シーナの本音
食欲を刺激されるような煮込んだスープの香りに、意識が覚醒してくる。
目を覚ました時、シーナは自分がいる場所が分からなかった。窓際に据え付けられたベッドに自分は寝ているらしい。おかしいな、避難所にいたんじゃなかったっけ。
目だけで辺りを見回しているうちに思い当たる。セシルが熱を出した時に寝ていた部屋だ。
「目が覚めたかい?」
頭上に振ってきたのはラナの声だ。体を起こそうとしたがうまく力が入らず、声だけで返事をする。
「母さん?」
「熱をだしたんだよ。避難してからの日数を考えれば疲れが出る頃だ。ちゃんと休んだ方がいいよ」
でも避難民は自分だけじゃない。一人だけ寝ているのはシーナにはむしろ精神的負担だった。
「大丈夫。もう……起きれるし」
根性で半身を起こす。予想以上に呼吸が荒れた。自分で額を触るとたしかに熱い。どうやらまだ熱は下がっていないようだ。
心配そうな母親の視線に、シーナは弱い微笑みを浮かべて応える。
「……ねぇ、ラルフは?」
「またラルフかい。アンタはあの子のことばかりだね。倒れたアンタを運んできて、今は見回りに行っている。分かるだろ、あの子は今責任ある立場にいるんだから」
母親のため息に、シーナは「うん」と答えた。それならばラルフはしばらく来ないのだろう。ホッとしたような残念なような、複雑な感情がシーナを襲う。
鉛のような重さを感じる両腕をもち上げ、顔を両手で覆う。
倒れる前の事が本当の事だったのか、シーナは自信がなくなっていた。
ラルフに好きだと言われた気がする。抱かれた腕の中で、彼の体温が冷たく感じたと同時に。
ガイアの死を受け入れた直後のその告白に、自分がほっとしたことははっきりと自覚した。
ただ理由が自分でもわからない。大切な人を失った自分を救い上げてくれそうだから?
ただの甘えのような感情に、罪悪感のようなものを感じた。それは、ラルフを真から信用できなかったことも相まって、シーナの心は複雑に歪んでいく。
「……私ってズルいね」
「何がだい」
ラナはシーナにスープの乗った盆を差し出した。
「一人で食べれないなら食べさせてやろうか?」
「……平気。一人で食べられる」
受け取って、スプーンでひとさじ掬う。
じゃがいものスープだ。お腹の中で温かさが広がっていく。けれど、全身が熱を発している今はそれ以上進んでいかない。
「……ごちそうさま」
「一口で終わりじゃないか」
ラナは腰に手を当て、呆れたように呟く。相変わらずの仕草に、シーナは少し安心して「ごめんね」と言いながらお盆を返した。
「まだ熱が高いかね。しばらく寝るかい?」
「……うん」
ベッドに横になり、額に濡らしたタオルをあててもらう。いたれりつくせりにされると妙に甘えが出てしまう。シーナは戻ろうとするラナのエプロンの裾を掴んだ。
「……シーナ?」
「母さん、私ね」
こんなこと伝えていいのかと迷う。ラナはラルフにとっても親のようなものだ。ラルフはきっとラナに話されたくはないだろう。
だけど誰かに話したい。一人で抱え込める許容量はもう超えてしまった。
衝動に負けて、シーナはシーツで顔を覆いながら告げた。
「ラルフに好きだって言われた」
シーツのシワを見つめながら反応を待つも、なかなか返事がない。ショックを受けたのかしらと恐る恐る顔をだすと、予想に反してラナは微笑んでいた。
「……そうかい」
「母さん、知ってたの?」
シーナのほうが驚きを顕にする。
「知ってたよ。もうずっと前だ。あの子が軍に入るって言った時に聞いたよ」
「……そんな前?」
淡々と返すラナに対して、シーナはますます混乱した。
「シーナを守りたいって。だから軍に入るって言われたんだ。家族でいられるうちに離れたいって」
「なにそれ……」
シーナは再び起き上がる。額に乗せてもらっていたタオルが落ち、ラナは静かにそれを拾い上げた。
「で、あんたはなんて返事したんだい?」
ラナの問いかけに、その時のことを思い出す。
「なんか、急に頭がグラグラしてきてよく覚えてないの。返事は……してないと思う」
「おやおや」
ラナは優しく笑うとシーナの頭を撫でる。
「じゃあ質問をかえようか。どう返事するつもりなんだい?」
突っ込まれたくないところに言及され、シーナは唇を噛みしめる。
どうすればいいのかなんて分からない。ラルフはずっと弟だったし、自分は婚約者を失ったばかりだ。告白に動揺している時点で自分の神経を疑いたくなる。
「……私は、……だって」
「どれが正しいかとかは考えなくていいんだよ。シーナがどうしたいかだ」
「どうって……」
自分がどうしたいかなど、一番わからないことだ。まして今は非常時で、こんな恋愛事で悩んでいるなんて申し訳ない気がする。でもそう思うこと自体が、正しさを基準で考えているということなんだろうか。
「……わからないわよ」
たっぷり五分は考えたが、明確な方向性は見えてこない。
「じゃあ、また質問を変えよう。……アンタは、ラルフに告白されてどう感じたんだい?」
それならば答えられる。唯一はっきりした意識で残っている感情だ。
「私、……ホッとしたの。なんだか急に安心して力が抜けたのよ」
「……じゃあそれが答えだ」
ラナはカサついた手をシーナの頬にすべらせる。そんな仕草は子供の時にもあまりされなかったので、シーナはなんだか気恥ずかしくなった。
「……アンタは、本当はずっとその言葉を待ってたんじゃないのかね」
ラナの声は先ほどのスープのように温かく優しかった。胃が受け付けなかった先ほどとは違い、ラナの言葉はシーナの心の奥深くに浸透していく。鼻の辺りがツンとして泣きたくなる。
「ずっと、ラルフの姉でいなきゃいけないって思ってたみたいだけど。ラルフの傍にいるのに別に理由なんかいらないんだよ」
「理由?」
自分は理由を探していたのだろうか。ラルフの傍にいるために?
だけど、恋とはそんなものだったんだろうか。
「でも母さん。私、ガイアが好きだったの。あの時の感情とラルフに対するものはちょっと違うよ?」
シーナはガイアの事を思い出した。背が高く頼りがいがある彼に、シーナは甘えられる人に会えたと思った。
「恋愛の形なんて一つじゃないよ。それにガイアはあんたの父親に似てた。あの人の前じゃ、アンタは甘えていられただろう。それも恋だよ。でもね、人間って一生に一度しか恋をしないわけじゃない。私には、アンタのラルフに対する気持ちが、ただの家族愛だとも思えないんだよ」
シーナは不意に力が抜ける感覚に襲われた。それも恋。ならば、今ラルフに感じるこの複雑な感情も恋なんだろうか。
「私、どうしたらいいの」
シーナは溢れてきた自分の涙を拭った。ラナが優しく寄り添うようにして背中を撫でてくれる。
「まずはよく寝て体を休めることだね。ラルフはせかしたりしないだろ。幾らでも待つよ。あの子も不器用だからね」
「……そうかなぁ」
しゃくりあげるシーナを、ラナがゆっくり横にさせた。冷たいタオルを額に乗せ、ゆっくりと頭を撫でてやる。
するといつの間にか、シーナは眠りへと落ちていった。




