忍者、定める
「くっそー。エライ目にあったぜ」
「凄かったもんねー。師匠が消えたと思ったら、エイナが一回転して地面にビタンッ! だからね」
腹をさすりながらベルと街を練り歩く。黒い雲は未だその蓄えた水分を放出せず、ギリギリまで抑え込んでくれているようだ。その雨の予感から、街の人たちは洗濯物どころかそれをぶら下げる紐ごと屋内に回収し、いつもは食欲をそそる香ばしい匂いを放つ屋台も、早々と店じまいをしている。反面、いつもは仕事終わりの夕方ごろが書き入れ時の酒場などからは、珍しく酒より飯の香りが強かった。
そんないつもとは違う街の様子を伺いながらベルと会話を続ける。道中の話題は、ジンさんとの訓練についてだ。
ベルの言葉を信じるなら、俺が剣を振りかぶったその時、ジンさんの姿が掻き消えた、とのこと。再びその姿を認識した時には、左手は高く掲げられ、その右手には俺の剣が握られていたらしい。
おそらく、一瞬で間合いを詰めて持ち手ごと剣を押さえつけ、掬い上げるようなボディーブローを放ったのだろう。腹に残る鈍い痛みが、その事実を物語っている。
俺が負けた原因は二つ。一つはジンさんの一連の行動を、全く感知することができなかったということ。虎の魂を発動していなかったとはいえ、それでも人並みの五感は持っている。目前に居た人間を見失うなど、普通ならありえないといっていいだろう。だが俺より遠方に居たベルが、ジンさんの挙動を追い切れなかったというのだ。強化してない俺とベルの感覚がほとんど同じだと考えれば、より近くにいた俺が見逃すのはむしろ当然、か。ありえないのはジンさんのスピード、ということになるだろう。
二つ目が、完全なる力負け。持てる魔力全てを獅子の心に回していたというのに、持ち手を押さえつけられ、強化した腹部を貫く痛みによって、気絶させられた。カンタールにやった力での完封勝ち。それをやり返された形だ。
その驚異的なスピードとパワーを生み出すには、どれほどの魔力が必要なのやら。
「にしても、あんな大口叩いてた割に、あっさり負けちゃったわねアンタ」
隣を歩くベルが俺の思考を遮る。手を頭の後ろで組みながら、その表情と口調はからかうの色に満ちている。そういやこいつが模擬戦を呷ったのは、俺の言葉の真偽を確かめるためだったっけ。負けたのは確かだが、言われっぱなしなのは癪に障るな。
「正面切っての戦闘なら、負けて当然だっつーの」
「どういう意味よ?」
負け惜しみだと思われるような言い方をしてしまったが、それには気づかず心底不思議そうな顔で尋ねてくる。
「正々堂々戦ったのなら、俺がジンさんに勝つ見込みはないんだよ。ほとんどな」
「そうなの? でもさっきのは良い所までは行ったんじゃないの?」
ベルが言っているのは俺がぶっ飛ばされる直前、ジンさんの槍の内側に入り込んだ場面のことを指しているのだろう。傍から見たら、俺がジンさんの槍を避けたように見えたのかもしれないが、その中身はまったく違う。その時あったやり取りを丁寧に説明していく。
「つまり、正面から堂々と不意打ちをかましたってこと?」
「言葉は悪いが概ね正解だ」
模擬戦だから出来たことではあるが、模擬戦から逸脱した行動でもある。だがそんな手もジンさんには通じなかったが。
そもそも、模擬戦の最後が示す通り、力を含んだ純粋な戦闘力という面では、圧倒的にジンさんの方が上なのだ。ジンさんが手加減してくれたからこそ成り立った戦いだと言えるだろう。
「つまり単純に俺よりジンさんの方が圧倒的に強いってことよ」
「じゃあアンタが言った『自分ならジンさんに勝つのなんて朝飯前よガッハッハ!』ってのは結局嘘ってことね」
「いやそんなことは言ってねぇし。けどその考えは今でも変わらないぞ」
こちらを見るベルの目が雄弁に語っている。『何言ってんだこいつ?』と。
弱いものが勝つっていうのは矛盾している、と思うかもしれんが、それは大きな間違いだぞ。
「確かに俺の方が弱いが、それは勝敗とは別モノだ」
