忍者、回想する
あまり人が立ち入らないのだろう深い森。前世で俺の故郷があった場所に似ているその森は欝蒼と茂っていて、されど木漏れ日によって十分な明かりを灯していた。地表近くは根のうねりや背の高い草によって覆われているが、一度通った道である以上、それほど移動を阻害されるわけでもなく、するすると木々の間をすり抜けていく。
「ちょっ、ちょっとエイナ! 待ちなさいよ!」
辺りには動物などの泣き声もなく、虫の音や風による梢の音ばかりで、静かな物だった。
「待てって言ってんのが聞こえないの!?」
……静かだったんだけど、なぁ。
「聞こえてるに決まってんだろ? ただ無視してただけだ」
「余計悪いわよそれ!」
「静かにしろ。ここは迷宮の内部だぞ。僅かな油断が命取りになる場所で、戦闘中でもないのにそんな大声を出すとは何事だ? 魔物を呼んで死にたいのか?」
「う、確かに。……ごめんなさい」
まあ俺が気づける範囲の内には魔物がいないんだけどね。それが分かっているからこんなバカ話をしているわけだが、これはずっと黙っとこう。
「まったく、これだからベルは」
「あ、アンタ。人の名前を何だと……」
「うん。分かってくれているようで何よりだ。そんな蚊トンボのような小さな声を出されてもわからんのが難点だがな」
「ぐぬぬ……」
常人ではおよそ出さない効果音を出して、ベルは黙った。
「まあもうすぐ森の切れ目だ。そこまで行けば少しぐらい羽目を外してもいいだろう。そのときになったら思う存分喋るがいい」
後ろを振り返って言うと、まるで今気づいたように、どこか遠くに飛ばしていた視線を俺に向けたベルが、声を出した。
「そうね。そのときに文句を言わせてもらうわ。……言わなくてもいいとは思うけど、アンタ前--」
「--ああ、これのこと?」
言葉と同時に、腰に下げた剣--銘を『三日月』を抜き放ち、ベルベットを襲おうと俺の目の前をふらふらと飛んでいたフィルティッシュを斬り飛ばす。
斬撃後すぐに納刀し、斬られる瞬間すら気づかぬまま終わっただろうフィルティッシュを魔法の皮袋--俺がアイテム袋と呼ぶ袋の中に収納した。
「いやー。いつも通り俺に気づかぬまま前を通り過ぎようとするとか、こいつもつくづく間抜けだねぇ」
「良く言うわね。アンタが何かしたんでしょ?」
「むしろ、何もしていないっていう方が正確には近いかな」
後ろで、はあ? という顔したベルを無視して一気に駆け出す。俺の足音からどっちの方向に全力で走ったか分かったのか、急いで追いかけてくる。
「ちょっと待てエイナぁ! 私を見殺す気かぁ!?」
「あでゅー、ベルベット・アクロイド・ウーディニア。君のことは忘れないだろう」
「ばっ!? え、エイナ!? アンタ何言って!?」
「リュークにお前の妹は勇敢に逃げ回っていたと伝えるまで、俺は君を忘れない!」
「すぐ忘れる気マンマンじゃない!! 待てこらエイナぁあー!」
フィルスの壁までのベルとの楽しい楽しい鬼ごっこの始まり始まり。
王城侵攻で知ったが、意外と体力があるからなベルは。
「きゃあぁーっ! いつも何なのよあの犬はぁー!」
遊ぶ相手がすぐに変わるのは、考え物だがな。
今までの会話で分かっていただけたと思うが、今俺たちが居る場所は、ウデンが抱える迷宮である、フィルスの森内部。では何故そんな危険な森の中でベルと一緒に居るのか? 話は数日前に遡る。
王位継承争いに一応の決着が着いたあと、俺はすぐさまカレスの街に戻っていた。自己鍛錬や迷宮に挑むという響きのよさ、そしてリュークの依頼のこともあって、迷宮があるカレスの街に戻るのは決定事項だったのだが、その時一つの問題が生じた。いや、ババアの宿に戻ると同時、今後の宿泊費と一緒に高いキープ料を請求され、論破され、最終的には払ったことも俺的には大問題だったが、それ以上の問題が生じたのだ。
それは軽くなった懐にしょんぼりしながらも、迷宮での活動に胸を膨らまし、いざ行かん迷宮へと、フィルスの森へ意気揚々と挑もうとしたときに発生、いや判明した。
迷宮へと通じる門の前に立ち、門番を務めている兵士に声を掛けた。
「すいません、迷宮の中に入りたいのですが」
「ん? ああ、君確かジンさん所でお手伝いをしてた……」
「はい。エイナと申します。その節はどうもお世話になりました」
「ははは、随分と礼儀正しい子だね。今回もジンさんのお手伝いかな?」
「いえ、今回は自分一人で迷宮に潜ろうと思いまして」
眉を寄せて、疑問の表情を浮かべる門番。
「一人挑むって? 何を言っているんだい?」
「問題ありません。リューク陛下やソート将軍から許可は頂いておりますから」
「本当? それじゃあ許可証を見せてもらえないかな?」
「え?」
「だから、許可証」
迷宮と言うのは、危険ではあれど紛うことなき国の財産。すなわち国有地。場合によっては王の直轄地であることすらあるという。
しかも先述したとおりの、危険地域。そんな場所に、許可証も持たずに入り込もうとする、頭脳は大人、なれど見た目は立派な小学生が現れたら、普通どうなる?
