第2話 【夢追い人】
「トロイお兄様。こんばんは」
「──ん? リオラ。こんな時間に何をしているんだい?」
それはこっちのセリフだ、と言いたいところだが。余計な問答は避けたいので言葉を呑み込む。
それより気になるのは、兄とその対面に座る男が手にしているトランプカード。机の上には小さな袋と、そこからはみ出した金貨。真ん中には、積み上がったカードの山。
「トロイ様。またですか……」
「あははっ……お父様とお母様には内緒で頼むよ」
トロイ・プレスコット。17歳。屈託なく笑う兄からは、一切の邪気が感じられない。短い金髪に、煌めく碧の瞳。いかにも優男といった風貌だ。
『また』ということは、兄が賭けごとをしているのは日常茶飯事で、ルーナもそれを知っていたのだろうか? 私は想像もしていなかったので、少し驚いた。そういうものとは、最も無縁の人間だと思っていたからだ。
「もしかして……『ババ抜き』ですか?」
「ああ、そうだよ」
ババ抜き。カードを均等に配り、同じ数字のペアを捨てる。そして、順番に他人のカードを引いていき、ペアができたら捨てる。カードがなくなった人間から上がり……つまり勝利となり、最終的にペアが存在しないジョーカーを持っていた人間が敗北となる。トランプゲームの中でもルールが分かりやすく、誰でも気軽に遊べるものだろう。
「リオラ。トランプでは絶対にやっちゃいけないことがあるんだよ。なんだか分かるかい?」
「さあ? 相手に自分のカードを見せびらかすとか、そんなことですか?」
「あははっ! 違う違う、そんなのは当たり前でしょ。大事なのは、自分の感情を顔に出さないことだよ。自分にとって都合が悪くても、相手に悟られないようにしないといけないんだ」
……ポーカーフェイスのことだろうか? そんなことを自信満々に語ってどうする。ひょっとすると、兄は思ったより危険な状態なのかもしれない。
机の上の金貨に視線を向ける。二人の袋の膨らみから分かること。兄は明らかに負け越している。
しばらく兄を観察してみることにした。兄の敗因は二つあった。一つは、兄のギャンブラーとしての未熟さ。もう一つは、対面の男の狡猾さ。
まず、自信満々に語っていたポーカーフェイスがまるで出来ていない。たしかに、無表情であろうと努めてはいる。が、あくまで形だけ。瞳孔の開き、わずかに乱れる吐息、視線の動き。あれでは、ジョーカーの位置を知らせているようなものである。
浅い知識で根拠のない自信を抱え、勝負に挑む。自分がなぜ負けたのかすら理解していない。典型的な認知の歪み。
その歪みを塗装しているのが、この対面の男。この男、賭け金が少ない時にわざと負けている。あからさまに勝つことはしていない。徐々に徐々に、自分がプラスになるように勝負をコントロールしている。
さらに面白いのが、ババ抜きのゲーム性だ。このゲームはどう足掻いても運に左右される。大金を賭けた勝負であっても、男にジョーカーが配られた際には、兄が一度もジョーカーを引かずに勝ってしまうこともある。それが絶妙な煙幕となり、自身が踊らされていることに気づけない。
不正をしているようにも見えない。実力の差。分かり切った勝負。これ以上続けても、兄に勝ち目はないだろう。
「ふぅ……今の勝負は負けたけど、だんだん分かってきました。あなたのクセが」
「ほお?」
男は不敵に笑う。まるで幼い子どもと遊んでいるかのような──いや、実際にその通りなのだろう。児戯に付き合う親といった具合。悪質なのは、負けた子どもからお小遣いを取り上げているところか。そんな親がいたら、顔を拝んでみたいものだ。
「負けはしたけど学びはあった。今の賭け金はマイナスじゃあない」
捻り出した理屈。敗北を正当化し、自分に言い聞かせるかのよう。疑いようのない“弱者”の思考。これ以上は見るに耐えない。
「……ルーナ、行きましょうか」
「もうよろしいのですか?」
「ええ。これ以上見ていても、時間の無駄だろうから」
踵を返し酒場の外へ向かう。ルーナは少し兄のことが気がかりなようだが、彼女が優先するのはやはり私のようで。すぐに後を追って歩いてきた。
「──こんなとこで負けてられない。僕の夢を叶えるためにもね」
「──!」
夢、という言葉に私は振り返った。兄の夢。たしか、冒険家になりたいとかなんとか。そんなことを言っていた気がする。
再び兄の元へ歩いていく。ルーナは首を傾げながらも、黙ってついてきた。
「夢のため……というのは?」
「飛行船が欲しいんだよ。そのためにお金が必要なんだ。当然、お父様とお母様には言ってないけど。真面目に学院で勉強して、家督を継ぐように言われているからね」
照れ臭そうに笑う兄。呆れたような表情を見せる男。無表情で何を考えているか読み取れないルーナ。
一般的には男の反応が“正しい”のだろうか? 飛行船の値段の相場は約3億ギル。日本円で言えば約30億円といったところか。いくら貴族の生まれとは言え、子どもの手が届く代物ではない。無謀と言っても差し支えないだろう。
だが……夢を持つということは素晴らしいことだ。裕福な生まれ。丁寧に敷かれたレールに従って生きれば、安定した幸せを得られるだろう。
けれど、兄はそれを望まないのだ。安寧を蹴破り、大いなる理想に生きる。賭けするのは、自らの人生。なんと立派なギャンブラーであろうか。
──とはいえ、このままでは兄の夢は儚く散っていくであろう。アスファルトに咲く花のように、強固な根はあれど、簡単に踏み潰される。
「……トロイお兄様」
「ん? なんだい?」
「もし、よろしければ──この勝負、私に代打ちをさせていただけないでしょうか?」




