第3話 【欲望の迷宮】
「お、お嬢様!? いったい何を!?」
「何って……私がお兄様の代わりにババ抜きをするという話よ」
「ええ、それは分かっておりますが……」
……やれやれ。何をそんなに狼狽えることがあるのか。もし『ギャンブルが良くないこと』だという認識なのであれば、兄のことも制止するべきだろう。
「……リオラ。分かっているのかい? これはただの遊びじゃないんだよ?」
「ええ、もちろん。分かっておりますわ」
理解っていないのはお前の方だ……なんて言葉が喉元まで出かかった。が、唾と一緒に流し込む。
金とは命を可視化したもの。人は皆、金を得るために命を削り、金を使い生きていく。衣・食・住。すべてに金が必要。ならば今、兄が賭けているのは、命そのものとも言えるだろう。命の削り合い……兄にはまだその自覚が備わっていない。
「──ふぅ」
対面の男は気怠げに息を吐いた。サバンナで寝そべるライオンが如く。まるでこちらを警戒などしていない。さしづめ私たちは、二頭のか弱いシマウマといったところか。
──ならば警戒させる必要がある。分からせる必要がある。時にシマウマの鋭い蹴りが、ライオンの命に届き得るということを。
「よろしいですか? ええと、お名前は……」
「アッシュだ」
「アッシュ様。私との勝負、受けてくださいますか?」
「……まぁ、俺は構わんがね。アンタはいいのか?」
「…………」
兄は悩んでいるようだ。この期に及んでまだ『自分に勝ち目がある』なんて思ってるんじゃないだろうな? そんなことを考えてるのだとしたら、幸せ脳みそなんてものじゃないぞ。
「……分かった。リオラ、キミに任せるよ」
「ありがとうございます、お兄様」
優しく微笑む兄にお嬢様らしくカーテシーをしてみせる。未だ不安そうなルーナには目配せを。日本での記憶が混じったせいか、皮肉っぽい思考をするようになったが、やはりこの辺の所作は身体に染み付いているのだろう。
兄と入れ替わるように椅子へ座る。そして金貨の入った袋を鷲掴みにし、ドンッと机の真ん中に置く。
「……? 何してんだ?」
「何って、ベットですよ。次の勝負にこの袋の中身、全額を賭けるのです」
「なっ……! お嬢様! さすがに、いきなりそれは無茶なのでは……?」
「そ、そうだよ。最初は金貨一枚とか、小さく賭けて様子見すべきだ」
「ふふっ……」
アッシュが目を細めている。無理もない。いきなり割り込んだ少女によるオールイン。何か意図があるのか? 単に世間を知らないだけの令嬢なのか? 揺れ始める。振り子のように、ゆらゆらと……
「……いいだろう。チマチマやるのも飽きてきたところだ。じゃあ、始める──」
「ああ、待ってください。まだベットは終わっていませんから」
「あ?」
「ルーナ。私のお金を出してちょうだい」
「ええ!? まさか賭けるつもりですか!?」
「それ以外に何かあるの?」
「わ、分かりました……」
ルーナは懐から袋を取り出し、私に手渡した。……ふとした疑問なのだが、彼女の懐はどういう仕組みなのだろう? 彼女に頼めば、基本的にはなんでも懐から取り出してくれる。某ロボットのように、どこか別の次元に繋がっていたりするのだろうか?
余計なことに気を取られそうになり、目をぎゅっと閉じて振り払う。今から命懸けの勝負をするというのに、そんなしょうもない考察をしている暇などない。机の上に袋を置く。合計すると、男の持つ金貨と同程度といったところか。
「さあ、始めましょうか」
「…………」
(……何考えてやがる、このガキ)
当然、湧き上がる。灰汁のように、じんわりと。アッシュの中の猜疑心。無警戒だった、カモとしてしか見ていなかった金持ちのボンボン。そこに突如現れた少女による高額ベット。
(あり得ねえ。この高額ベットはあり得ねえ)
例えばポーカー。自分に弱い手が渡り、相手に強い手が渡ったとする。そうした場合であっても、ベッディングアクションによって、相手を降ろさせる……つまり、弱い手で強い手に勝つことも可能なのだ。だが──
(このベットにはブラフの意味はない。俺たちがやるのはババ抜きだ。勝った方が賭け金を得る、ただそれだけ)
「……さすがに賭け金が大きすぎたかしら。仕方ないですね。諦めましょう」
兄と自分の金を掴み、ルーナに差し出す。あまりの変わり身に困惑しているようだ。いつもキビキビとしている彼女が、固まってしまっている。
「今日のことは勉強代とでも思って、お金のことはまた今度考えましょう。ねっ? お兄様?」
「う、うーん……まぁ、受けてもらえないんじゃ仕方ない──」
「ま、待て待て待て! 受けないなんて言ってねえだろーが! 勝手に話を進めんな!」
「では、受けてくださるのですか?」
「…………」
(……冷静になれ。しょせんはガキ。それも、世間知らずの箱入り娘だ。俺が負ける道理はない)
「……いいだろう、受けてやる」
「ふふっ! そうこなくては。ありがとうございます」
──果たして、この男は気づいているのだろうか? すでに自分が、正常な判断力を失い始めていることに。
兄との勝負のように、じわじわと少しずつ勝つ。それがこの男にとって正着だったはず。
だが、歪められてしまった。積み上げられた大金。まるで高額商品が対象の確率機のように。自分には得られると思ってしまう。
そうして片足を突っ込んだ。ギャンブルという迷宮、その入り口に足を踏み入れた。さも平静を装っているが、一歩引いてみると狂気の沙汰。度し難い凶行。
「……ところで。所持金はそれで全てですか?」
「……? いや、まだあるにはあるが……」
アッシュが懐からもう一つ、袋を取り出す。元々あった袋の半分程度の大きさといったところか。
「そのお金も賭けていただけませんか? 当然、条件も加えます」
「条件?」
「ええ。まず、ジョーカーを山札から抜き、カードを配ります。カードの整理が終わったら、私の手札にジョーカーを加える」
「……要するに、最初にジョーカーを持つことになるのはお嬢ちゃんってことか。分かってんのか? ババ抜きってのは、ジョーカーの押し付け合いだ」
「分かってますよ。だから提案しているんです。代わりに賭け金を増やして欲しいと」
「……おーけーだ。乗った」
アッシュは手に持った袋を机の上へ置いた。山札からジョーカーを抜き取り、カードを配っていく。
整理し終えると、6枚ずつのカードがお互いの手元に。そこに、ジョーカーを加え、私の手札が7枚、アッシュの手札が6枚となる。
「では、お先にどうぞ?」
アッシュの先攻でババ抜きが始まった。だが、アッシュはカードを引こうとしない。その場にいた誰の目から見ても明らかな異常。
私は、7枚のカードのうち1枚。スペードの4のカードを表向きにしてアッシュに向けていた。