追い払われるに決まっている。
しかも、玉座に着いたばかりの、余り知られていない王の名前まで出して迷宮内部に入ろうとした少年だ。そりゃもう屯所の中でこっぴどく叱られましたよ。
迷宮の危険性、重要性、守護する義務を滔々と語られ、兵士たちの苦労、上司や同僚の愚痴、果ては好みの女性に近づくのはどうすればいいのか、などという恋愛相談に姿を変えていったが。屯所に入ってきたジンさんたちが助けてくれなかったら、どうなっていたことやら。
ジンさんたちのおかげでその場から脱出できた俺は、されど頭を抱えることとなった、
本来なら誰かしらの許可が必要な迷宮探索。兵士たちなら自己鍛錬と言う名目で、熟練の先輩や仲間たちとの複数行動さえ遵守していれば、簡単に内部に入れるらしい。数は少ないなれど、大陸に名を轟かすほどの傭兵や戦士たちならば、手順を踏んで大臣や将軍、もしくは王様などから許可を得られれば単独でも入れる。
本来自分は後者の人間として、迷宮に入れるはずだった。しかも将軍どころか、王様というこの国の頂点に居る人間から許可を得たものとして。事実そのような大変ありがたーいお言葉を頂いているのも事実。あの場に居た人間なら証明してくれるだろう。
されど、それは決して目に見えぬ口約束。正式な文書で書かれたものなど存在していないのだ。当然俺が王様から許可されたと言われても証拠がない以上、信じるはずがない。
その時の俺は『くそぅ、こんなことなら契約書の一枚でも書いておくべきだったぁ』と後悔したが、後の祭りである。
迷宮への探索不可。これこそが俺が抱える問題であった。
されど、懐から金が消え、胸からは希望が消え、もう何も残っていない俺のグラスハートへの試練は、まだ終わっていなかった。
迷宮に入れない以上、魔物討伐による期待していた収入が見込めない。そのため俺はジンさんにすぐさま迷宮内部での荷物持ちの仕事がないかと問いかけてみたが、返答はまさかのなし。
理由を聞くと、俺が消えて四日ほど経過した日から、荷物持ちの仕事を選ぶ人間が急増したらしいとのこと。
その日は、俺がリュークから褒美を下賜された日だった。カレスの街へ戻るときは一人旅だったこともあり、馬に無理せず走る速度で走らせ、王都を出発して二日目の夜にはカレスの街に着いた。つまり、その間に迷宮の仕事が奪われてしまったということだ。
……お前ら。もうちょっと考えて行動しておくれよ、と思った俺は決して悪くない。
とにかくこのままじゃ無報酬のまま毎日を過ごしてしまうと考えた俺は、ギルドで俺の仕事の斡旋を手助けしてくれたバーグさんを頼ることにした。
幸いにして、コットン婆さんの薬作りを手伝う仕事などが空いていたので、そこで何とか収入が目途が立ったが、正直溜め息を吐きたい気持ちで一杯だった。
そんな感じで前回同様、昼は普通に働き、夜は迷宮探索という二重生活を一週間ばかり送っていた所、カレスの街に奴らがやってきたのだ。
リュークとベルベットの兄妹が。