怪訝な表情を浮かべるベルを無視して、目的地の店へと入っていく。
空からは小さな雫が垂れてきていた。
「来たか坊主! おっ!? 彼女連れたぁお前も隅に置けねぇなぁ!! がっはっは!!!」
「十歳の子供に何言ってんだよ」
「べ、別に彼女じゃありません!」
顔を赤くしながらも、大きく否定の声を上げた。そんなに全力で言わなくてもいいと思うが、この年代の子供なら恥ずかしがるものか。
「そうかそうか! そりゃすまなかったなお嬢ちゃん!!」
「そ、それよりここって武器屋じゃないの?」
「その通り! ディール武具店ってのはウチのことよ!!」
話しているのか叫んでいるのかよく分からないムサ苦しいオッサンこそが、この店の経営者のディールさんだ。態度は少しウザったいものがあるが、この街の兵士たちに武器を卸している鍛冶師であり、四人の弟子を抱えているという凄い人でもある。立派な体躯に長年の鍛冶による痕跡が上乗せされて、威厳に満ちた風貌をしているが、言動がその全てを無駄にするタイプだ。
当然、ここには遊びに来ているわけではない。
「頼んでいたもの出来ているの?」
「ったりめぇよ! 取ってくるからちょっと待ってな!!」
そう言うとドカドカと大きな足音を立てて店の奥へと消えていく。店内に居るのは俺たちのみとなった。
「で、勝敗とは別物ってどういうこと?」
手持ち無沙汰になったので、店内にある短剣を鞘に納めたまま素振りしていると、ベルが先ほどの言葉の意味を尋ねてきた。
「そのまんまだよ。強い方が勝つんじゃなくて、勝った方が強いんだ。いや、これじゃあ分かり辛いな。勝った方が強いとは限らない、と言った方がいいか」
「ごめん、まだ分かりづらい」
困ったように言っているが大丈夫だ。俺もそう思うからな。
ふむ、こういう場合、論より証拠だな。
俺は手に持ってた短剣を投げ渡す。慌てて受け取ったベルが『売り物でしょうが!』と怒ってきたが、無視して話を進める。
「例えば俺がベルに殴り掛かったしよう。さてお前は俺に勝てるかな?」
「無理でしょ。話にならないわ」
今日の訓練を思い出したのか首を擦っている。顔色も僅かに青くなっている。
「その通り。互いに素手なら、体術に覚えがある俺の方が勝つだろうな。だが今お前が握っているのは何だ?」
その言葉に釣られて視線を落とすと、俺が渡した短剣が。
「絞め技にでも移れば、何もさせずに完封することもできるさ。けどな、別に相手に付き合う必要なんてない。実際にやるんなら、その剣でブスリと刺せばいいだけだ」
今日の体術訓練のとき言ったことと同じだ。相手と同条件になる必要もなければ、相手を同条件にさせる必要もない。
「それと同じように、相手が強ければ弱くするよう仕向ければいい。接近戦最強なら遠距離から狙撃して倒せ。一人で無理なら大勢で仕掛けるのもありだろう。勝利っていう結果を得るだけなら、やりようは幾らでもあるんだよ」
「でもそれ卑怯じゃないの?」
難しい顔をしてベルが言う。それはズルいことなのでは? と。
はっきり言おう。その意見は全面的に正しい。
「そりゃそうだ。これは全て弱者の兵法。強者に勝つため、強さの差を生めるための方法だ。当然、卑怯に決まってるさ」
卑怯な真似でもしなければ埋めることのできないものも、この世にはあるってことよ。
俺の話を聞いて大体は理解してくれたらしい。
「つまりエイナは、遠くからなら、ジンさんを倒せるってことね」
「正解ではあるが、それが全てじゃない」
それだけじゃ片手落ちだな。
「遠距離から攻めるのも当然だが、他にも毒を盛る。罠を仕掛ける。トイレだろうが飯だろうが、はたまた寝ているときだろうが襲撃するだろうな。常に緊張の生活を送らせて、絶対休息の時間を与えない。他には--」
「--わかったもういい、だからそれ以上喋るな」
それから如何にしてジンさんを追い詰めるかを滔々と語っていたら、出会ったときと同じような男口調で、黙るように命令された。何故じゃ?
