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104 カメさんとお友だち



 フードですっぱり顔周りまで覆いながら、私は扉に付いている小窓から外を覗いてみた。


 小窓から見える範囲では、特に何も異変はないようだ。ユエジンさんはこの車の近くにいると言っていたけれど、ここから見る限りでは影も形もない。ただ、青い空が広がるばかりだ。


 反対側だろうか。それとも、他の場所で襲撃を受け、その応援に行ったのだろうか。


 こういうときユエジンさんもテレパシーが使えたら、いつでも状況確認し合えるのに、と不安に思っていると、不意に頭の中に何かが聞こえた。


 もしかしたら王太子殿下かもしれない。


 さっきみたいに、こちらに言葉を届けてくれるのかも。


 物理的に聞こえるわけではないのでいくら耳を澄ましたところで意味はないのだと分かっていても、私は息を殺してわずかな音も聞き漏らさないように耳に意識を集中した。


『……っ、のっ、……てっ』


 ラジオの周波数を合わせるような感じで、急に音が上がったり、雑音が混じったりする。


 ダイヤルを合わせてはっきり聞こえる位置を探すように、目を瞑って聞こえる音に集中した。


『……て、た……てっ、い……いのっ』


 うん、声ははっきり聞こえる。途中途切れるし雑音も入るけれど、声質ははっきり分かる。


 これは女の子だ。


 小さな、小学生くらいの女の子の、泣き声だ。


 胸に迫る悲痛な声に、こちらまで胸が締め付けられるように痛む。


「大丈夫?」


 思わず口からこぼれた声は、届いただろうか。

 どこにいるか分からないから、どこに向けて声を発すれば良いのか分からない。


 ツディーネやウフマと会話するときは、目の前にいるのが基本だし。


「あの、どこにいるか、教えてもらえる? 私で助けられなくても、誰かに助けに行ってもらうから」


 どこに声を届けば良いのか分からないけれど、届いて欲しいと思った。


 言葉ははっきり聞き取れなくても、助けを求める声だと思うから。


『聞こえる、の?』


 答える声は、はっきり聞こえた。十歳くらいの、女の子の声だ。少し舌足らずな口調で、涙混じりの声が頭に入ってくる。


「うん、聞こえるよ。どうしたの? 何かに襲われた?」


 この状況で聞こえる声ということは、魔のものに取り憑かれたグリパレに襲われた可能性が高いだろう。助けられるかな。グリパレに襲われたってことは、空を飛べる旧生物だろうから、地上に降りてもらった方が良いのかな。


『分かんない。たすけて、いたいの』

「今、どこにいる?」

『勝手に身体が動いちゃうの。こわいよ。いやなのに。やめて、たすけてっ』


 助けたい、と衝動に突き動かされる。いても立ってもいられないもどかしさに、私はそわそわと外の様子を小窓から覗いてみたり、ユエジンさんを探したりした。


 せめてユエジンさんに話せれば、どうにかできると思うのに。


「どうしたらいい? 助けたいのに」


 小さくこぼした泣き言に、のんびりした声が答えた。


『願えば良い。出て行って、と』


 え、と固まっていると、何かがいる気配がした。


『大丈夫、チヨコならできる。願って』

「カメ、さん……?」


 カメさんの声が聞こえる。どこに、と見回すと、向かいの座席のクッションの下から顔を出していた。クッションを背中にこんもり乗せて、さながら甲羅の代わりのようにも見える。


「え、ど、いつ、ここに!?」


 もしや初めから乗ってた!?


『さっき。お友だちの声が聞こえたから。チヨコ、助けたい? なら、願って』


 いつものように端的な言葉。でも、お友だちって。願うって。


 その言葉に、カメさんに初めて会ったときのことが記憶の端からやってくる。


「お友だち、魔のものに取り憑かれた旧生物に襲われてるんですか? 出て行ってって願えば、助かるの?」

『……? 魔のものに取り憑かれたお友だちを助けたいんでしょ? 早くしないと、全部、奪われちゃう』

『こわいよ……っ、からだ、へんだよ……っ』


 すすり泣くような小さな声が、どんどん弱くなっていく。カメさんの言葉を正している余裕はないようだ。


「ま、待って、大丈夫だから! あの、今から言う言葉は、襲ってるものに対しての言葉だからね!」


 前置きをして、すっと息を吸い込む。この間と同じように。カメさんの言う通りにすれば、きっと大丈夫。


「出て行って! お願い!」


 ぎゅっと両手を握りしめて、思いを込める。どこに届けたいのか分からないまま発した言葉は、どこかには届いたらしい。


『ここにいた』


 小さなささやきのような声が耳を掠め、消えていった。


『もう大丈夫』


 ぎゅっと身体を緊張させていた私に声をかけたのは、カメさんだった。


「……大丈夫?」

『うん、出て行った。もういない』


 クッションに埋もれたように首だけ出しているカメさんを救出すると、カメさんは眠そうに瞳を閉じた。


「カメさんの、力ですか?」

『私? 私は何もしていない。声を聞いただけ』

「声?」

『そう。お友だちの声。この声が聞こえている間、私、眠れないから。朝からずっと聞こえてて、ようやく静かになった』

「えーっと、じゃあ、魔のものはもういないってことですか?」

『この辺りにはいないと思う。……もう寝てもいい?』


 抱き上げた身体からは力は抜けていて、手足はだらーんと重力に従って下がっている。首だけはどうにか持ち上げているけど、その目も眠そうに閉じかかっていた。


「あの、今、魔のものが取り憑いた旧生物に襲撃されているところで、ここはちょっと寝るには落ち着かない場所かと思うんですが」


 危険だから安全なところに落ち着いてから寝ましょうと口にする前に、カメさんは不思議そうに顔だけ傾げ、閉じかかっていた目をほんの少し開けて私を見た。


『魔のものなら、もういない。だからここは安全だ。——そう、ここが一番、安心する』


 くてん、とついに首まで力が抜けてしまった。抱き上げた甲羅から色々垂れ下がっている。海亀としてこれで良いのかと思ったけれど、ぐっすり眠ってしまってるようだ。


 安心しきってるように見えて、思わず口元が緩んでしまう。


 ぎゅっと腕の中に納めると、その首がすり、と腕に頬ずりするように動いて、私は静かに悶絶した。


 か、かわっ!! 今、確実に首すり寄せてたっ! つるんてした頭が私の腕にっ!


 目一杯抱きしめたい気持ちをどうにか抑えて、幸せな気持ちのまま、私は椅子に座ってユエジンさんととおくんが戻ってくるのを待った。





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