恋に落ちた瞬間
短編として掲載したものを本編に組み込みました。
もともとは童話のはずの本編ですが、この部分は完全に(笑)恋愛物です。
初めて訪れた世界は、俺を拒否するように冷たい雨が降り続いていた。
見知らぬ世界、見知らぬ風景、見知らぬ人々。
俺自身の至らなさから追いやられてしまった世界は、降りしきる雨で灰色だった。
もしかして、俺、ここで死ぬのかな。
そんな風に考え始めたのは、誰も俺に気付かなかったせいかもしれない。
唯でさえ慣れない四肢に、打ちつけられた雨はずっしりと重く、身体から力を奪っていく。
人、じゃないもんな。
気づいてくれる方がおかしいのか。
ずっしりと重い身体と比例して重くなっていく心は、これがいたずらが過ぎた罰だったことを否が応でも思い起こさせる。
夜になるとそこかしこに明りが灯る。
まるで小さな太陽のように輝く不思議な色。
雨が降る中も煌々と輝く明りは、それだけでみても俺の世界とは違うんだと納得できた。
ばしゃんばしゃん
雨をけり上げる音がばらばらと振り続ける雨音にも負けず聞こえてきた。
俺はそれまでの用心深さと他力本願をかなぐり捨てて、その音が遠ざかる前に灯の下にでることにした。
ばしゃん
雨を踏みつける音が一段と大きく響く。
―――――俺に気が付いたようだ。
見開いた眼をぱちぱちとさせて、その人はちょっと顔をしかめた。
そしてまるで俺なんて見なかったと言いたげに俯きながら歩き始めた。
やばいだろ、これは。
俺の目の前を通り過ぎ、ばしゃんばしゃんと水を跳ね飛ばしながら歩く姿は、俺を拒否しているようだった。
そうだよな。もしこれが俺だったら見て見ぬふりをするだろう。
けれど今はそうはいっていられない。
もしこの人を逃したら、俺はきっとこの世界で死ぬしかない。
困らせようが拒否されようが、俺はこの人にすがるしかないんだ。
ばしゃんと音が止まる。
こっそり振り返って俺を見ている。
大丈夫。
きっとこの人は俺を助けてくれる。
それを信じて、じっと見つめる。
二人の間には雨。
けれど俺は雨の向こうにある彼女しか目に入らなかった。
「……くる?」
蜘蛛の糸のようにか細い声が俺の目に飛び込んだ。
雨音に負けて聞こえるわけがないその声は、身体を振るわせるほどの歓喜を呼び起こした。
俺は寒さに凍える足を必死で動かして彼女のそばまでたどり着いた。少しでも彼女に近づきたくて背筋もめいいっぱい伸ばす。
俺のそんな行動が彼女を驚かせたのか、雨が降りしきっているというのに傘を手放してしまった。
雨は無情にも落ちた傘の内側で溜まっていく。
ざあざあと振り続ける雨が俺と彼女を濡らしていく。
「あーあ、濡れちゃったね」
ため息を一つはいた後、彼女は俺にほほ笑んだ。
少し困ったような、けれども優しいまなざしで。
この瞬間、この人に恋をした。
自分自身はまだそれほど濡れていないのに躊躇なく濡れそぼった俺を肩に乗せて、彼女は傘を差し直しす。
申し訳なく想いながらも、それでも人の肌の温かさがじんわりと腹伝いに浸み渡る。
傘のおかげで雨はしのげたが、傘をさす時に払った水が払い切れずに大きな水滴となって俺の背中にぼとりと滴り落ちた。
おかしなもので雨にさらされているときは何とも思っていなかった雨粒が、たった一粒俺に垂れただけで身体に震えが走る。
「寒い?……これだけ濡れているものね。早く家に帰ろうね」
濡れるのもいとわずに何度も何度も背中をなでてくれる。
なでられる度に先ほどまでの虚無感が薄れていって、温かい何かがぽっと胸の中に灯っていく。
こんなにも温かくて、こんなにも優しいものを、俺は知らない。
彼女の肩に頭を預けると、ほうと息を吐き出した。