「ジンさんの言った通りではあるが、お前はどんだけジンさん殺したいんだ!?」
「別にそんなつもりは一切ねーよ! ジンさんを倒す方法を喋ってただけだっつーの」
「良く言うな! さっきから人を人と思わないようなことをさも平然と語って! 説得力が全然ないぞ!」
「お前が聞いてきたから答えただけだっつーの!」
そこまで非道か? ただ正道邪道を問わないだけだぞ!?
「おうおうおう! お前ら仲良くするのはそこまでにしろい!!」
ますますヒートアップしかけたところに、野太い声で待ったが入った。
店の奥から現れたのは勿論、この店の主人であるディールさんだった。
「ったく! 人が少し目を離したすきに、いちゃつきやがって!! 少しは自重しろっての!!!」
「……うん、そうね」
「……私も悪かったわ、エイナ」
またもやの見当違いに肩透かしを食らった俺たちは、先ほどの熱もどこへやら、その言葉にただただ頷くだけだった。
「なんだなんだ急に元気なくして!? とにかく坊主!! こいつが依頼の品だぜ!!!」
ディールさんが両手に持った二つの短剣を、俺たちに見せるように突き出してくる。鞘に包まれたその二つは拵えに至るまで、完全に同じであった。
「これがアンタが注文した武器なの?」
「ああ。前使ってた剣を材料にな」
現在俺の腰に差している剣は、リュークから報酬として貰った剣だ。それ以前に俺が差していた剣はカンタールと打ち合ったせいで、刃毀れやら罅が入ってしまったので、予備の差料としても使えなくなってしまった。そこでディールさんに頼んで短剣として打ち直してもらったのだ。
しかし疑問が一つ。
「なんで二本あるの?」
頼んだのは使い勝手の良い剣を一本だけのはず。なのに俺の前には何故か二本ある。
「いやぁ良質な金属だったからなぁ! 興が乗って二本も打っちまったのよ!!」
失敗失敗と、お茶目に舌を出して誤魔化すおっさん。目が穢れる。ベルも苦い物を食べたような表情をしている。
「だとしても一本は売ればいいじゃねぇか」
「そう思ってたけどよ、お前が彼女なんて連れてくるから、こりゃなんかの縁だと思ったわけよ! だから一本はオマケだな!! がっはっは!!!」
随分と適当なおっさんだなぁ。軍隊相手に稼いでいるとはいえ、どんぶり勘定もいいとこだ。
まあタダでくれるわけだし、一本儲けたと思えばラッキーだな。
「それならお言葉に甘えて。ちょうど俺も短剣欲しかったところだったしな」
短剣のうち一本を受け取り、大小二本差しにする。
「ん? なにその言い方? 元々アンタの物じゃないの?」
「確かにな! どういうことだ坊主!!?」
「ああ、こりゃお前の分だ。ベル」
二人の言った通り、これは元々俺の物ではない。ベルの護身用の短剣として作ってもらったものである。
「ほうほうなるほどなぁ! その歳で彼女へのプレゼントたぁ感心だ!! だがそれのチョイスが武器ってのは如何なもんだと思うぜ!!!」
ニヤニヤと笑みを浮かべるウザったいおっさんはほっといて、残った一本をベルに手渡す。
「いずれ槍が主体になるのかもしれんが、今は身を守るために剣の一本ぐらいは持っとかないとな」
「あ……ありがとう」
目線を伏せがちに剣を受け取り、か細い声でお礼の言葉を言うベルベット。それを面白そうな目で見ているディールさん。傍から見たらただの変質者のおっさんだな。その顔面に代金を叩き付けたが、笑みを消すことはできなかった。
薄ら笑いを浮かべたままのディールさんを無視して店を出よう、とする前に、再びディールさんに声を掛ける。
「すまんディールさん。雨具を二つ売ってくれ」
ベルが確認するように開いた扉の先には、遮るような遣らずの雨が降っていた。
「そんな雨の中でも訓練をするのね。酷い話よ」
「雨でもやるのではなく、雨だからこそやるわけさ」
