夜の瞳に見えたもの
それから、二週間が経った。
メニューを一部変更し、高城の案を取り入れながらも、内容に少し手を加え、より『Luna Sana』らしいメニューとなった。
お客様からも概ね好評で、価格を上げたことに難色を示す方もいたが、施術内容をより充実させたことにより、その声は少しずつ薄れていった。
穂花はパソコンを開き、今月の集客数と売上を確認した。
その数字に、目が釘づけになった。
「店長……」
震える声で呼びながら、水川へ視線を移した。
「うん」
目が合うと、水川は笑顔を浮かべた。
そして、確信したように強く頷き、口を開いた。
「最近、少しずつだけど、お客様も戻ってきてるもんね」
「はいっ!」
穂花は力強く答えた。
(やはり、気のせいじゃなかった)
お客様が増え、少し活気が戻ったような気がしていた。だが、確信が持てなかった。
しかし、パソコンに表示された数値を目にし、穂花ははっきりと実感をすることができたのだ。
「よかったです、店長……」
穂花は目を潤ませながら言った。
(私たちが考えたことは、間違いじゃなかった)
「もうっ、穂花ちゃんっ。泣かないで」
水川は、穂花の横に歩み寄り、優しくその頬を撫でた。
「まだ……泣いてませんっ」
ぐっと涙をこらえる穂花の身体を、水川は優しく抱きしめた。
「はいはい。……ありがとうね。一緒に考えてくれて……」
水川の優しい温もりが、穂花の胸に込み上げてきた想いを、さらに高ぶらせた。
溢れた涙が、ぽろりと頬を滑り落ちる。
「もうっ!店長のせいで泣いちゃったじゃないですかっ!」
水川ははっとして、穂花の身体に回していた手を離した。
「えっ? えぇ? 私のせいなの?穂花ちゃん、ひどいよ」
水川はふわりと笑った。
その笑顔に、じんわりと温もりが広がるのを穂花は感じた。
(やっぱり、水川店長の笑う顔が好きだなぁ)
その時――。
「あっ!」
水川が突然、大きな声を上げた。
「店長……どうしたんですか?」
穂花は目を丸くしながら、水川に尋ねた。
(急に大きな声を出して、どうしたんだろう?)
水川は考え込むように、ゆっくりと口を開いた。
「……私、また『穂花ちゃん』って言ってたよね……?」
そうだった。
あまりにも自然に呼んでいたため、穂花自身も気づかなかった。
「言って……ましたね。でも、大丈夫ですよ。二人しかいないですし」
「ダメよ!普段名前で呼んでたら、うっかりして他でもいいそうだもん。高城くんがまたなんて言うか……」
穂花は少し意外だった。
高城のことを気にしている水川が。
どんな場面でも変わらない態度でいた水川が、高城のことを怖いと思っているとは思わなかったのだ。
「……店長、もしかして高城さんのこと、少し怖いとか思ってます?」
穂花は、水川の表情をうかがうように尋ねた。
「そりゃあ怖いわよ。昔から厳しい人ではあったけど、なんか私に対しては特に厳しいの。学生の頃なんて、私の方が年上なのに、いつも痛いところをビシビシ言われていたわ」
そう言って、水川は少し俯いた。
「そう……なんですか?」
自分の意見が通らなかったことで、水川はさすがにショックを受けていた。
それでも高城に対しては、堂々と振る舞っているように見えた。
穂花が目を丸くしていると、水川が言った。
「……意外? まぁ、私の方が年上だし、オーナーとしての立場もあるから、毅然としていないとね。だけど内心は、高城くんの言動にビクビクしてるのよ」
水川は少し笑ってみせた。
(菩薩のような水川店長を怯えさせるなんて、高城優馬――どんだけなのよ……)
「でも、けして悪い人ではないのよ。厳しくはあるけど、間違ったことはしない人だから」
水川の言葉を聞いた瞬間、穂花の脳裏に、高城が来てからずっと店を休んでいる西野の顔が浮かんだ。
あんなに『Luna Sana』のこと、そして店長のことを大切にしていた西野。
高城が来てから、一度も店に来ていない。
穂花は俯きながら、ぽつりと呟いた。
「……私は、そんな風に思いません……」
(だって、西野さんはあの人に酷い言い方をされたから、傷ついて来られなくなった……)
水川は困ったように苦笑いを浮かべた。
「まぁ、明日高城くんが来るから。少しずつお互いのことを分かっていければいいと思うわ」
(そんなこと言われても……)
「少しずつだけど、お客様も戻ってきたし、メニューも一新して利益も出始めてるから。高城くんに、私たちもできるんだというところを見せていこう!」
水川は笑顔で小さくガッツポーズをした。
(明日……あの人が来る)
水川の笑顔とは裏腹に、穂花の気持ちは沈んでいた。
どうしても、高城を受け入れることができなかった。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
――そして翌日。
高城優馬がやってきた。
前回の訪問から、約二週間が経っていた。
穂花は、重い気持ちを抱えたまま、この日を迎えていた。
高城の深く漆黒の瞳が、静かに二人を見据える。
その瞳はどこまでも深く、覗き込めば深い闇の中に落ちてしまいそうで、穂花はまともに高城の目を見ることができなかった。
高城の形のよい唇が、ゆっくりと動く。
「皆さん、おはようございます。早速ですが、この二週間の成果を見せていただけますか?」
「はい……」
穂花は返事をして、『Luna Sana』の売上を管理しているノートパソコンを静かに手に取った。
パスワードを入力する。
そして今月の客数や売上のページを開き、高城に見えるよう、パソコンを向けた。
客数と売上の数字。
そして、それをグラフ化したもの。
高城は、静かに画面を見つめたまま動かなかった。
沈黙に、緊張が走る。
穂花も水川も、ただ黙って高城の姿を見つめていた。
やがて高城は小さく息を吐いた。
その姿を見て、穂花は小さく息を飲んだ。
高城の長いまつ毛が動き、ゆっくりと顔を上げる。
パソコンの画面から、穂花たちへと視線を移した。
そして――。
高城は、その目尻をわずかに下げて言った。
(え……今、笑った?)
「この二週間、少し戻ってきましたね」
一瞬だった。
気のせいかと思うほどの、ほんのわずかな高城の笑み。
ずっと表情を崩さず、何を考えているのかも分からないような無表情な姿しか見ていなかった穂花にとって、そのわずかな笑みは、強烈な印象を残した。
(この人も、笑うんだ……)
当たり前のことなのに、小さな驚きと新鮮さがあった。
「メニュー改革、上手くいったようですね」
次に、水川が動いた。
手元に裏返しに置いていたメニュー表を、高城に差し出す。
「実は……あれからまた二人で考えたの。高城くんの言うように、人件費などの諸経費は抑えながらも、『Luna Sana』らしい、うちにしかできない施術を取り入れて……」
高城は差し出されたメニュー表を受け取り、じっくりと目を通した。
高城が提案したものとは違うメニュー表。果たして、どんな反応をするのか――。
穂花と水川は、緊張しながら高城の言葉を待った。
(あの人が考えたものと中身を変えたから、何か言われるかもしれない……)
落ちつかない。
高城がメニュー表を見ている時間が、穂花には長く感じられた。
そして、ゆっくりと高城が口を開いた。
「いいんじゃないでしょうか」
高城の意外な言葉に穂花は驚き、初めて高城の瞳を真っ直ぐに見つめた。
それは、深い深い夜の闇。
だが――。
その瞳の奥に、澄んだ夜空の青を、穂花は感じた。




