もとを緩めた。
「そう……だったのね」
西野の意外な過去――。
(知らなかった。いつも元気で明るい西野さんに、そんな過去があったなんて……)
そして西野は顔を上げて、明るく笑った。
「だから私にとって、高城さんは恩人、高城様!なんですよ。私が勝手に言っているだけで、高城さんは私の父に会ったことも、一個人の家庭を救った気もないんでしょうけどね」
そう言った西野の笑顔が、穂花にはとても眩しく見えた。
「私にとっては高城様だけど、ここはお仕事の場だから。高城さんの前で、高城様!なんて言ったら、それこそ不純な動機で働いてると思われそうだから、ここでは『高城さん』と言うようにしました」
(だから、「さん」だったんだ……)
この二週間で、西野の中で色々と変化があったのだろう――。
そしてその変化は、間違いなく西野にとって、『Luna Sana』にとっても良い変化だと、穂花は思った。
(だけど私は……)
(まだあの人のこと、信じきれずにいる)
皆が前を向いて進んでいる。
だけど、自分だけがまだ進めていないようで、穂花は少し取り残されたような気持ちだった。