ディールさんの下で購入した、足元まで覆う様な合羽のような雨具を纏い、迷宮へと足を伸ばす。今言った通り、雨だからできる訓練もあるからな。
「エイナ、一つ聞いてもいい?」
「今日のベルは質問ばっかだな。少しは自分で考えろって」
「考えてもわからないし、考えたとしても合ってるかどうかがわからない。だったら聞くしかないんじゃないの?」
む。そう言われると反論しにくいな。変に勘違いして失敗してもらうのも考え物だしな。
「で? 聞きたいのは何なんだよ?」
「アンタが迷宮に潜る理由、うーんそうじゃないわね。それ以上の強さを求めている理由って、何?」
強さを求める理由、とな。その問いに関する答えは簡単だ。
「そりゃ勿論、『忍術』を使うためだ」
「……忍術? なにそれ?」
「説明するのは極めて難しいから、取りあえず前提条件に魔術を使う必要があるということだけ把握しとけばオッケー」
「ふぅん。要は魔術が使いたいってことね」
「違う! 俺が使いたいのは、あくまで忍術なんだ! そこだけは間違えるな!」
「わ、分かったわ」
俺の剣幕に気圧されたのか、少し引き気味な態度でベルが答えた。少々強く言いすぎたか。だがこれは俺にとっては譲れない一線なのだ。勘弁していただきたい。
「それを抜きにしても、強くなってた方が色々と便利だろうしな」
この世界ではとくにそう思う。銃火器が無い分、己の身体能力に頼ることの方が多くなるだろう。
「他にはないの? したい事とか?」
うん? 言葉の調子が少し違うな。何か悲しみを含んでいるような……。
「アンタいっつも訓練とか、迷宮とか、とにかく鍛え続けてばかりじゃない。何かもっと、遊びたいとか、子供らしい夢とか、そういうのは持ってないの?」
ああ、ベルが言いたいことが分かった。
要するに『お前全然子供らしくないぞ。大丈夫か?』ってことか。確かに傍から見たら、子供あるまじき行動ばかりだもんな。していることと言えば鍛錬やら迷宮探索やら。お使いなんて、八百屋じゃなく武器屋だからなぁ。
ババアの宿に八歳の息子さんが居て、家の手伝いをしているとはいえ、ほとんどは近所の子供たちと一緒に遊びまわっている様子だったしな。
そういう意味では、リュークとベルの兄妹も一緒なのだが、こいつらは宮廷闘争に巻き込まれたことにより、命を狙われたりもしていた。子供じゃどうしようもならなかったから、大人にならざるを得なかったわけだ。だからこそ今も鍛錬に励めるわけだ。己が命を守るために。
子供染みていない俺は、二人から見ると、自分たちと似たような境遇の子供に見えるのだろうな。大人にならざるを得なかった俺の事情を汲み取っているのだろう。
残念ながら、まったく的外れな見解というのが、とても悲しいが。
だが、やりたいこと、か。
正直、自由に生きる、ということしか決めていなかった。自分が起こした、起こしてしまった全ての責務を背負う、自分の足で生きると言う自由。それだけしか。
言うなれば、前世の自分では出来なかったこと。未練に等しいな。
そうだな。忍術も、自由も、自分が出来なかったことだ。
二度目の人生、俺がやること、やりたいことを決めたぞ。それは……。
「できなかったことをやる」
「え?」
「以前の自分では出来なかったこと、やれなかったことをやる。それが俺の望みだな」
夢とは違うものだ。未練の塊のようなものだから、むしろ後ろ向きだと言っていいだろう。
だがこれが、偶然に手にすることが出来た二度目の生の目標、いや指標だ。
「だから今は、取りあえず忍術を身に着ける。これが一番近い願いかな」
結局元に戻ってしまったが、今はこれで良い。先はどうなるか分からない。でもゆらりと、自由に、未練がましく、生きていこう。
「……何か、今までで一番いい表情よ。エイナ」
そう評された顔に触れてみる。
なるほど。知らなかったな。
良い表情とは、とても、柔らかいものなのだな。




