蝮の娘4
椿は、急に信長に連れられて行った私が帰ると声を震わせながら言った。
「帰蝶様、椿は心配で心配で。」
本当に心配してくれた事が伝わるから、私は素直に謝った。
椿はしぶしぶ許してくれた。
それが昨日の事だった。
きっと、今日は許してくれない。
昨日と同じ流れで私は信長に連れられて城を出た。
人間は学習する。
移動の前に、私は打ち掛けを馬屋番の少年に預けた。
今頃私の打ち掛けは侍女に届いているだろう。
打ち掛けを汚してしまうのは申し訳ない。
移動中、昨日と同じように信長に支えられる。
「城を出るならば事前に言ってくださいと言いました。」
「細かい事は帰にするな。急に馬に乗りたい気分になったのだ。」
しばらく私は文句を言っていたが、信長が馬の速度をあげる。
スリル満点の乗馬に、私は文句を言う事を止めて夢中になる。
スピードを出している乗馬の際に喋ったりすると舌を噛むことがある。
危険だからとは思うものの、楽しさに笑い声を抑える事ができなかった。
馬を休ませるため、昨日の河原に立ち寄る。
ここは信長のお気に入りの場所なのかもしれない。
信長が桜の木に背を向けて座る。
私も同じように信長と反対側に同じように座る。
はしゃぎすぎて、少し疲れた。
信長は話しかけて来ない。
私も黙って景色を眺めていた。
ここにこうしているのもいい。
風が火照った顔を冷やしてくれる。
火照った顔が冷えたくらいに、そっと隣を見た。
信長は目を閉じていた。
寝ているのか?
少し観察したあと私はそろそろと桜の隔たりを越えた。
信長を軽く揺すってみた。
鈍い反応はあったが目をひらこうとはしない。
次は鼻を突いてみた。
むず痒そうだ。
何だかその反応がかわいくって私は彼の鼻をプニっと潰してみた。
鼻を潰しても、女より女らしい。だが私はだんだんその綺麗な顔が憎たらしく思えてきた。
女の私より女らしく、整った顔。
中性的だと言うのかも知れない。
女のようで、キリっとした、完璧に女ではない顔。
私は鼻から頬に的を変えて、頬に集中攻撃を仕掛けた。
ぐいぐいと頬を横へ伸ばした。
この時はこの顔が羨ましいということよりいたずらするという気持ちのほうが強かったように思う。
私が信長の程よい頬に攻撃をしていると、信長はうっすらと目を開けた。
「あなたの頬、気持ちいい。」
私は信長よりさきに言葉を発した。
信長が怒るかもしれない。
頬を引っ張られたりしたら怒るだろう。
だからこちらのペースに乗せて怒る暇を与えないようにしよう。そう考えての行動だった。
「どうしてこんなに女みたいな顔なのです。すごく負けた気分。」
私はぺらぺらと話続けた。
「俺は……眠っていたのか?」
信長はやっぱり私の話をきく気はないらしい。
また自分の聞きたいことを優先させた。
怒られないのなら、都合がいい。
私はそう思って、信長の質問に答えてやった。
「ええ。少しの間。気持ち良さそうに。」
そういうと信長が顔をしかめた。
信長の表情の変化に戸惑いながらも私は言った。
「きっと疲れていたのでしょ。それにここ、とても気持ちいいし。」
信長はまた私の話なんか聞いてない。
「寝たのか……。」
そうつぶやいて考えこんだ。
私は信長の顔から手を離してもとの場所に戻る。
ふうっと息を吐く。
やっぱり彼は変わり者だ。
話を聞かないのは母もだったが、またタイプが違う気がする。
考えこんだ彼を横目で確認し、そっと目を閉じた。
「そなたは織田家に『人質』として嫁いだ。」
信長はいきなり言った。
また、話が彼のペースで変えられる。
「はい。」
もう突っ込む事はしない。
「人質としての役目は織田家の領地を斎藤が攻めないためのものだ。」
「はい。」
「もし、斎藤が織田家を裏切ったら……」
「分かっております。」
私は目を開けて静かに答えた。
そんなことをすれば、1番初めに殺される、もしくは幽閉されるのは、私。
信長を見た。
「斎藤が、父が尾張を攻めることはございませぬ。」
私は断言した。
そうすることで自分を信じさせた。
あそこまで大切に育ててくれた父を、母を。
信長も私をみた。
強い瞳。強い輝き。
「……人質としての役目は心得ているのだな。」
私は頷いた。
「お濃。そなた、『妻』としての役目を果たせ。」
「……妻の、役目ですか?」
「奥を取り仕切り、わしの子を産め。」
「…子、ですか?」
私は目の前の人物に聞き返した。
「ああ。」
彼は何事もないようにうなづいた。
確かに、子供を産む事は嫁いだ以上、しなければならないことだ。
この時代、世襲で成り立っている。
信長の後を継ぐのは、彼の子。
彼の子がいない場合は、彼の血筋の者が。
とにかく『血筋』を閉ざさないために。
正室が子を産めなかった場合、そこで信長の血は途絶えてしまう。同じ血筋でもよいのだが、一番最初に生まれた男。
つまり長男の血筋が好まれる。
何故かは知らない。この世界では常識のことだから。
『側室』をおくのは、血を途絶えさせないために。
「…努力、します。」
私は小さく答えた。
子を産めといわれてもこればかりは私だけの力ではどうしようもない。
「すぐでなくて良い。子を産むことは、そなたを守る事にも繋がるであろう。」
これは、彼の優しさだった。
子を持たない正室は、この時代では生きにくいだろう。
私は自然と頬の筋肉が緩んだ。
信長という男はマイペースで勝手なところがある。
彼の行動に戸惑いはしたが不快には思わない。
そして、今見せた優しさ。これはちょっと反則だ。
私の表情の変化に彼は軽く頭を傾げる。
「俺は国が欲しいな。国を守りたい。この国を納めたい。天下統一を必ず成し遂げてみせる。そのために、子は必要だ。そして奥を取り仕切る正室も必要だ。」
彼の言葉は無邪気に感じた。
「……利害は一致しておりますね。あなたは、殿は大きな野望を抱いているのですね。」
彼はなにも言わず私を見ていた。
「私も野望を抱くことにします。」
彼は言葉を促すように小さく頷く。
「……殿は国を納め、戦を無くし、私を天下一の女にしてください。そのために私は殿をお支えします。」
「……ああ。」
彼は戸惑いを見せ、そのあと微笑んだ。
「それぞれの野望を叶えるために。」
私達の野望は、目標は重なった。
桜の木に手を着いた。
信長も手を桜の木に重ねている。
『この桜に誓う。』
私は桜の隔たりをこえて信長の温かさを感じた。




