先へ
その後、ディックは職場である役場で尋問された。本人も反省し、酔った上での凶行というのも考慮されたが、村での立場は微妙なものになった。
役場もクビになり廃人のようにしている様子を見ると、ラルフやシーナも許せないものの複雑な心境にはなる。
シーナは昔世話になった市場のおかみさんに手を回してもらい、ディックに農作業の仕事を持ちかけた。
今まで文官一筋で来たディックは最初難色を示したが、贅沢をいう立場ではないことはわかっているのだろう。
働き始めて数日、市場に行ったシーナはおかみさんから、「顔つきが良くなってきたよ」と言われホッとした。汗水たらして働き、食べて寝る。当たり前のことがいつかディックを救うはずだ。
コルトとセシルは、そのまま二週間ほど滞在した。その間にルナの首が座り、ラルフはようやく自分の娘を思う存分抱きかかえることができた。
「あう、うああ」
なれない父親の腕にルナはすぐ泣き始めたが、それでもラルフはルナを離さない。シーナが苦笑しながら、泣き喚くルナの背中をさすった。
「色々ありがとうね。セシル、コルトくん」
「本当に助かったよ。これ、お礼な。ぜひまた遊びにきてくれ」
「いいえ、そんなのは……」
ラルフが差し出したお金の入った封筒をセシルは返そうと手を横に振った。その脇から、コルトが手をのばして封筒を奪い取る。
「おっけー。さんきゅー。また手が必要になったら言えよな」
「ちょっ、コルト先輩! あなた友達からお金取る気ですか!」
「こう言うことはきちんとした方がいいんだぜ。その方が、頼む方だって気楽ってもんだ、な?」
「ああ」
ラルフが笑うので、セシルは不思議そうに見つめる。
「……そうなんですか?」
「そうだよ。受け取ってもらえないと今度の時に頼みづらい。だからセシルもちゃんと受け取ってくれな」
「はい。そういうことなら」
コルトはセシル分の封筒を彼女に渡し、素早く馬にまたがった。セシルは、封筒をじっと見つめた後、荷物の中にしまい込みもう一頭の馬に乗った。
「さ、行くぞ。セシル」
「はい」
「ありがとうな。気をつけて」
ラルフとシーナの見送る声に背中を押されるように走りだす。空気の変化に気づいたのか、シーナの腕に抱かれたルナが、大きな泣き声をあげた。
……天使の泣き声だ。
セシルはそう思い、空を仰ぎ見る。
あれほど不安だった子守は、苦戦しながらも何とか出来た。それはセシルに少なからず自信を与えた。
出来ないと思うんじゃなくなんでもやってみることだ。可能性はゼロになることなどない。
セシルは不意に寂しさに駆られて、一度だけ後ろを振り向いた。もう小さくしか見えない夫妻とルナだが、泣き声だけは響いていた。それが、エールのように思えて、セシルは小さく微笑んだ。
*
モニール村がすっかり見えなくなり、じきカスタ村が見えてこようという頃、コルトは速度を落とし、セシルの馬の横に並べた。
「で、どうだった? 子守の感想は」
「そうですね。正直疲れましたが。……まあ面白い経験でした」
「そうか」
「それで、一つ気が付きました」
「へぇ? 何?」
コルトが軽く促すと、セシルは頬の筋肉をぎこちなく動かす。本人的には笑おうとしているのかもしれないが、コルトの目にはひきつっているようにしか映らない。
「……私、ラルフ先輩が好きだったのかもしれません」
「はぁ?」
コルトは馬の背から落ちそうになった。なんだこいつ。今更、何を言ってるんだ。
「だから前からシーナさんが羨ましいと思ってたのかな。あはは、でも今更気づいても失恋ってやつですね」
セシルが声を出して笑ったので、そこに驚いてコルトは本当に馬から落ちた。セシルは慌てて馬を止め、コルトを助けにいく。
「大丈夫ですか? 何やってるんですか」
「ダイジョーブ。でもちょっと参った。無理。休憩しよう」
「どっちなんですか」
二頭の馬を宥めて手近な木に手綱を引っ掛け、上半身だけを起こして座り込んでいるコルトに手を差し伸べる。
「怪我してませんか? 立てます? ちょっと見せてください」
「ああ、ハイハイ」
手が繋がった、と思ったら勢い良く引っ張られる。セシルは引っ張り上げるつもりでいたので、予想外過ぎて頭が真っ白になった。
ぽすん、と軽い音とともに、セシルの頬はコルトの肩に触れる。離れようと力を入れようとすると、コルトの長い腕が彼女の体を閉じ込めた。
「やっぱり待つとか性に合わない。つか、アホくさくなった。今頃そっちを自覚とか鈍臭すぎる」
「は?」
なぜ抱きしめられているのかは分からないが、口調から馬鹿にされているのは分かる。
セシルは抗おうと必死に力を込めた。
「離してくださいよ。コルト先輩」
「俺、セシルが好きだ」
見当違いな返事に耳を疑う。この人はいつも訳がわからない。
「こんな時に冗談とかやめてください」
「冗談じゃねぇよ。失恋の痛手は俺で癒せ」
「はぁ? ちょっと、ホントに離してくださいよ」
「嫌だ」
渾身の力でセシルを押さえつけながら、コルトは胸の昂ぶりを感じる。
――揺さぶってやる。俺で頭が一杯になってしまうくらいに。どんなに長期戦になっても捕まえるから覚悟しろ。
「コルト先輩……」
途方に暮れたようなセシルの声に、そろそろいいかと腕を離す。すぐに体を離したセシルの顔は真っ赤で、普段見れない表情にコルトは満足する。
「さあ馬に乗れよ。帰るぞ」
「は? さっきは休憩するって言ったじゃないですか」
「気が変わった。栄養も補給したしな。休憩はカスタ村に入ってからだ」
「……なんなんですか、もう」
訳が分からないという表情のセシルに、コルトは満面の笑みを見せる。
「なんだか面白くなってきた」
馬を走らせながら、コルトは思う。セシルにルナを見させたのは正解だった。
少なくとも、これでセシルは過去からは抜け出せたわけだ。先へと進むのは、自分の得意技だ。
「ご夫婦から、幸せのおすそわけってとこだな」
不敵に笑うコルトの呟きが、呆れたようなセシルのため息と共に風に乗って空気に溶けていった。
【Fin.】




