第四十四話
うそうそうそうそっ。
柚里の頭の中にはその言葉しか浮かんできませんでした。
そしてその言葉が脳裏に浮かぶたびに涙が一粒盛り上がり、簡単に集まって、そして滝のようになって頬を伝っていきました。
「うそやないねん。急にこんなことになってびっくりしたやろうけど、俺かて驚いてるし。……ごめんな、柚里」
アキくんはすまなそうに俯いて顔をあげようとしませんでした。
けれどもおそるおそる両手を柚里の前に差し出して震える肩にふれるやいなや、柚里の両肩を掴んで引き寄せました。
それは柚里の知っているアキくんではなく、一人の知らない男の人のようでした。
「柚里。……好きや」
「!」
「今までほんま、ありがとうな。うさぎやったときから随分世話になったけど、柚里が叱ってくれたりいろんなことを教えてくれたり、厳しかったりしたけど……そんなんことよりも、柚里の大きさが俺にはほんまありがたかった。柚里は俺をちぃさい子ぉとしかみてくれへんってわかってんねん。うさぎや子供の姿のまんまの俺やったら好きでいてくれてるんやって思うけど、俺は今の俺を柚里に見てほしい。俺は、柚里が好きやねん。めっちゃ好きやねん。せやから、マグニュスの思い通りになるのは悔しいけど、ここを離れる。柚里に俺を見てもらうために」
なんてことでしょう。
アキくんが柚里に告白している最中にも、アキくんの身体がきらきらと輝きだしてだんだんと実体をなくしていくようでした。
「あ……アキくんっ!?透けてるよっ?」
「あー、もうあかんのかぁ」
両手で柚里の肩を突くように押すと、すっかり涙がひっこんだ柚里の顔がそこにはありました。
柚里の肩には自分の薄くなっていく手がみえます。
マグニュスは言うた言葉を違えんなあ。
もうちょっとくらい、柚里と一緒にいときたかったなあ。
アキくんは自分の透けて薄くなっていく手を見ながら、寂しそうに笑いました。
さあもうすぐお別れのときです。
アキくんの身体がきらきらと光る粒になってぱらんぱらんと床に落ちては消えていきました。
柚里がアキくんを見るのはこれが最後かもしれません。
そう思うといてもたってもいられず、気が付くと柚里はアキくんの透けて行く身体を抱きしめていました。
「柚里?」
「……アキくん、アキくん、アキくんっ……」
柚里は思い出しました。
アキくんをあの雨の中で拾って連れて帰ってくるまでは、とても寂しくて暗い部屋に帰ってきていたこと。
アキくんが家に来てからは、いつも驚きの連続で、少しもさびしいと思ったことがなかったこと。
首輪を渡したときはフィーヨル流のプロポーズだと勘違いされてこまったこと。
そして何よりも、柚里のことをいつも想ってくれていること。
うさぎのアキくんにはたくさんのキスをしてきました。
アキくんが大人になったからといって、うさぎのアキくんと何が一体違うというのでしょう。
そう思うと身体が勝手に動いて、アキくんの薄くなっていく顔に自分の顔を寄せて、うさぎのアキくんにしてきたものと同じキスをしようとしました。
「……ありがとな、柚里」
キスをしようとしたのです。
柚里はたしかに。
けれどもそのキスはアキくんには届きませんでした。
ほんの一瞬の違いで、アキくんは言葉を残して光の粒となって崩れてなくなってしまっていたのです。
「……え?……うそっ」
さっきまで確かにそこにアキくんはいました。
けれど今は壁が見えるだけで、アキくんはいません。
「うそだ。……アキくん?かくれんぼ?」
柚里はふらふらとなりながら、部屋のあちこちを見回してアキくんをさがしましたが、もちろんどこにもアキくんはいません。
トイレにもお風呂にも寝室にも台所にも。
玄関にはアキくんの靴がきちんと揃えて置いてありました。
きれいな色のスリッポン。
足元に元気な色の靴を履いて河原を駆けまわっていたアキくんがまぶたに浮かびました。
疲れ知らずで走り回って、そうして柚里のもとに嬉しそうにかけて寄ってくるアキくんがそこにはいました。
「アキ……くんっ。なんで、なんでこんなに急に、いなくなっちゃうのぉ」
柚里はスリッポンを震える両手で抱き締めると、わんわんと泣き崩れました。
そして何かを守るようにまあるくなって、そのまま眠りに落ちました。
アキくん、とうとうフィーヨルに戻ってしまいました。




