尾張の姫1
私はおさえきれずに大きくあくびをした。
暇だった。
何もすることがない。
椿は今日は傍を離れている。話し相手もいない室内は静かだった。
私は立ち上がりゆるゆると廊下へと歩いた。
侍女達が急いで頭を下げる。
部屋の前は綺麗な庭がある。
私はそれを眺めようと思った。部屋にいるよりは、ましだ。
打ち掛けを優しくさばき部屋からでた。
もう桜の季節は終わった。
あの河原の桜の木。花の季節は終わってしまった。
信長はあれから一度もあの河原には連れて行ってくれない。
河原に行きたい。だが一人で城を抜け出す勇気はない。
それに河原までの道程が分からない。
あの場所に行くには、信長を捕まえるしかないが彼が私の部屋に来ないと捕まえることもできない。
まだ嫁いできたばかりの身だ。勝手をするは憚られる。
この庭と部屋は私に与えられたものだ。庭を歩こうかと思い侍女に声をかけようとしたときだった。
衣ずれのと足音が聞こえてきた。
私は音源をたどり、視線を向ける。
信長ならばもっとどかどか歩いてくるし、衣ずれの音なんてしない。
侍女も仕事がしやすいようにと着物の裾を下ろして着るということはしない。
衣ずれの音がするのは打ち掛けを着ているからだ。
だんだん音が近付く。
私は無意識に息を呑んだ。
音源は思ったより小さい人物だった。
あっと思った。
信長の腹違いの妹『市』。
まだ幼いがとても愛らしい顔をしている。
花に例えると、りんと咲き誇る『藤』だと勝手に思っている。
勝ち気そうではっきりした顔立ちをした美少女だ。
幼いながらに、強い意志を感じさせる眼差しの女の子。
「ご機嫌よう、お姉様。」
彼女ははきはきした口調で言った。
「ご機嫌よう。」
私は緩く微笑んでそう返した。
「お邪魔してもよろしいですか?」
市は私に尋ねた。
私は部屋に勝手に入ってくるという非道な事をされないすばらしさを感じながら頷いた。
市は安心したように少し顔の筋肉を緩めた。
庭を眺めるように位置取りをし、ちょこんと座る。私も隣に座る。市は真っすぐ私を見つめてきた。
「お姉様。」
固い声で私を呼ぶ。
『姉』と呼ばれると春奈の事を思い出す。懐かしく、会いたいとも思う。
「お姉様?」
物思いにふけていて目の前の人物を忘れていた。
「ごめんなさい、何でしょう。」
慌てて聞き返すと市は気を悪くした様子はない。
「お兄様がお姉様がお暇なようなら相手をしてやれとおっしゃったから。」
「そう、わざわざありがとうございます。お市様。」
私が緩く微笑むと市は照れ臭そうに下を向いた。
しっかりしていて何だか気の強そうな子だと思っていたが、それだけではないらしい。
以外と子供らしいところもあるようだ。
「何をして遊びますか?」
彼女は照れ臭そうだった顔をくるっと変えて興味津々に聞いてきた。
逆に何をして時間をつぶしたいか問う。すると市は私に近づいてきて声を小さくして言った。
私は言われた事を不思議に思いながらも言われた通りにした。
この部屋にいるのは私と市と侍女が四人。
そのうち二人は市が連れて来てきた侍女だ。
「少し席を外してちょうだい。誰か、お市様にお茶を。」
すると素早く市は言った。
「しの、まり私の部屋から双六を持ってきて。」
すると市の乳母らしき人物があからさまに眉をしかめた。
全員が席を外すと私と市だけになる。
私はまだ信用がない。
大切な姫に何かされてはっと思っているのかもしれない。
そう思うと急に寂しくなった。
しょうがないとはいえ、いい気持ちはしないものだ。
わざとらしい咳ばらいを市がすると仕方なくという様子で市の侍女は場を離れた。
市は内緒話をするように、声を落として言う。
私がお姉様に何か失礼をしないか心配なのです。失礼でしょ?とふんっと拗ねたふりをした。
その仕草がとてもかわいらしかった。
私が少し笑うと市は嬉しそうに私の手を握った。




