別れの蝶4
弥生。
天気の良い日だった。旅立ちには良い気候だと、誰かが言った言葉は私の耳に残った。
私は尾張に嫁ぐ。寂しい気持ちが溢れてくる。
父に、母に、そして光秀様に私はたくさんの物を貰った。
今までの思い出があれば私は生きていける。
尾張でどうなるかわからないけど、行くしかない。
私は輿に乗った。
この狭い輿に乗って私は尾張へいく。
椿と二人で。
椿は、唯一連れていける侍女だった。他にも数名候補は上がったが、信頼できるの椿だし尾張で私もどうなるのかわからない。簡単に連れていく選択はできない。
「……父上。……母上。」
二人の視線が優しく、涙腺が緩む。
「行って参ります。」
父はぐっと我慢する顔で。母は苦しそうな顔で。
「帰蝶」
父が静かに声を出した。
「寂しい時は文を書け。」
私は静かに頷いた。
「思うように生きなさい。」
母がしぼりだした声で言った。
「…はい。」
不意に涙が溢れてくる。
泣き顔なんて心配かけるだけだ、見せたくない。
だけど涙は止まらない。
これが、父と母を見るのは最後。
これから私達親子の未来が重なることはない。
少なくとも一緒に暮らしてきた日々は戻らないのだ。
だからこれは二人に見せる最後の笑顔。
私は涙を拭いて笑った。
とびっきりの笑顔。
子供らしい笑顔。
今までありがとう。
きっとこの気持ちは言葉にしなくても伝わるから。
ありがとう。
大好きです。
静かに動き出した輿の後ろからは母の泣き声が響いていた。
その母の泣き声を私は一生忘れる事ができない。
苦しみを含む高い泣き声。
私はさっき拭いたばかりなのにまた涙が溢れてきた。
輿の外には椿も従者だっている。
私は声を殺して泣いた。
両親との別れは悲しかった。
しばらくすると私は泣くのを止めた。
私はこれから大変だ。
人質なのだ。
表向きは私は織田信長の正妻。
大切にされるが、もし私の父が織田家との約束を破り、織田家を攻めたりしたら、私は殺される。
和睦の意味も担っているのだから、人質とはそんなものだ。
道具として扱われる。そんな感覚を否定はできない。
「姫様」と外から椿の声がする。
慌てたような椿の声。
「光秀様が」と断片的に聞こえた声。
私は輿についている小さい窓を開けた。
丁寧に礼を取る光秀様がそこにいた。
私は椿に無理を言って輿から下ろしてもらい光秀様と向き合う。
「約束を」
光秀様は顔を上げずに言う。
「ええ。約束したわ。」
私は力強い声で言った。
「必ず、何があってもお生き抜きください。」
「ええ。あなたも大切なものを守れますように。」
私は願うように言った。
そしてふとわいた疑問を口にした。
「光秀様の大切なものは何ですか。」
光秀様のうなだれたように見える後頭部がびくっとした。
「………。」
「どうしたの?」
光秀様は少し時間をおいて答えた。
「……姫……いえ、国です。」
その言葉に少し違和感を覚えた。
私はその違和感を感じながらも頷いた。
「光秀様、この国を。美濃を頼みます。」
私の故郷を
私の家族を
私のすべてを光秀様に託した。
光秀様の1番大切なものはこの国だという。
なら、光秀様になら、頼んでもよい気がした。
この世界での私のすべて。
私は光秀様を信じ、託した。
光秀様は静かに肯定の意志を示した。
この従兄弟とも一生会うことはないかもしれない。
そうおもうと寂しかった。
光秀様は最後まで顔をあげなかった。
それが寂しかったし、不信に思った。
だが無情にも輿は動き、しばらく止まることをしなかった。
これがきっと光秀様との最後。
私はそう思った。
私は忘れていた。織田信長を殺すのは、明智光秀。私の従兄弟なのだということを。




